「この人に発達障害のカミングアウトをされると困るな……」という時

発達障害
Photo by frank mckenna on Unsplash

有名人による発達障害のカミングアウトはまさに「諸刃の剣」です。知るきっかけを広める期待もあれば、偏見を加速させる危険もあります。本人の同意なくばらすアウティングどころか、疑惑や憶測さえ同様といえます。

偏見の加速というリスクがある以上、「この人に発達障害のカミングアウトをされては(当事者としては)困るな……」と思わざるを得ない瞬間も存在します。時にはアウティングですらない、ただの憶測が広まるだけでも戦々恐々となり、「号泣議員」こと野々村竜太郎氏に発達障害“説”が上がっただけで当事者らは戦慄したものです。

安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者に対しても、「後の報道で精神疾患や発達障害のアウティングがあったらどうしよう……」という懸念がありました。その点では、裁判中の精神鑑定が残っているものの、概ね杞憂に終わっているといえます。

今回は、カミングアウトやアウティング、果ては発達障害の憶測までもがもたらす影響について考えてみたいと思います。また、障害名のカジュアル化による弊害にも触れられていたので、そちらも扱ってみましょう。

カミングアウト

元タレントの木下優樹菜氏が、自身のYouTubeチャンネルでADHDの診断を受けたとカミングアウトしました。しかし診断の経緯は一般に知られているものと大きく異なり、カミングアウトには当てはまらないような気もします。嘘とまではいかなくても、不確定事項ではありますので。

なんでも、診断を受けたのは「ブレインクリニック」のようで、精神科や心療内科ではないそうです。ブレインクリニックでも精神科医が経営している等で関わっていれば本来の診断も出来るかもしれませんが、大抵そこだけでADHDでの手帳交付は出来ません。

いわば自分のADHD“説”を挙げたに過ぎないのですが、当事者もそうでない人も穏やかならざる反応を示しています。木下氏は、タピオカ店を営んでいた親族を恫喝したスキャンダルなどからイメージは良くないです。そんな人が「自分はADHDだと分かった!」と憶測だけでも言ってしまうと、偏見の加速など色々とマズい影響が懸念されます。

ネット上の露悪的な書き込みや就労・年収における諸問題などから、発達障害への風当たりは未だに強いままです。波風を立てること自体が悪いわけではないのですが、世間的に評価の芳しくない者に、真偽はどうあれ自身の発達障害を公表されては心中穏やかではいられません。だからこそ「ADHDを盾にしないでほしい」という批判が噴出している訳です。

動画内では「財布も携帯電話もすぐ忘れる」「それで生きづらさは感じなかった」と話したそうですが、生きづらさを感じないのであれば診断の必要性もないわけです。なぜ今になってADHDの話をしたのか、謎はますます深まるばかりです。

本来は幼少期のこともしっかり聞く

本来の発達障害診断であれば、ほぼ確実に幼少期のことを聞かれます。発達障害は本人にとって一生の付き合いであるうえ、容赦も忖度もない子ども同士のコミュニケーションでは何かしらの軋轢が生じている筈です。幼少期の聞き取りは発達障害診断において重要なファクターで、これはシニア世代への診断でも変わりません。

木下氏の動画を受けて、一部の精神科医などから「脳波などの脳検査で発達障害を診断することは出来ない」「『DSM-V』というちゃんとした診断基準が存在する」と指摘が出ています。自身の発達障害が疑わしければ、精神科医のいるクリニックなどを予約して検査を受ければいいのです。グレーであっても発達障害の傾向が分かれば、自分自身の扱い方も分かってきます。

反対に、診断を受けず定型発達として生き続けるという選択肢もありますが、表立って配慮を求められないなど不自由なことは多いでしょう。発達障害として手帳を交付されるか、手帳の交付を避け定型発達として生きるか、これらの両取りは出来ません。定型として生きながら配慮や支援を要求するような、欲を張ったいいとこ取りは無理があります。

有名人の発達障害公表は啓蒙という面で期待できますが、本人の評判や前歴によってはリスクの方が上回るでしょう。まして正式な診断を経ているのか定かでない木下氏が、「ADHDの特番にも出てみたい」とまで語っているのは、色々と拙速で気の早い印象を受けてしまいます。

ABEMA Primeも取り上げる

この件は「ABEMA Prime」でも取り上げられ、自身の発達障害傾向をたとえ憶測でも表明することに対する是非が問われました。番組の出演者や精神科医などからは以下のコメントが出ています。

「ADHDの特徴を知ることで共生しやすくはなる。一方で、自分は患者に『ADHD自体を免罪符にするのは良くない』『ADHDであることはギリギリまで伝えなくていい』と忠告している。互いに歩み寄ることが大切で、当事者本人の工夫も必要になるだろう」

「私は医師に『ADHDの傾向アリ』と言われたが、診断で何か変わるとも思えないので受けていない。友人にもADHDの診断を受け服薬している人は居るが、あまりオープンにはしていない。しかし、ADHDは個性である以前に、障害者手帳の交付を受けられる障害であることを忘れてはならない」

「今の若者たちは完璧を求められる社会に生きており、ADHDやASDの名前を出して自己診断で身を守ろうとする。ヒトは集団生活にそぐわない者を本能的に遠ざける部分もあるが、それを乗り越えて社会を成り立たせてきた歴史もあり、多様性こそが種の繁栄に繋がることを伝えるべきではないか。ただ、商売やマーケティングの為だけに使われることは拒否しないと、本当に発達障害で苦しむ人々が声を上げづらくなってしまう」

障害名のカジュアル化も問題

上述の番組でも触れられていますが、障害名がカジュアル化していることも問題ではないかと思います。よく知りもしないで、ネット上の簡素なチェックリストだけで「自分は発達障害だから」と思い込み、盾にしてしまう人がいます。理解が浸透しているというよりも、名前だけが一人歩きしていると形容した方が適切でしょう。

また、「こいつは発達障害に過ぎない」と叩き棒として使われるのも目に余ります。「○○するのはアスペ」「発達障害など顔を見れば分かる」などと、粗末な自己基準によるお医者さんごっこがまかり通るのはネット世界だけの病理なのでしょうか。

過去を含めた厳正な聞き込みや、「DSM-V」に則った検査を抜きに、発達障害の正式な診断をすることは出来ません。正式な診断のできる人間は直接会って厳正な検査をした精神科医だけです。かといって、精神科医として働いていても、会ってもいない人間を診断することは不可能です。もう少し障害名の取り扱いを厳しくしてほしい気もします。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

発達障害

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください