施設コンフリクトに傾倒する「地域の防衛戦士」とは、こういう人です

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Photo by Steven Libralon on Unsplash

グループホームなどの障害者施設、とりわけ精神や知的が対象の施設を始めるときに問題となるのが、周辺の地域住民による過激な追い出し運動、すなわち施設コンフリクトです。今回は、施設コンフリクトに参加して追い出しを迫る、防衛隊気取りの反対住民がどういう心理で動いているかについてです。

反対住民にも「平穏に暮らしたい」という純粋な願いがあります。問題は、障害者や施設のことを「平穏な暮らしを妨げる敵」として認識していることにあり、ピュアな願望は排他的な敵愾心として表れています。そして、過度な攻撃性を表出する人々の例に漏れず、自分たちが完全な被害者だと信じ込んでいます。

説明会に来るのは反対派だけ

反対住民として施設コンフリクトに参加する輩の特徴ですが、とにかく地域から施設を追い出すことしか頭にないのが第一です。だから反対運動へお熱になっている訳なのですけれども。特に「暴れる場所」として好んでいるのは、建設予定地の近く、そして施設側が開く住民向けの説明会です。

一部の甲斐甲斐しい施設は話せば分かり合えると信じて説明会を開きますが、これは完全なる悪手です。反対住民にとって障害者施設の説明会は、暴言で威圧して反対派の結束を誇示し施設側の心を折るためのイベントでしかなく、端から話し合いや歩み寄りなど期待できません。実際に説明会でボロクソに罵られて地域を去った施設もあります。

正式な手続きを経てそこに建てる訳なのですから、本来なら説明会をわざわざ開く義理などありません。開いたところでやって来るのはほとんど反対住民だけでしょう。何故ならば、近隣に障害者施設が建つのに賛成ないし興味のない住民には、わざわざ説明会で話を聞く必要がないからです。そうして施設側が目にするのは、ただひたすらに露悪的で攻撃的な住民たちばかり。心が折れるのも無理はありません。

障害者施設の中で10施設に1施設は反対住民との軋轢を経験したそうです。残り9割はすんなり建っているので、わざわざ徒党を組んで排斥活動に精を出す方が異常であるとみて間違いはないでしょう。人として越えてはいけないラインを越えているからこそ、現実で攻撃に移っている訳ですから。

無視して恨みを買うのもよくない

正当性は施設側の方にあります。自治体などの行政も施設側を支えるべきで、変に中立を唱えず、極論ばかりの反対住民へ“指導”をしていかねばなりません。しかし、実際に地域に根を下ろすとなっては、建てれば解決という訳でもありません。納得のいかない反対住民たちが施設に対して逆恨みしてくるからです。

「地域で平穏に暮らすこと」が元々の願望である以上、警察沙汰で前科持ちになってまで職員や利用者の安全を脅かす勇気はないと思うかもしれません。ところがそれは誤解で、反対住民の怨恨と卑怯さを甘く見ています。近隣に障害者施設があるのを快く思わない反対住民は、ご近所トラブル程度の嫌がらせを執拗に仕掛けるガスライティングを仕掛けるようになります。具体的には、挨拶しても返さない、嫌味や罵声を浴びせるなどです。

証拠に残りにくい嫌がらせで精神を削るため、警察への相談は困難を極め、退院後の住まいとして移住した入居者が病院へ逆戻りするなどの実害も生じています。いくら施設側に正当性があるとはいっても、逆恨みに燃える反対住民を飼わされては困りますよね。建てれば済む話でないというのは、そういうことです。

ベールを剥がせば感情論の塊

なぜ施設に反対するのかを問うと、「正式な手続きを踏んでいない」「土地の価格が下がる」「事前の了解を得ていない」などと最初はもっともらしい理由をつけてきます。ただそれはほんの少しのデータで論破できるほど脆い外殻に過ぎず、剥がしていけば段々と本音が見えてきます。

