「♯国は安楽死を認めてください」の先に存在する恐怖の現実
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出典:Photo by Mika Baumeister on Unsplash
「生きるのに向いていないから、生きるのを辞めたい」「他人の自殺に巻き込まれたくないなら、安楽死を認めよう」「国は楽に確実に死ねる薬を解禁してくれるだけでいい」
「#国は安楽死を認めてください」というタグとともに、こんな悲しい投稿が毎週土曜日にX(旧Twitter)にあふれていることを知っている人は、どのくらいいるのでしょうか。
実はこれ「安楽死デモ」と呼ばれており、毎週土曜日の夜にはXのトレンドになっています。
デモの方法はシンプルで、土曜日の夜7時以降に、Xに「♯国は安楽死を認めてください」というタグをつけて、自分の安楽死したいという願望を投稿するのです。
しかしその参加者のプロフィールを見ると、うつ病などの精神疾患や発達障害で苦しんでいる人、知的障害や境界知能のため生きづらさを感じている人がちらほら見受けられるのが、とても気にかかっています。
わたし自身双極性障害とADHDを抱えており、障害者がこの国で生きることがどれほどつらいか分かっているつもりです。しかし、その「国に安楽死させてほしい」という願望を持っている方々に、確認しておきたいことがあります。
現在、すでに先行して安楽死を合法化した国がどうなっているか知っても、まだ「安楽死したい」と思いますか?
「安楽死」とは何か
「安楽死」とは、人または動物に苦痛を与えずに死に至らせることを指します。一般的には終末期患者に対する医療上の処遇を意味します。
その安楽死にもいくつか種類があり、医師が患者に致死薬品を投与する積極的安楽死と、治療を行わないことで死に至らせる消極的安楽死があります。
そこに加えて医師が致死薬を用意し、安楽死を希望する患者が自ら服用する「医師による自殺ほう助」という手法を容認する、国や地域が増えてきました。
数年前にNHKで「彼女は安楽死を選んだ」という番組が放送され、その中で安楽死希望者の命が消えるまでを放送されたことが物議をかもしましたが、彼女が死に場所として選んだスイスは、実は「医師による自殺ほう助のみを、刑法の解釈にもとづき認めている」だけにすぎません。
「デスツーリズム」(安楽死の旅)といえばスイスだと連想する人は多いのではないかと推測しますが、スイスは積極的安楽死を認めていないのです。
また、スイスで自殺ほう助を受ける場合、厳しい条件と手続きをクリアしなければなりません。これは自殺ほう助の乱用を防止し、倫理的な基準を保ち続けるためには必要不可欠なのです。
では「積極的安楽死」を認めている国や地域はどこなのでしょう。「積極的安楽死」と「医師による自殺ほう助」の両方が容認されている国は、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、オーストラリアの一部、ニュージーランド、スペイン、コロンビアです。
「医師による自殺ほう助」のみを認めている国はスイスのほか、オーストリア、アメリカのオレゴン、ワシントン、コロラド、カリフォルニアなどの各州。
「そこまで多くの国や地域で安楽死が合法化されているなら、日本で認めても良いではないか」と思う人は多いでしょう。しかし、先行して安楽死が合法化した一部の国で起きている問題を、知ってもらいたいのです。
障害由来の「生きづらさ」が安楽死の選択につながる
オランダでは2012年から2021年にかけて積極的安楽死や医師による自殺ほう助の事例が約6万件ありました。そのうち約900件の症例報告がオンラインのデータベースに登録されており、必要があれば内容を確認できます。
900件の症例報告のうち、LDもしくはASD、あるいはその両方が原因とされる事例が39件登録されていたのです。
さらにその39件の事例のうち、8例が障害特性による「生きづらさ」、すなわち「世間や環境の急激な変化に順応できない」「友人を含む人間関係がうまく作れない」ことを苦にしたことで、安楽死や自殺ほう助を選択したことがわかりました。
また、上記事例のうち3分の1のケースで、医師が安楽死もしくは自宅ほう助を希望する障害者に対し、これらの特性が治療不可能であることを明確にしたうえで、改善の見込みがなく、死ぬことが残された唯一の選択であると評価し、安楽死を許可しているというのです。
