私がうつ病になったわけ〜仕事へのモチベーションがないまま続けた結果(前編)
仕事私はいつも同じ所に立って、仕事をしていたかったのかもしれません。しかし、気がつけば環境が変わり、様々な変化に対応できない自分がいました。ずっと仕事へのモチベーションとは何だろうと考えながら、行きついた先はうつ病でした。
入社の経緯
就職超氷河期と呼ばれていた時期だったので、何とか新卒の派遣社員として退職する方の後任として、営業兼営業事務職で採用されました。仕事の内容よりも、とりあえず何でもいいから仕事に就きたかったというのが本音です。なので、最初から仕事へのモチベーションがあったわけではなかったですが、与えられた仕事は幸いにも嫌いじゃなかったので、徐々に仕事を覚えながらモチベーションを上げていき、このまま社会人経験を積もう程度にしか考えていませんでした。
最初は軽い症状
最初にうつ症状が出たのは、入社3年目の時です。私の同期には個性の強い人が数人おり、その中の1人が特に酷く、大雑把な性格が仕事にも影響し、社内の他部署からクレームがくることが多く、そのクレームも本人にではなく同じ部の同期である私に言われることが多くなってきました。初めのうちは、その同期にクレームがあった事を言わずに、代わりに私が処理をすることで、対処していたのですが、だんだん私の仕事にも影響してくるようになり、また何故私が同期の尻拭いをしなければならないのかと、だんだん苛立ちを覚えていきました。
また、その同期は常に上司に不満を持っていました。仕事ができないので、上司に相談しても仕方がないと考え、それがいき過ぎたのか、精神的な病気になったといい、休みがちになりました。私は「なんで?」と思いましたが、同期が休んでいる間は、私の気持ちは平穏でいられたのです。しかし、同期が出社してくるとイライラ感が増して、また尻拭いの連続でした。
ある日私が出社すると、同期が休職するにあたり、自分の仕事のファイルを私の机の上に全部山積みしてあったのです。さすがにこの光景を見た時は、なんで私ばっかりに押し付けられるのかと涙がとまりませんでした。
ここで我慢の限界がきました。これまで、同期の仕事の尻拭いを常にやっていた私は、上司からもその同期のやっていた仕事を私が一番理解していると思われていたのです。その時、自分の仕事でも精一杯だったので、これ以上の負担が増えると私も壊れると感じました。上司に仕事の説明はするけれど、仕事を引き継ぐ余裕は無い事を伝え、部内の他のメンバーで分担してもらうことになりました。
そして、同僚の勧めもあり、私はようやく精神科に通うことを決断したのです。この時は「うつ状態」との診断で、抗不安薬を服薬し始めました。
同期が休職して、仕事の負担も減ってからは私もかなり落ち着き、平穏に仕事をこなせるようになっていました。また、同期が退職すると決まった時には、体調や気持ちも改善し、うつ症状の原因が無くなることで治ったと自己判断し、服薬も通院もやめてしまいました。
今振り返ると、ここで自己判断せずに治療をきちんと受け、対処ができていれば、後にふりかかるうつ病にはならなかったかもしれません。
2度目の変化
次に自分自身の体調や気持ちの変化が起きたのは、入社6年目の頃。親会社が変わり、転籍することになり、システムも変更され、会社のルールも変わっていき、営業をしていた私は顧客と会社との間で板挟みになる事が多くなっていきました。親会社の合併もあり、会社風土の違いを突きつけられ、気持ちが追いつかないまま、ただ目の前の仕事をこなすだけが精一杯でした。仕事へのモチベーションが下がり始めたのです。
営業として顧客の要望を通そうとすると会社から怒られ、会社の意向を顧客に伝えると「今までならやってくれたのに」と言われ、私はどうすればよいのかわからず、上司に相談もできず、どんどん溜めこんでいきました。会社帰りにわけもなく、泣けてくる毎日が続きました。
そんな日々を私はまた別の同期と一緒に励まし合いながら、仕事をしてきました。ですが、その同期は不幸にもいなくなってしまったのです。
私はショックのあまり、何も手につかなくなりました。仕事の価値を見失い、何故そこまで頑張って働く必要があるのかと考えていました。仕事上、最後に会ったのは私なのに、何も言ってもらえなかったことを責め続けました。それでも、日々の仕事はやってきます。誰も止めてはくれません。完全に仕事に対するモチベーションは無くなりました。それでも仕事を辞められなかったのは、生活をしなければならなかったからです。