他の理由として「町の治安が悪くなる」「子どもたちの安全が損なわれる」などもよく挙がりますが、この辺りになると障害者への偏見が見え隠れしています。特に「子どものため」は、願望を押し通したい卑怯者がしばしば使う常套句です。

色々と理由をつけてきますが、根底にあるのは「障害者が近くにいるなんて嫌だ」という醜悪で身勝手な駄々っ子じみた感情論です。いい歳した大人がこんな様子では見ている方が気恥ずかしくなりますが、本人もそれを理解しているからこそ「手続きが」「地価が」「子どもが」と必死で屁理屈をこねています。

こうも漠然とした不安と偏見にまみれているのは、障害者についての知識がないからだとよく言われます。ですが実際は、反対住民とて障害について無知なわけではなく、精神や知的の障害についてある程度の知識は教えられているそうです。何なら差別が良くないことも頭で分かってはいますし、障害者施設の必要性についても理解しています。

ある意識調査では、精神障害者向けの施設が建つことをどう思うかについて反対が13.5%でした。ただ、これは「生活圏外」での話です。質問を「あなたの生活圏内」に変えると21.0%、「自宅の隣」に変えると32.3%にまで増加していました。逆に賛成の方は圏外→圏内→隣で、36.4%→32.0%→22.6%と減少しています。この変化こそ、マジョリティたる健常者の皆様が持っておられる貴き魂の本音です。

頭で分かっていながら拒絶と排斥に精を出すのは、ひとえに感情面で「イヤ!」と納得していないからです。ゆえに「私は差別と障害者が嫌いだ」などという支離滅裂なことを何の疑いもなしに口走る訳です。「障害者差別は差別ではなく区別だ」と思っている線もあるでしょうが、この際どちらでもいいです。

足りないのは知識ではなく、人生経験のほう

反対住民に足りていないのが知識でなければ何かと言いますと、障害者と実際に関わった経験です。日本では、実に51.9%の人が「人生で障害者と関わったことが無い」というデータがあり、海外が概ね2~3割なのに比べると圧倒的です。(元の質問もよく出来ていて、「当事者または家族」という回答があるために、「関わったことが無い」と答えたのが健常者だけとなるようフィルタリングされています)

2人に1人が障害者との関わった経験を持たないというのは、説得力があります。社会から隔絶される成人後は勿論、未成年でも分離教育が敷かれており、ほぼ唯一のコンタクトである交流学級ですら低スクールカーストの一部にだけ押し付ける有様ですからね。「自分の人生に障害者は存在しない」と豪語する輩が出るのも無理からぬことでしょう。

こうしたスッカスカな人生経験を補ってあげるのも、地域に根差そうとする障害者施設にとって重要な役割といえます。いくら露悪的な感情論だけで動く反対住民といえども、強硬路線で返していては禍根を断てません。地域で憂いなく暮らしていくには、互いに良い関係性を築く「歩み寄り」が必要となります。

ただ、関わりについても単発のイベントをやるだけでは不十分です。季節行事程度の付き合いでは「非日常の別世界にいる住人」の域を出ません。障害者とて日常生活の中で当たり前に生活しているのだという、考えてみれば当たり前のことを知覚させるには、地域に溶け込む進んだアプローチを考える必要があります。これがまた厄介です。

施設側に歩み寄りの姿勢が求められる理由はもう一つあります。歩み寄りとは“互いに”寄り合わないと成り立ちません。すなわち、頑として認めない反対住民の方に非があることを示すには、施設側が誠実かつ健気に地域へ働きかけていればいいのです。施設について興味のない住民を味方に付けるなら、単発のイベントにも効果はあるでしょう。参考記事では結構ユルいことを書かれていますが、個人的には反対住民の側を孤立させるつもりでやらないと施設も障害者も安住できないと思います。障害者の権利を守り勝ち取るには、狡さや強かさすらも大事な武器となるのです。

参考サイト

「差別はよくないけれど、障害者施設建設には反対」施設コンフリクトをどう乗り越えるか
https://news.yahoo.co.jp


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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