「あれ?安楽死って、凄まじい苦痛があって、治る見込みがなくて、余命いくばくもない患者さんだけが受けられるものではないの?」と疑問に思った方もいるでしょう。
実は安楽死や医師による自殺ほう助は、もはや「耐え難い苦痛があり、治る見込みもなく、余命の短い患者」だけの適用ではなくなりつつあります。
安楽死を公的に実行している国の中には、「QOLの低下」が、安楽死を許可する基準にしているところがあるのです。
また、精神、発達、知的障害者については教唆や誘導の影響を受けやすい特性を持つことが多く、周囲とのコミュニケーションに問題を抱えやすいことが、最近少しずつ知られてきました。
そうした特性がある障害者の意思決定をどのように判断するか、または慎重に考慮するかといった検証や方法の議論が十分になされないまま、発達障害者の安楽死がすでに行われている現状があります。
なお、オランダの場合は安楽死事案の審査はあくまでも事後的になされるものであり、その段階では安楽死を希望した障害者はすでに死亡しています。そのため、もし審査が適切になされていない場合、もう取り返しがつかないことは皆さんにもおわかりでしょう。
オランダでの安楽死ではありませんが、ベルギーで行われた安楽死の審査に疑問が残るケースとして、精神障害と発達障害を持つティネ・ニースの安楽死があります。
ティネが安楽死の申請をしたときは38歳でした。彼女はこれまでに何度も自殺未遂を繰り返しており、耐え難い精神的苦痛があるとして安楽死を要望しました。
実は先進国の中で日本とフィンランドに次いで自殺者が多いベルギーは、精神障害者の最後の選択肢として安楽死を認めています。
ベルギーだけでなく、近年ではオランダでも、認知症患者や精神、発達、知的障害者が精神的な苦痛のみを理由とした安楽死が増えているのです。
ティネは家族に看取られながら亡くなったのですが、その後家族が「安楽死の承認プロセスに不信感を感じる」として、医師を相手取った訴訟を起こしています。
家族が特に問題視していたのは、ティネの安楽死の面談を担当したのが、ある論文で「ベルギーの精神医療はもう収容の限界を迎えている。死を望む精神障害者は終末期だと考え、死なせてやるべきだ」と語っていた精神科医でした。
この精神科医ギデリーヴ・ティエンポンは、ティネをASDと診断しながらも特にSSTやカウンセリングを提供することもなく、精神症状の治療さえしなかったのです。
加えて、ベルギー国内の精神障害による苦痛を理由とした安楽死申請の約35%から50%を、ギデリーヴひとりが承認した可能性があることを家族は知り、訴訟を提起したのです。
安楽死を願う障害者は、安楽死に関する審査を担当する医師が、善意から自分の苦しみに寄り添い、公平な審査を経て、安楽死を許可してくれるものと考えているでしょう。
しかし、安楽死の審査を行う医師が、いわゆる「偏った思想を持つ医師」だとしたら、どうでしょう。そして教唆や誘導のされやすい特性を持つ障害者に、安楽死へ導く「誘導」をおこなう可能性も否定できません。
安楽死の審査をおこなう現場に、危険な思想の持ち主など絶対に入り込ませない!という保障は、どの国もおそらくできないでしょう。
だからこそ、安楽死を国が承認するのは非常に危険だと思うのです。
「無益な治療論」がもたらす恐怖
実は、安楽死を実施している諸外国の中に、無視できないある言論が生まれつつあります。その名も「無益な治療(futile treatment)」論。
この「無益な治療」論、簡単に説明すると「完治が望めない患者を、効果が期待できない治療で生かして、無駄に苦しませるのはやめよう」という一見ありふれた議論。
ところが、この「無益な治療」論は議論を重ねるごとに、どうもおかしな方向に話が進み始めました。あるときから
「非常に重い障害のある人の延命治療について、医師サイドはたとえ求められても断固として一方的に拒否する必要がある」
と、主張する人々があらわれはじめたのです。
この「断固として一方的に拒否する」というのは、たとえ患者や患者の家族が強く望んでいたとしても、医師の判断により治療を控えたり完全に中止できるという、医療側に一方的な権限が起こりうるもの。
一方的過ぎる医療側の権限について、到底許容できないと感じるのは、わたしだけでしょうか?
