休職と復職をくり返す3年
仕事出典:Photo by Mohammad Bagher Adib Behrooz on Unsplash
大学院を修了し、希望する会社へ入社した翌年の秋に、うつ病と診断されました。 まさか自分がうつ病になるとは思ってはおらず、どうしたらいいのか、もがいてきたことを振り返ってみようと思います。
不調の始まり
入社して2年目の夏の終わり、ずっとついていた先輩の産休と、優秀な先輩の異動が同時に起こり、業務負荷が増えて独り立ちをすることになりました。また同じころ、他の同僚も忙しくなかなか相談の時間を取ることも叶わず、仕事がうまく回らなくなり始めました。
自分で感じた最初の違和感は、ミーティング中に感情のコントロールができなくなり急に泣き始めてしまったこと。「どんなに悔しくても仕事中は感情を出すまい」と思っていたのにも関わらず、こらえようと思えば思うほど涙が止まらなくなったのを今でも鮮明に覚えています。
次の違和感は、お昼の休憩時間中に「昼ご飯を食べるよりも仮眠に充てたい」と思い、それが常習になったことです。疲れが取れず、頭も冴えないので、空き会議室で横になり時間いっぱい仮眠をとっていました。
ある日、午後の業務開始時に席に着くと、上司から「酷い顔色をしているから、今日は早退してゆっくり休みなさい」と声をかけられ、早退することになりました。
ゆっくり休んだ翌日、朝起きると、急に会社にいけなくなったのです。
何日か休んだ後、そのことについて産業医と面談をすることとなり、「専門医にかかった方がいい」とアドバイスをもらいました。
初診で見てもらえる心療内科を探すも、家の近所は初診を受け入れておらず、他のところもすぐに見てもらえるところはなく、結局2週間後に予約を取りました。
有給休暇の残りが無くなり、欠勤になってしまったのを覚えています。
その後の診察で診断書が出され「今は休んだ方がいい」と言われるまま休職をすることになりました。
そのときは「1か月ぐらい休めば、また前のように元気に働ける」と思っていました。
休職をする
このときの診断名は適応障害。休職期間の過ごし方として、生活リズムを崩さないこと、それから好きなことをすること、この2点を勧められたのを覚えています。
疲れがどっと出たようで、1日の大半を寝て過ごすことになりました。そうなるとすぐに生活リズムが崩れたのです。
予定ではすぐ復帰するつもりでしたが、2週間後に再診した時には薬が効いたように思えず「何も変わってないな」と休職を延長しました。
しかし「このままではまずい」と思い、休み始めてから1か月後に、しっかりと休養を取るため、実家に戻りました。
実家に戻り転院すると、その先で何回か診察された後にうつ病と診断され、薬も変わりました。
この診断は、私に納得感をもたらしました。「休職にいたるまでの自分は、どんなところがいけなかったのか」と考える毎日から「あったことはしょうがない、運が悪かった」と思えるようになったのです。
とはいえ、家ではナマケモノ状態で、何かをするわけではなく、ひたすら休み続けました。
普段はなかなか会えない友人と会いましましたが、こちらは休職していて近況も伝えづらく、次第に外出もしなくなっていました。
実家でただ時間を過ごす日々が続きました。両親から生活を改めるようにいわれもしましたが、責め立てるようなことはなく、そっとしていてくれたのを感謝しています。
復職をする
冬が過ぎて春になったころ、変化が起きました。毎日何もしていなかったのですが、何かをしたくなったのです。主治医いわく「症状が緩和されてきた」そうです。
まず真っ先に思いついたのは復職です。「いつまでも休んでいられない、あんなに忙しい職場だったのだから、人手不足も続いているはず、私も働こう」
実家を離れ、会社に復帰する準備を始めました。戻ってからの転院先探しや産業医との面談、復帰日程などを細かく決めていきました。
また上司との面談では異動を勧められ、受け入れ部署との調整の兼ね合いから、復帰をするころには夏になっていました。
休職期間は8か月。当初思っていた1か月より、はるかに長く休んでしまったのです。
会社の制度では慣らし出社が利用でき、2週間実施しました。勤務上は休暇なので、業務をすることはできず、出勤の練習が主な目的です。職場に来て、座って、帰る。当たり前にできていたことも、慣らし出社初日はとても怖く感じました。
この復職に前向きになれたのは、在宅ワークの存在でした。休職中にコロナが本格的に流行り始めており、私の会社でも「在宅ワークや休業をするように」といわれていたのです。長期休み明けに、この形で働き始められるのは、願ってもないチャンスでした。
上司も業務も新たになり、慣れるためひとつずつ着実に進めていくのは大変でしたが、「休みの分を取り返すぞ」ともがいて仕事をしていました。
再休職をする
仕事をしても半年以上休んでいた私は、なかなか仕事のカンを取り戻すことができませんでした。「前と同じように働けば、また休職してしまうのではないか」と考えしまい、ブレーキのようになっていました。
また服薬の影響から、眠気が強く出てしまい、コントロールに悩んでいました。
「前のように活躍できるはず、今はまだカンが戻ってきていないだけ」と思っていたのです。
今考えれば当然できないのです。異動もして職場も変わっているのだから、前と同じように働けるはずがないのです。またうつ病にかかる前と後なので同じには戻れません。
