発達障がい〜神からの贈り物〜

column1月号 自己肯定と自己評価について(『発達障がい~神からの贈り物~』第98回)

発達障害

画像:Photo by Marishka Tsiklauri on Unsplash


『発達障がい ~神からの贈り物~』 第98回 <毎月10日連載>

明けましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読戴けますようお願い申し上げます。

新年早々山登りで膝を痛めてしまいました。陸上部時代のランナー膝が4期ぶりに再発。もう完治したと思っていましたが、本年も変わらず怪我がちの一年になるのでしょうか?

さて、これまで自身を認めることについて話してきましたが、今回は自己肯定と自己評価について話してみたいと思います。

いつかの講演会での質問で自己肯定と自己評価の違いについて問われたことがあります。その際は質問の意図が解らず素直に答えられないと謝りましたが、時々そのことが思い出されだんだんと私の中で理解が深まっていきました。

結論から述べると自己肯定と自己評価は全く別物と捉えています。自己評価とは単純に言えば自己を評価すること、つまり自身に点数をつけるようなものだと考えてください。多くの人は自己評価が高いほど自己を肯定できると考えているようですが、私は違います。自己評価が高かろうが低かろうが自身の存在する価値が変わらない。この考え方が自己肯定であり、自身を認めること、或いは自己を受け入れることとほぼ同意語と考えています。

例えば自身の評価が100点満点の20点だったとして、それはそれで仕方ないことなので受け入れ機会があれば次はもっと良くなるように準備するよう心掛け、点数が悪くても自身を否定しない、これが自己肯定であり自身を認めること、これが私の答えです。結果が悪かった事実は変わらないし、嘘を言って見たところで心が哀しくなるだけだし嘘がバレれば信頼も失墜するしそんなことしたって良いことない。言い訳に明け暮れたって時間を無駄にするだけ。悪い結果は悪い結果として認め切り換える、これができる私を肯定する。

残念ながらこれまで相談を受けてきた多くの人たちは切り換えができずに引きずられてしまっていた。これは私の感覚では自己を否定しているように見えます。

更には自己評価と他者からの評価が大きく乖離している人たちも社会から孤立しやすい側面が顕著に見えます。「本当の自分を解ってもらえない」というような状況に陥っている人たちはきっとこのような状況なのでしょう。

因みに私も不当だと感じる評価をされることは稀にありますが、自身が誤解させているのかもしれないし評価する人の資質や視野に問題があるのかもしれない、好き嫌いや嫉妬などで故意的に低評価にされているかもしれない、など考えて一旦はその評価を受け入れるようにしています。私だって周りの様々な人たちを評価する際に完璧に評価できるわけではないので他人からの評価も同様と考えています。

更に、一旦受け入れてしまうと新たな自身の発見があったりもします。自身への評価は自身を成長させてくれたり、自身の視野が広がったりもする。そして、人間関係をこじらせたり社会孤立する可能性も激減します。

上記のように自己肯定と自己評価、更には他者からの評価を冷静に受け容れられるようになると社会でのトラブルが激減されるでしょう。一度それらについてゆっくり考えてみてはいかがでしょう。

本年もよろしく。



公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
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