なお、この「無益な治療」を肯定する法律はすでに存在しています。その中で特にラディカルなものは、テキサス事前指示法(通称「TADA」)。
TADAではテキサスにある病院の倫理委員会が終末期や治療が不可逆など「無益な治療」と判断した患者に対し、病院は患者サイドにその旨を通知し、一定の猶予期間を与えて転院先などを探させるものです。
しかし、もし転院先が見つからない場合は生命維持を含めて、一方的に治療を打ち切ることができてしまいます。
このTADA,テキサス以外のアメリカの州やカナダにおいても、類似するプロトコルが拡がりつつあり、すでにこの法律に関連する係争事件が多発していることは、日本ではほとんど知られていません。
こうした「無益な治療」論が起こる背景には、日本でもたびたび話題となる「社会保障コストの削減問題」があります。
カナダでは安楽死が合法化された後すぐに、もし毎年1万人の国民が安楽死を選択した場合、試算ではありますが、1億3000万ドルの医療コスト削減が可能になるとの報道がありました。
かつて「人工透析者は自業自得で高額な医療を受けているのだから、保険適応にするな」と暴言を吐いた議員がいましたので、そのうち日本でも「安楽死で社会保障コストを削減しよう」とのたまう政治家が、出てくるかも知れませんね。
安楽死後臓器提供の恐怖
ベルギーで安楽死を希望すると、安楽死の手続きに必要な書類の中に「臓器提供の意思表示」の紙面が必ず入っています。安楽死と臓器提供の両方をおこなうという意思表示をすると、臓器提供を円滑に行うために手術室のそばで安楽死をおこないます。
心停止を待って臓器を摘出するという「安楽死後臓器提供」は、日本では知られていませんが、実はベルギーでは2005年から、オランダでは2012年からはじまっています。
安楽死後臓器提供のドナーとなるのはALS(筋萎縮性側索硬化症)やMS(多発性硬化症)など疾患の患者が多いそうですが、そのドナーの中に精神障害者も含まれているというのです。
ベルギーの移植医たちは「これは自己決定の範疇だ」といいます。それどころか「一人で何人もの命を救う、利他的な自己決定だから尊重しよう」「安楽死後臓器提供はよいことだからもっと啓発して、何れは臓器不足の解消につなげられないか」という医師までいるのです。
2018年には米国の生命倫理学者ロバート・トゥルーグが、カナダの医師との共著論文で、安楽死後の臓器提供が出来るよう法改正を提案しています。
彼らは論文で、このような主張までしています。
「安楽死後の臓器提供ではドナーが亡くならないかぎり臓器摘出ができないという国際規範が存在しているが、そうなると臓器の劣化は避けられない」
「しかし、臓器提供後の安楽死なら、生きた状態で臓器を取り出せる」
「ドナーはもともと安楽死を望んでいる。臓器提供の意思があるのなら、安楽死の前に臓器摘出を行っても良いのでは」
どうせ死ぬんだから、死ぬ前に臓器を取り出したほうが、フレッシュな臓器が得られるではないか……といわんばかりの論調で、これでは人間が「医療資源」とみなされているかのようですよね。
そして何よりも恐ろしいのは、「自己決定が誘導や教唆によって左右されやすい」特性を持つ障害者が、こうした「どうせなら臓器をとってから死ぬほうが、もっと社会の役に立てるかも」という考えに影響され、餌食にされる可能性があることです。
実際「これまで社会的軽視を経験してきた障害者に『障害者は臓器でも提供して、人様の役に立ってから死ね』という誘導につながるのでは」と懸念するアメリカの医師がいます。</p>
社会的強者にとって都合の良い「社会的弱者の自己決定権」
わたしは以前「東京で問題視されている『立ちんぼ』の中には、軽度知的障害や発達障害者が多く含まれている。売春を罰するよりも福祉につなげる必要がある」と、ある掲示板に投稿したことがあります。
すると「知的障害者の自己決定権を無視するのか、自由に仕事を選ぶこともできないのか」と、すぐに返信が来ました。
知的障害者女性などの社会的弱者が、仕事が続かないことからやむを得ず売春することが、まだまだ世間には知られていないのだなと痛感しました。
が、同時に「女体を安く買いたい男性からしたら、丸め込みやすい知的障害の女性に売春していて欲しいよね。都合の良い『障害者の自己決定権』ですこと」と、いじわるな返信をしてやろうかと思ったものです。
社会的強者が社会的弱者の自己決定権を擁護するときは、それが「社会的強者にとって都合の良い『自己決定』だから」だとわたしは考えていますが、安楽死についても同じことがいえないでしょうか?
「生きる権利があるのと同じように、死ぬ権利もある」と安楽死推進派は主張しますが、障害者については安楽死後の臓器提供のため、社会保障コストの節約のため、そうした「『強者にとって都合の良い』死を選ぶ権利」になってしまう可能性もあるのです。
今回お話しした安楽死の事例ですが、いずれも安楽死の運用についてはかなりラディカル(急進的)な国のケースがほとんどです。
しかしながら、もしも日本で安楽死が合法となった場合、絶対にラディカルな運用にならないという保障は有りません。
さて、最後にもう一度確認します。あなたは、それでもまだ「安楽死の合法化」を望みますか?
ちくま新書 児玉真美著 安楽死が合法の国で起こっていること
【自閉症や学習障害の人たちが「安楽死」を選択した理由】
https://www.turtlewiz.jp
【臓器提供で人の役に立つ?社会保障費も削減?『安楽死が合法の国で起こっていること』】
https://www.huffingtonpost.jp
【基調講演】
https://npomars.jp


