発達障害は個性か否か

発達障害

出典:Photo by Noah Silliman on Unsplash

定型発達の知人に自分の持つ発達障害のことを話すと決まって「私も多分そうだよ」「誰にでもあるよ」「個性だよ」「大丈夫だよ」といわれます。今回はこのような言葉に違和感を覚えた私が、発達障害は個性であるか否かについて書いていこうと思います。

私が診断を受けた経緯

私は幼少期よりADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム)の特性が強く見受けられました。物忘れ、整理整頓ができない、常に動き回っている、極度の興味の限局、こだわりの強さなど、見る人が見ればすぐ気づくほどだったと思います。

中学、高校、大学と進学する中で、それらの特性はおさまりませんでした。物忘れのせいで課題は提出できず、興味がないことは一切勉強しませんでした。しかし、留年の危機が迫ると本気を出し、乗り切れました。受験勉強をほぼしていなくても準難関私立大学に合格したり、就職活動の面接も特に苦労した記憶はありません。のちに分かったことですが、私は記憶力や言語能力が比較的高く、能力の低い部分を補って一見普通を装うことができていました。

しかし就職後は別でした。職場で求められたのは、曖昧な表現や言語外の意図の読み取り、複数のタスクの優先順位を考えたり、ミスなく業務をすすめることで、私はこれらが不得意なことを初めて自覚しました。この状況を改善すべくネットで情報収集していると、自分に発達障害の傾向があることが分かり、クリニックへ受診し、ADHDとASDであると診断を受けました。

   

発達障害の診断基準

発達障害特性がある人が全員発達障害と診断される訳ではありません。特性がありさらにそれによって、日常生活に支障をきたしていると認められた場合に診断名がつきます。ようは特性が強くても特に困っていない人は診断されず、診断を受ける必要もないということです。私の場合IQテストといくつかのチェックリストを用いた検査を受けました。その結果分野別のIQの差が大きく(発達にばらつきがある)、特性が生活に支障をきたしているとのことでした。

定型発達者の「私も多分そう」

定型発達者が口にする「私も多分そう」という言葉、これは恐らく励ましです。「みんなミスくらいするし気にするな」といった意味でしょうか。これは相手の優しさだと理解してはいるのですが、私はどうしてもいつも引っかかってしまいます。

そもそも「発達障害」とは定型発達の延長線上に存在する概念であり、明確な線引きはありません。誰でも多かれ少なかれ特性は持っています。ただその程度と頻度の問題で、さらに言うとそれで本人が困っているかどうかです。本気で困っていれば、病院に行くなり何かしらの行動に移すでしょうし、そうでなければ特に生きづらさはなく日常生活を送れているのではないでしょうか。ですので受診する程かどうかというのは重要な基準であると私は考えます。

「誰にでもあるよ」なんて言葉は「お前だけじゃないんだから甘えるな」とすら聞こえてしまうことがあります。また発達障害当事者は白黒思考に陥りがちですから「誰も自分のことなんて理解してくれないんだ」と脳内でネガティブに変換してしまうなんてことも少なくありません。私の場合、虚しさや孤独感を感じ、人間関係を全てリセットしてしまいたくなる時があります。

世の中の発達障害に対するイメージ

近年発達障害は注目を浴び、度々話題になっています。有名人が自身の発達障害を公表するなんてニュースもちらほら見かけるかと思います。多くの人が発達障害に興味を持つようになるのはとても嬉しいことですが、一部その広がり方に疑問を感じます。

ひとつはネット上にあるチェックリストです。簡単に利用できるうえに、抽象的で誰にでも当てはまりそうな項目が多いのが問題です。これが原因で、受診はせずとも発達障害を自称し、ときにはそれを言い訳にする人たちが多いように感じます。またそれらがSNS上で共有されてる現状があります。このようなことが発達障害をよく知らずに、障害そのものが軽視されたり、甘えだと認識されることに繋がります。

もうひとつは何かしらの才能を持った発達障害当事者が、テレビやYouTubeなどに露出することです。彼らは自分の才能を突き詰めて成功しているのでしょう。そして多くの場合、彼らは他の当事者にもそれが当てはまるかのように成功体験を話します。これにより世間からは、発達障害を持つ人はみな、何かしらの特別な才能を持っているものだと思われることも少なくありません。しかし実際は、才能や得意なことを見つけられずに苦しんでいる人が大多数だと思います。

発達障害は個性か否か

発達障害による生きづらさは環境に依存します。生活に支障をきたしていなければ問題でないし診断されない、つまり発達障害ではないということになります。では、生活に支障をきたさない環境を作ることは可能でしょうか。

先程のように才能が開花すれば可能でしょう。しかしそうもいきません。大多数の日本の企業では一般求人の場合、得意不得意に関係なく全ての業務を満遍なく、上手くこなす必要があります。では、障害者求人ではどうでしょうか。

障害者求人の場合、合理的配慮をえて就労可能です。しかし、給与での差はどうしても出てしまいます。このように日本において、大多数の発達障害当事者は定型発達の人と同等の生活をするのは難しいといえます。そこに差が生まれる以上、それはれっきとした障害であり、個性と呼ぶことはできないでしょう。

おわりに

発達障害は目に見えない障害であるゆえに、理解や配慮をえにくく、誤解されやすいです。しかし注目度が上がっていることは、悪いことだけではないと思います。正しい情報が世の中に浸透すれば、発達障害当事者の生きづらさは次第に改善すると思います。そのときそれは、障害という枠から外れ、個性へと変わるのではないでしょうか。

SHAMI

SHAMI

ADHDとASDどっちもしっかり目に特性あり。学生時代は困りごとが表面化しづらく気が付かなかったが、社会人になって生きづらさが爆発。診断を受けてからは自己分析を通して、生きづらさを軽減できるよう奮闘中。

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