軽度知的障がい~自分の生きがいを見つけるまで
暮らし 知的障害出典:Photo by Content Pixie on Unsplash
私は「軽度知的障がい」があり療育手帳を持っています。自分は何か人と違うと違和感を覚えたのは小学3、4年生のころでした。
主に体育の授業で球技のルールが理解できない、家庭科ではミシンや裁縫が苦手、地図が読めない、パソコンの授業が苦手などです。特に算数が苦手で、小学2年生の時は九九がなかなか覚えられず苦労しました。
足し算や引き算もいまだに手を使って計算しています。このことから「自分は明らかに人とは違う、おかしい……」と違和感を覚え始めました。
母親にそのことを相談し、病院にいきたいと伝えました。ですが「気にしすぎ」「そんなわけない」といわれ理解をえることができませんでした。
魔の中学時代
中学は私立の中高一貫の女子高に通っていました。成績は塾に通いなんとか平均を保っていましたが、副教科での失敗が目立ち、美術の先生からは「頭がおかしい」と指摘されてしまいました。自分なりに全力で取り組んでいたのでその出来事はとてもショックでした。
人間関係もうまくいかず、いじめられるようになり、毎日頭が割れるような頭痛に襲われました。高校はさらに勉強が難しくなり、いじめもエスカレートしたことから転校してしまいました。
新しい環境
転校先の高校は以前より偏差値が低く、周りも穏やかな性格の子が多かったので、精神的に少しは落ち着いて過ごすことができました。ですが、高校生というこもあり、勉強が難しいと感じることが増え、数学の時間は半泣きになりながら授業を受けていました。
人間関係はいじめられることはなくなりましたが、なかなか気の合う友達ができず、文化祭は1人でトイレで過ごしていました。それでも中学時代と比較すると精神的にとても安心したときを過ごせました。
二次障がい
大学生活は中学と同様とても苦労しました。まず、時間割を自分で作成することが、とても難しく感じられました。通学も県外だったので、電車の乗り換えが難しくて迷うことも多く、毎日5時半に起きて身支度してしまいました。
校内でも1人でいることが多く孤独を感じ、どんどん疲弊していき、夏休みはベットから出られなくなり引きこもるようになってしまいました。
毎日生きていても意味がないと感じ、心療内科を受診したところ「うつ病」と「軽度の知的障がい」と診断されました。病院で処方された薬を飲んでも症状は一向によくならず、夏休み明けは、母に途中まで車で送ってもらいなんとか通うことができました。
承認欲求
社会人になってからは、営業の仕事をしていましたが、仕事内容を理解することができず、2か月で退職してしまいました。
それからはアルバイトを転々とし、地下アイドルをしていたこともありました。幼いころから他人に理解されないことが多く、もっと自分を見てほしい、自分の存在価値はなんだろう?と考えた結果、自然と人に注目される世界に惹かれていったのだと思います。
もともと歌は好きで、合唱部に6年間所属していたのですが、ダンスは空間認知能力劣っていたので、とても苦労しました。泣きながら動画を見て練習したり、グループではついていないので、個人レッスンに通ったりしてなんとか活動していました。今思えば苦労の連続でしたが、好きなことだったので頑張れたのだと思います。
生きがい
私はこの障がいのせいで、生きづらさを感じて生きてきました。今でもそれは変わりません。ですが、自分の好きなことや興味のあることは誰でもあります。私は何度もそれらに助けられました。
昔は歌やアイドルが好きで、自分の生きがいを見つけることができました。現在は文章を書くのが好きなので、コラムを書いてみようと新たな目標ができました。人より時間が掛かるかもしれませんが、好きなことだと乗り越えられるような気がします。
いま自分に自信がなく、生きがいや楽しみを見つけられない人も小さな好きでもいいので意識してほしいです。マンガが好き、ネコが好き、ブログを書くのが好き、食べるのが好き、そんな好きを少しだけ意識して行動するだけで見える世界が変わっていきます。
焦らず、少しずつこれからも自分の好きに素直に生きていこうと思います。
知的障害