小学校時代の奇妙な「居残り教室」
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小学校時代の奇妙な体験についてお話ししたいと思います。体験というには小1~小6まで一貫していた長いものですが、昔から話したくてあわよくば意見を頂戴したかった話題です。
その奇妙な体験というのは、週に1回開かれる居残り教室のことです。特定の学区の児童だけが放課後に集められ、居残りで同和教育を受けるというものでした。その名も「木曜学級」です。奇妙というのはオブラートに包んだ表現で、今思えば明らかに異常な取り組みだったと思います。しかし、誰も反対しませんでした。
毎週木曜の居残り教室
毎週木曜に居残り授業をするから「木曜学級」と呼ばれたそれの特徴は、特定の学区の児童だけを対象としていることです。特定の学区の児童は毎週木曜の放課後に校外の公民館的な貸しスペースへ集められ、居残りで授業させられます。他の学区の児童は、放課後そのまま帰ります。勿論、私は対象の学区でした。冬場は毎週木曜になると暗い中を歩いて帰っていたものです。
内容は、低学年のうちは各学区の集会所を巡ったり家族の絵を書いたりと、道徳の延長を思わせるものでした。しかし中学年になると雲行きが変わり、部落差別などの同和問題を扱うだけでなく「君たちの学区は同和地区にあたるところだった」と真偽不明の噂を吹き込んだり、疑似的な差別体験をロールプレイしたりと倫理観に欠けた取り組みも増え始めました。
極めつけは休日返上で開かれる発表会や社会見学です。これも対象の学区だけで済まされており、他学区の児童へ見せるようなことはありません。そもそも、学区の違いで小学生の自由時間に大きく差が出ること自体がおかしいのではないでしょうか。同和教育が異常と言いたいわけではないのですが、もし対象の学区が同和地区でなければ「嘘」に基づく教育をしていたことになりますし、本当に同和地区だったならば差別の再生産と固定化を学校ぐるみで進めていたことになります。
忘れられないのが4年生の時にやったロールプレイです。保育園が入園を断ったというエピソードに基づき、保育園側の教師が保護者側の児童を論破し続けるというロールプレイで、何を言っても辛辣かつ無慈悲に返される応酬で心が折れそうになりました。あとは「ベロ出しチョンマ」の上映がありましたね。顔芸の得意な少年が父親の一揆によって家族もろとも刑死するという内容のビデオです。
誰も異常性を指摘しない
木曜学級は、時に保護者さえ巻き込んだプログラムもありました。食事会のようなことをしたり、生業や社会人マインドについて語らせたりがあったと思います。対象となる児童は同じ学年の3分の1くらいで、進行するのはクラスの担任。これだけ多くの人を巻き込みながら、誰も異常性や問題点について指摘することなく、一部学区の児童が毎週木曜に居残りさせられる状態は続いてきました。
まずは指導の主体たる児童の反応ですが、真剣に捉えるでもなく非常に淡々としていたと思います。面倒ではありましたが、本気で嫌がったりボイコットしたりするまでのレベルではありませんでした。他学区の児童も、木曜だけ居残るせいで一緒に帰ったり遊んだりできない訳ですが、「木曜学級なら仕方ない」と理解というか納得はしていました。日常としても意味の薄い、要は「路傍の石」に過ぎなかったわけです。
児童が大事と捉えていない訳ですから、保護者を通じた告発もないわけで、保護者側も問題に思いません。習い事のようなものと軽く考えていたのではないでしょうか。その「習い事」によって他の児童より優しさや思いやりが伸びることも無かったわけですけれども。
学校や教師はどうだったのかというと、これは後で知ったのですが「選択権がない」らしいです。国、都道府県、市町村、教委、そして団体。様々な圧力や思惑に晒されており学校側にもやらされている側面がなくもない感じです。大人の事情や力関係について当時の児童が推し量ることなど出来ないのですが、誰がプログラムを考えて発注したのかは今になってもなお分かりません。
「おかしいことはおかしいと言える社会にしよう」というのが、木曜学級の掲げるスローガンの一つでした。しかし、もし「おかしいことはおかしい」と言えるならば、まず木曜学級のほうに矛先が向いていたと思います。現実にはそういう相談窓口もなく、そもそも当時はネットが家庭に普及していなかった時代なので異常性に気付くのも相談することも出来なかったでしょう。
AIも認める異常っぷり
木曜学級の内容についてどう思うか、ChatGPTにぶちまけました。特別悪しざまに言ったわけではなく事実を列挙しただけなのですが、それでも「当時ですら問題視されかねない異常なプログラムである」と返ってきました。本当は、人間の肉声で「このプログラムはおかしい」と言ってもらいたかったのですが、話せる人間が居ないので仕方ありません。
1年生から始めるのも、最初は道徳の延長から入るのも、疑問を持たせないためと言われてハッとしました。これは子どもの無知に付け込む「セクハラ教師」のやり口ではないのでしょうか。校外のスペースでやるのもそうですが、正々堂々とやれない後ろめたさを持ったまま強行するのは教育としてどうなのでしょうか。
木曜学級のようなやり方は、当然ながら現代では廃れています。2002年3月をもって特措法が停止されたため、続行自体が難しくなったためです。ただ、未だに残滓のようなものはあるそうです。同和教育自体がセンシティブかつ賛否両論のようで、Web検索すると各自治体で必要性を訴えるページが出る一方、Wikipediaには八鹿(ようか)高校襲撃や狭山事件を挙げながら問題点ばかり書き殴られています。ただ、どちらにしろ体験した人による生の声というのは少ないのではないでしょうか。
一応、本当に同和地区だったのかどうか知るには行政文書を辿ればいいそうです。同和対策事業というものがかつては推進されており、インフラなどの遅れを取り戻すように急激に整えられていきました。それは行政文書としても逐一記録が残っており、誰でも参照できるらしいです。正直、そこまでして知りたいとは思いませんし、真偽よりもプログラムの内容のほうが重要な問題なので、究明するつもりはないのですが。ただ、ネット上に転がっている「部落一覧」みたいなまとめは露悪的なうえに憶測や誤情報も多いので、信じるならば市町村の行政文書だけにしましょう。


