社交不安障害とコミュニケーション~「苦手」であって「嫌悪」ではないこと

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出典:Photo by Angelo Abear on Unsplash

「社交不安障害」とは、人と話したり他人の視線を感じたりすることに不安や恐怖を感じ、そういった状況を回避しようとする精神疾患です。「対人恐怖症」と言えば聞き覚えがあるかと思います。今から私の体験談をふまえて、その内容について語っていきたいと思います。

幼少期と初めてのコミュニケーション

私は幼少期から人と接することが"苦手"というよりも"怖かった"です。特に、初めて保育園に通うとなった時には、それはもう大層泣きわめきました。親が手の届かないところにいるという恐怖、そして見ず知らずの人たちがたくさんいる中で1日を過ごすという恐怖を覚えています。とはいえ、独りでいるのも"怖い"というある意味矛盾した感情を抱いていたので、少人数とはいえ友達を作ることができました。ですが、このふたつの「怖い」という感情は今でもすぐそこに付きまとっています。

小学生になって身の回りの状況が一変し、またクラスに順応するのに苦労し、人間関係にも多少の変化がありました。とは言っても、それは自分の変化ではなく友達の変化でした。保育園のころは1つしかなかったクラスも小学校では6クラスもあり、そうなると交友関係もぐんと広がります。ですが、私は閉じこもってしまい、保育園のころの友達からあまり交友関係を広げられませんでした。その友達は別の友達と遊ぶようになり、以前よりも私と遊ぶ機会は減りました。

もちろん私も遊びたくなかったわけではありません。しかし「こんな私でいいんだろうか」とか「私なんかと遊んでもつまらないだろう」という考えが頭から離れず、友達の輪の中に入りたいと言い出せませんでした。ここでも「不安と恐怖」から行動に移せなかったのです。このようにコミュニケーションは「苦手」であって「嫌い」ではないというのも社交不安障害のポイントとなるのかなと私は思います。

それともう1つ苦手なことがありました。それは「電話」です。私は電話に出るのも掛けるのも全くできませんでした。「顔が見えないから大丈夫なのではないか」と思う人もいるかもしれませんが、逆なのです。相手の表情が見えないから、「今正しい会話が出来ているか分からない」のが私は怖いのです。また、このころは携帯電話が普及していない世の中だったので、家の電話から掛けなければいけませんでした。そのせいで最初に対応するのは大抵が大人の人でした。知らない人と特に目上の人と対話するのを想像するだけで身がすくむ思いでした。

「普通」と「普通じゃない」

そうして過ごしていく内に、小さいながらにも「自分は周りと比べると普通ではないんだ」とうすうす感じ取っていきました。他の子たちは周りの目をうかがったりせず、自分がしたいように普通におしゃべりしたり、普通に遊んだりしていました。そこには不安も恐怖もありませんでした。

そして普通じゃないと周りから弾かれるということも学びました。例えば、周りは赤色が好きと言っているのに、1人だけ茶色が好きと言ったとします。すると周りがその1人をからかったり、仲間外れにしたりするという構図です。私はこの「1人」になるのが怖かったのです。がんばって周りに自分は普通なんだとアピールしなければいけないと感じていました。「ミスをしなければ、周りから普通に思われるのではないか」という考えにいたったのですが、時間が経つに連れて「ミスをすれば周りから見放されるのではないか」という考え方に変わり、心の奥深くに根付いてしまいました。

親に迷惑をかけるのが嫌だったため、学校のことを聞かれても「大丈夫」と答えていました。

小学校、中学校、高校と年を重ねていって、不安感や恐怖感もより一層強くなっていき、身体と心は疲れていきました。身体は鉛をまとっているように重く、集中力もあまり維持できず何もかも中途半端になっていったのです。学業も部活も交友関係もどれも前向きにすることができませんでした。

限界と再出発

そして大学に進学して今までとの大きな違いにぶつかりました。それが「自主性」です。今までは先生や親に言われたことをしていれば問題なく過ごせていましたし、何かあっても周りにそれとなく流されていけばそれで済んでいました。しかし、大学に入ると自分が受ける授業も、自分の進む道もさまざまなことに自主性を求められたのです。

私の高校からは私一人だけがその大学に進学したので、本当に0からのスタートでした。大学生活初日である入学式で集まった大量の新入生に、先輩方のクラブや同好会の勧誘の勢いに圧倒され、入学式が終わるとすぐに逃げるように家へ帰りました。気づいたころには周りのグループはでき上がっており、クラブや同好会に入るのももう遅すぎる状況だったのです。こうして私の大学での第一歩は大分遅れてのスタートになりました。

共同作業を講義でする時に周りは親しそうにしているのを見て疎外感を感じたり、普通の講義の時はその疎外感から集団とは離れて席に着いていました。周りとは、普通とは違う学校生活送っている内にどんどん学校にいけなくなり、心の疲労がすごい勢いで悪化していきました。

そして、大学4年のときにとうとう爆発してしまったのです。就職活動と卒業論文の作成に追われていく内に、最初は駅に近づけなくなり、それから次第に家から出ることもできなくなりました。そこまで追い詰められて、ようやく親に自分が置かれている状態について泣きながら打ち明けました。

その後、心療内科の方を受診し、そこで初めて「社交不安障害」と診断され、大学を休学し療養に専念しました。初めの方は、外に出るのはもちろんのこと体を動かすことすらつらかったです。根気よく薬を服用し、自分のことを見つめ直していきました。

休学から半年後、なんとか大学に復帰しましたが、必要単位が足りなかったり、卒業論文の書き上げに多くの時間がかかったりと、2年かけてようやく卒業までかこつけることができました。そして心療内科の先生から就労移行支援事業所を紹介していただき、第2のスタートを踏み出すことができました。

今にして思えばサインはいろいろ出していました。けれどそれを「甘え」だとか「努力が足りない」だとか「できて当たり前」と思っていて親にも相談できず、むしろ「それがおかしいと察して欲しい」とまで考えていたのが、こんなことにまで発展してしまったひとつの要因なのかなと思ったりもします。

もしこれを見てる親御さんがいましたら、お子様のことをよく見てあげてください。何らかのサインを出しているかもしれません。電話を異様に怖がったり、家ではよくしゃべるのに外に出るとすごくおとなしかったりと、よく見てみるとサインが出ているかもしれません。案外子どもはいろいろ考えていますし、思っているより賢いです。だから親に迷惑をかけたくないと思って、自分は苦しい思いをしていても隠そうとします。それは根っこの感情は優しさから来ていると思います。その感情を考えてあげてください。

あいず

あいず

幼い頃からコミュニケーションに恐怖を感じていて大学4年の時に鬱屈していたものが爆発し、そこで初めて「社交不安障害」と診断される。28歳の現在で社会人1年生を目指して就労移行支援事業所で邁進中。 趣味はゲーム(FPSやソシャゲなど)とe-sports観戦

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