無理をして働いていたようで、次第に体調を崩しました。朝起きられなくなり、会社にいけなくなりました。
このころはコロナ禍による休業やリモートワークもあり、どうにかこうにかやりくりをしていたので、欠勤という形はありませんでした。しかし、仕事はできていません。
仕事をこなす実力も体力も尽き、気持ちの面でも働ける状態ではないことを認識して、年末に再度休職をする決意をしました。復職期間は半年でした。
再休職のあいだ
気持ちが回復したら復職できる、と思い復職をして失敗してしまったので「今回は生活リズムづくりと体力づくりが重要だ」と思い注力しました。
どんなことをすればいいのか、ひたすらインターネットで調べていました。このときに「就労移行支援」という言葉を知りました。
色々調べてみると、就労移行支援の内容は仕事と同じように朝から活動をすることがメインだと解釈をしました。自身の障害・病気やビジネスマナーを学ぶなど他にも内容は様々。「じゃあ私も、家で午前から活動したらいいんじゃないか」と取り組んでみることに。
活動といっても、家事をやったり、好きなことをしてみたり、今までは好きな時間にやっていたことを、昼の時間にやろうという試みでした。
また自身の結婚も重なって、入籍や結婚式までの膨大な準備時間にも充てていました。仕事は休んでいるけれども、日中は何かを活動できていたと思います。
趣味のゲームをする時間は、仕事の終業後を想定して、取るようにする工夫もしていました。
このときは「服薬しながら仕事を続けていても、薬に頼った生活になる」と思い、医師の指導の下で減薬もいっていました。
そして結婚関係の行事と減薬も落ち着いた後、自分のペースを保てていると確信できたので、再度復職すべく会社に掛け合い、再び夏に復帰することに。
また「次に休職をすることになったら、この職場は辞めよう」と決めていました。2度目の休職期間は半年でした。
再復職をする
2度目の復帰は同じ部署にそのまま戻ることになりました。通勤も前の復帰で慣れた道をいき、会社に着けばオフィスに自分の座席もあり同僚もよく知っているメンバーです。
今回こそはと復帰に慎重になりました。終業時間は、最初の2週間は午前のみ、次の2週間は時短勤務、1か月たってようやくフルタイムに戻る、と段階的に増やしました。前回おこなった慣らし出社とは違い、正式に復職をしているので、業務にも取り組めたのです。
また、前回は慣れないリモートワークもあり、ペースを乱してしまったので、出社のみにできるように上司と調整をおこないました。
最初の滑り出しは好調でした。徐々に業務量も増えていき、難しいことに取り組むことも増えました。できないことも多かったですが、なんとか同僚に頼りながら形にしたのです。
再々休職をする
ある日、上司から「君の年次を考えるともっと出来ないと困る」といわれました。休んでいた期間もあり、年次相当の仕事はできませんでした。また「与えられている業務はこなせている」と思っていたので、困惑しました。
次に「こんな簡単な仕事もできないなんて何をやっていたの」といわれ、心がぽっきり折れました。「上司の考える私の仕事のレベルと私が思う私の仕事のレベルの差が大きすぎる」と感じられたのです。
最後に「君は自分ができる人だと思っているでしょ、だから人を頼らないんだ」ともいわれました。このことで私はビジネススタンスさえも否定された気持ちになりました。「仕事の内容の出来以前に、仕事への向かい方さえもできていない」と言われたと思ったのです。
何度もこれらの言葉について考え、徐々につらくなり、自信もなくなっていきました。
そして「仕事を辞めた方がいいのではないか」と思うようになったのです。
働かないとお金に困るので、転職を考え始めました。しかし、仕事をしながら自分と向き合う時間を取ることは容易ではなく、同時に体調も崩しはじめたのです。
冬は私の中では鬼門の季節。この時期がしんどくなりやすく、2度の休職もきっかけなっていたからです。この時もメンタルの調子が悪くなるにつれて、体調を崩すも悪くなる悪循環を繰り返していました。
そして、にっちもさっちもいかなくなり、年明けに服薬の再開と再び休職をすることにしました。
再々休職中の現在
これで3度目の休職。前回復帰するときに「仕事をやめる」と決めたので「辞めるために休む」つもりでした。
また今回の休職では就労移行支援を利用したい、と考えていました。「もっと自分の病気について知り、社会に復帰する糸口になる」と思ったからです。
利用をはじめて「病気を知るというよりも、もっと自身を知る必要がある」と気づきました。
例えば「どんなときに無理をしてしまうのか」「どんな時に体調が悪いのか」今までなんとなく思っていたことの前兆を捉えたり、対処を考えたり。「社会に適応するために自分を知る」をテーマに毎日を過ごしています。
まとめ
自分を知ることの中で、今できることは過去の自分を知ろうとしなかった、ときのできごとを振り返り、今後に活かすことだと思っています。
この経歴を書き出す中で自分の中でも新たな気づきがありました。書き出す中で辛くなる部分もありましたが、過去の自分を知る機会になりました。
私はいまだ休職生活の正解はわかりませんが、今回の期間で自分を知り今後に繋げられたらいいなと思っています。
うつ病