日本の精神医療が“大人”になる日「宇都宮病院事件」

暮らし
Photo by National Cancer Institute on Unsplash

日本の精神医療は戦後から長い間未成熟で、患者の権利を蔑ろにすることなど当たり前でした。しかし、仮にも先進国の医療である以上は、いつまでも“子ども”のままではいけません。昭和の精神医療は、国内外から「大人になれよ」と言われ続けた時代でもありました。

1968年にWHOから、1969年に日本精神神経学会から批判が相次ぎ、1975年にはロボトミーを実質禁止する決議などが下されました。それでも“大人”になれない精神医療は、遂に大きな事件を明るみにしてしまいます。1983年に起こった「宇都宮病院事件」です。

宇都宮病院の生まれ

1950年代に薬物療法が確立されると、これまで暴れる患者を全力で拘束するしかなかった病院スタッフへの負担は大きく減りました。そのため少ないスタッフで多くの患者を“管理”できるようになり、病床数が激増します。人件費の低下と受け入れ患者数の増加によって、精神科は「儲かるビジネス」へと転換しました。一方で、ベッドに対して患者が多すぎる実情から、「こんなものは牧畜業だ」と揶揄する声もありました。

この頃増加した精神科医の大部分は、金目的で内科や産婦人科から移って来たろくでなしでした。宇都宮病院(正式名称:報徳会宇都宮病院)を立ち上げた石川文之進(ぶんのしん)氏もまた、内科から精神科に鞍替えした医師たちの一人でした。

石川氏は患者を治すことよりも、金と人脈を優先するタイプの医師でした。自身は東大医学部と親密な関係を築き、報徳グループとして多くの事業に手を出し、弟までも宇都宮市議として市政に送り込んでいきました。また、人件費の更なる削減を目的に定年を早め、安く雇える若いスタッフへ積極的に交代しようともしていました。

事件当時は920床の大病院となっており、24人オーバーの944人が在院している過密振りでした。膨大な患者数に対し、資格のあるスタッフは精神科医3名、看護師6名、准看護師61名しかおらず、一部の入院患者まで人員として駆り立てる始末だったと言います。ポル・ポト政権の少年医を彷彿とさせますね。

石川帝国

宇都宮病院は、石川氏を頂点とするヒエラルキー構造となっており、石川氏からスタッフへ、スタッフから患者へと暴力による支配が連鎖する環境でした。

1983年、同病院の患者2名が看護師からの暴行によって死亡し、翌1984年に発覚しました。朝日新聞が取り上げて栃木県警が動く事態となったこの事件こそ「宇都宮病院事件」です。事件前に200人以上の患者が死亡し、少なくとも19人が不審死だったことも発覚しますが、こちらは立件出来なかったようです。寧ろ、閉鎖病棟から2例の傷害致死事案が漏れたという方が的確なのかもしれません。

やがて石川氏も逮捕されました。ただ、容疑は患者が他の患者に医療行為をするよう指示した「無資格診療指示」、他に無許可で死亡患者の脳を摘出解剖したり法人税を脱税したりもありましたが、暴力行為そのものでの起訴はされませんでした。

この事件は国連人権委員会にまで取り上げられ、1987年に精神保健法が改正される契機となりました。改正前は隔離が当たり前だったのが、改正後は入院患者の人権を尊重する方向性にシフトしています。昭和最後の年、日本の精神医学はようやく近代化の第一歩を踏み出したのですが、その裏には数多くの犠牲があった訳です。

一方、軽いながらも実刑判決と医業停止処分を受けた石川氏は、これを機に院長の座を退きます。しかし、報徳会のオーナーとして宇都宮病院での勤務を継続しており、90代を超えた今でも宇都宮病院ともども健在で反省の態度はありません。

「オードクター」

90代を超えてなお前線に立つ石川氏は、オーナーでドクター、略して「オードクター」のあだ名で呼ばれているそうです。そして、相手の人格や人権を一顧だにしない姿勢は全く変わっていません。

ある患者はこう言いました。「いきなり都内から栃木に運ばれ、納得いく説明もなく閉鎖病棟に入れられた。診察も好き勝手言われるだけで、大量の薬を滅茶苦茶に処方してきた」

別の患者はこう言いました。「患者の名前は覚えないし、診察は同じ話の繰り返し。何の説明もなく朝晩10錠もの薬を処方された」「いつも大声で、患者を笑いものにしてばかり。他人がされて嫌がることを積極的にするような主治医だった」

両患者とも、石川氏から大量の薬を処方されたという共通点があります。オーバードーズさせることで何かしらの中毒症状を起こさせ、病棟に繋ぎ止める意図でもあったのでしょうか。

今は医療保護入院を悪用

精神保健法が改正されてもなお、石川氏が居場所を失うことはありませんでした。寧ろ、「医療保護入院」という新たな武器を見つけて活き活きしているようにも思えます。医療保護入院とは、入院の意思決定がしづらい本人に代わって保護者1人と認定医1人の同意で入院できるようにする制度のことです。

この制度は穴だらけと言ってもよく、家族と認定医がグルになったり認定医が家族を騙したりすることで、精神疾患の既往歴すらない人までも精神病棟へ“監禁”できる可能性があります。韓国では類似の制度が人権上の観点から違憲とされました。加えて、石川氏は認定医としての資格を有していません。

江口實(みのる)さんは、長男と石川氏の結託によって宇都宮病院に“監禁”させられた一人です。長男は江口さんからの借金を踏み倒すために医療保護入院制度を使い、実の父親を「認知症」に仕立て上げて宇都宮病院の隔離病棟へ送ったのです。当時の江口さんは80歳近い高齢ながら、認知症の兆候はありません。看護師のキャリアを持つ妻や次男がそう訴えてもなかなか事態は好転せず、江口さんが解放されたのは1か月後の事でした。

病院での江口さんは隔離病棟に閉じ込められ、そこで大量の薬を処方されました。既に高齢である江口さんへも容赦なくオーバードーズさせていったのです。江口さんは「目が見えづらくなり、手が震え始め、歩くのも大変になる。手すりにつかまらないと便座から立てない。ヨダレも止まらないし、失禁だってした」と、オーバードーズの影響を振り返ります。

医療保護入院制度を悪用したい人間は、「民間移送業者」をよく頼ります。言うなれば「引き出し屋」のようなもので、早朝に奇襲してターゲットを拉致し目的の病院へ連れて行くのが彼らの役割です。拉致とはいっても「身辺警護」を装ったり警察OBが協力したりするので、警察さえ手が出せません。石川氏のような入院費目当ての医師にとっても“有難い存在”なのでしょう。

「宇都宮病院事件」は間違いなく、精神医療の歴史における汚点だった筈です。しかし、その汚点を作った元凶である男は医師を辞めておらず、不必要な強制入院とオーバードーズという違った方向性での虐待と金儲けを続けています。昭和の時代、国内外からその未熟さを叩かれ続けた日本の精神医療は、本当に“大人”になれたのでしょうか。


参考サイト

報徳会宇都宮病院に今も君臨する95歳社主の正体
https://toyokeizai.net

「患者を鉄パイプで殴り暴行致死」“誤認入院”で提訴『報徳会宇都宮病院』の恐ろしすぎる悪名
https://bunshun.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

精神障害

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください