自閉症である私が絵を描く理由~アール・ブリュットという視点

発達障害

出典: Photo by Sun on Unsplash

私が「自閉症」だと診断を受けたのは、大学を卒業して社会人になってからです。それまで環境に自分を合わせるために、不安であることや苦手なことを隠していましたが、今になって、環境を自分に合わせる工夫も必要だったのだと思い返しています。

不登校になってしまった中学生時代

幼少期から独りでいることが好きだった私は、集団に馴染むことが難しく、1人で絵を描いて過ごすことが多かったです。

学年が上がるごとに大きくなっていった周囲への違和感は、中学生時代にピークを迎えていました。

その当時、思春期の子どもに見られる優位性を示そうという行為が私は大嫌いでした。自分が優れているということを示すため、相手の好きなものを馬鹿にするという行為に納得がいきませんでした。

こだわりと対人関係のどちらかを選択する場面において、私は自分のこだわりを優先していたのです。

年齢によって移り変わっていく興味関心に順応できるほど、私は多方面に心が向きませんでした。

相手に合わせるために、自分の好きなものが馬鹿にされることを許すことはできませんでしたし、相手の好きなものを否定したいとも私は思いませんでした。そうした経緯から、周りと馴染むことができず日に日に孤立していったように思います。

そんな私でも得意なことでクラスに貢献しようと思い、文化祭でおこなう劇の脚本や衣装の制作に挑戦したのです。絵を描くことが大好きだった私は皮肉にもクラスに貢献したくておこなった活動によって、いじめの標的にされてしまい不登校になってしまいました。

普段目立たない生徒が注目を集めることは、周りからすれば面白くなかったのかもしれません。冗談半分だったのでしょうが、殴られたり蹴られたりといった暴力に苛まれる日々は苦痛でしかありませんでした。

何よりも言葉の暴力は今でもトラウマとして根強く、自己主張する際に強い苦手意識を持つようになりました。

学校に相談はしたのですが、授業中に私語が飛び交い、廊下を生徒が走り回るような環境だったので、教員は私が周りに何をされていようが、特別問題視することはありませんでした。学校としての機能が成り立っている環境ではなかったのです。

自閉症の特性である独りでいることを好む、こだわりが強い、皮肉や冗談が理解できないといった点に加えて、聴覚過敏といった点全てがマイナスに作用してしまった結果だったと思います。

絵がコミュニケーションツールに

いじめられた経験から自分を認めてほしいという主張は絵に向かうようになりました。対人関係の切れてしまった当時の私にとって、唯一自分の考えを吐き出せる手段が絵だったのです。絵が生きる術になっていました。そして、私は絵が学べる高校へ進学することを決めたのです。絵が上手いことが自分の価値そのものだと思い込んでいたので、それが学べるなら再び学校に通おうという気持ちになっていました。

いじめられる原因になってしまった「何かを作る」という行為が、家に引きこもっていた私を再び学校に通わせてくれるきっかけになってくれたのです。

もちろん、自閉症の特性やいじめられた経験からコミュニケーションの場面で苦労しなかったわけではありません。しかし、絵を描くという共通の行為が高校生時代の学友たちとの繋がりを持たせてくれました。

そのころには絵が自身の考えを主張するツールだけでなく、他人と繋がるツールとしても機能していました。

大学に進学してからも絵を学ぶ日々は続きましたが、私が絵を描く理由と学友の絵に対しての向き合い方は異なっていたと思います。それを言葉として説明することが難しく歯痒い日々を送っていました。

そして今回、この記事を書くにあたって「アール・ブリュット」という言葉を初めて知りました。アール・ブリュットとはフランス語で生の芸術という意味で、解釈としては「美術教育や流行に左右されずに感じるがまま表現された芸術」といったもので、日本では障害者の表現として認知されていることが多いようです。

自閉症だと診断を受けた今だからこそ、アール・ブリュットという言葉は自分にとって絵を描く行為を説明する上で、最も納得のいくものだと思っています。

私は高校生から大学生までの7年間で、油彩画や日本画、染織といった様々な技法に触れてきたので、アール・ブリュットの解釈からは外れてしまうかもしれません。しかし、根本的には「そのとき、その瞬間に感じた気持ちを反映させて表現されたもの」こそ芸術だと考えているので、アール・ブリュットの考えは非常に共感ができるものでした。当時の私は対人関係や将来への不安を全て絵にぶつけていたのです。

絵と離れて自閉症と向き合った卒業後の人生

私にとって絵を描く行為は生きるために必要なことになっていました。

なので、就職して絵を描ける環境がなくなった途端に心身ともに大きくバランスを崩して、病院に通うことになりました。

病院に通い、自閉症という診断を受けた日の安心感は、今回のアール・ブリュットという言葉に出会った感覚と同じだったと思います。就職をきっかけに自閉症だということがわかったのですが「私は絵が描ければ多少の困難があっても生きることができていた」と振り返ることができます。

知らず知らずのうちにストレス発散や、自己理解の手段として絵を描く行為を取り入れていたのです。それは何も絵を描く行為だけではなく、ダンスや歌といった行為にも同じことがいえると思います。過去のトラウマや未来への不安が、何かに夢中になっている際は忘れることができ、その瞬間を生きることができています。まさしくアール・ブリュットが意味する「生の芸術」だと私は思うのです。

自閉症だと分かった今でも私は絵を描くことを続けています。今の私は絵を始めとして、映像作品や音楽といった中学生から変わらない好きなものを通して、幅広い交友関係を持つことができています。

自閉症の特性である「特定のものごとへ強い興味関心を持つ」といったことが中学生のころにはマイナスに働いていましたが、今ではプラスになっているのです。

自閉症の特性である過剰に集中しすぎてしまう症状も、絵の分野で活かすことができていますし、仕事の場面においてもネット通販に使う写真の画像加工という場面で活かすことができました。

相手に合わせて変わる努力も続けてきた私ですが、そのままの状態で能力を活かすことができる場所もあるのだと最近になって思います。

自分に合った環境に出会うために、自閉症やアール・ブリュットという言葉を知り自己理解を深めることは、他人に自分の考えを説明する手助けになります。

もし、今の環境で悩んでいる人がいるのならば、自分だけが悪いのだと思わずにその場所以外に目を向けてみるのも新しい発見があるかもしれません。

そして、絵や音楽を楽しむといった行為が新しい環境へ踏み出す手助けをしてくれるかもしれません。

自閉症の特性や、いじめられた経験に苦しめられる場面も多かった半面、自閉症だったからこそ出会えた友人も多いですし、いじめられた経験があるからこそ仲良くしてくれる友人を大切にしようと強く思うことができています。

辛い経験が多かった分、楽しい思い出をたくさん増やして人生を肯定させていくことが私の生きる目標になっています。

そして、私の描いた絵で少しでも喜んでもらえる人が増えればと願っています。これから先も人生を絵ともに過ごしていきます。

参考文献

【TRANS.BizすべてのビジネスパーソンのためのWebマガジン「アールブリュット」の意味とは?提唱者や作家・美術館も解説】
https://biz.trans-suite.jp/

だっち。

だっち。

絵を描くことが好きな20代後半のオタク。気持ちは10代。違和感はあったものの自閉症の診断を受けたのは大学卒業後。生き方を模索する日々。
社会不安障害の診断も受けている。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

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