どうして「鬱の危険サイン」は自己判断で気づくことができないのか

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出典:Photo by Diana Polekhina on Unsplash

私は話しやすい相手と思われているのか、知人から仕事の愚痴を聞くことが多々あります。

昔は頼っていただけるのはありがたく、その人の考え方に興味があったため話を全部聞いていました。しかし、自分のコンディションによって聞けるときと聞けないときがあります。聞いていて体調を崩してしまうこともあり、今では余裕のあるときだけ話を聞くようにしています。

それに愚痴なので特に改善点を求めてないものが多く、吐き出したいだけであることがほとんどです。

しかし、たまに「これは放っておくのは危険じゃないか」と思うようなものもあります。そして、そういう人ほど助けを求めるわけでもなく愚痴で話を終わらせてしまうのです。

身体症状の変化という危険サインの見逃し

例えば「上司が無理難題を押し付けてきてムカつく」と「上司が無理難題を押し付けて来ることが常習しており、いつその無理難題が来るか怖くてその場から動けなくなるほどの過呼吸が止まらない」ではただ精神的ストレスを発散させて喋っている前者に比べて、精神的ストレスで身体症状が出てしまっている後者のほうが危険ではないでしょうか。

しかしそれでも後者のように身体症状を訴えた人でも「自分はまだ頑張れる」と思い込んでいることが多くあります。もしこちらが「一度休んだほうがいいよ」と提案しても吞むことはありません。

友人や身内がそんな状態になれば心配にはなりますが、私は医者でも何でもありません。それ以上声をかけることはありません。そしてさらに心身ともに悪化していく様を、傍から「まぁそうなるだろうな」とただ眺めて終わります。

しかし「もっと早く対処しておけばなんとかできただろうに」と歯がゆい気持ちを抱えないことはありません。

そのとき疑問に思うのです。なぜ支援や情報が必要な人ほど、こんなにも視野が狭くなり、助かるタイミングさえも自ら絶ってしまうのでしょうか。

届かないアドバイス

確かに「なんでわかってくれないんだと歯がゆい思いをしている」こんなことを言っている私ですが、身体症状が出ておきながらも、ぎりぎりまで仕事を休まなかったという過去はあります。

そのときは「職場に迷惑がかかる」ということを心配していたり「自分はこんな程度の仕事もこなせないわけがない」と自分の体調の悪さを省みることができず、能力を過信していました。

それに周りから「すぐに休みなよ」や「そんな会社辞めればいいのに」など言われていたらしいのですが、それを知ったのは問題であった会社を辞めて、ある程度時間が経ってからでした。つまり鬱が進行している間はアドバイスが耳に入っていないのです。

もしかすると、最初に挙げた人たちも、こちらの声が耳に届いてないのかもしれません。それに鬱が進行することで視野が狭くなっているので多くの人の声を記憶することができないのかもしれません。

もしそうだとしたら、自分が勝手に歯がゆくなってストレスを抱くだけ損だなと思うことができます。

体調に支障が出てもアドバイスを絶ってしまうような、そんな状況にはなりたくないと自分なら思います。

それでも、自分がそうなったなら一休みして、ひとつひとつ物事をすすめ、周りの誰かがそうならば暖かい目で眺め、その人の行動や反応で一喜一憂して自分のストレスになるのならば、少し距離を置いてみるといいのかもしれません。

不思議なものですが、距離と時間が大事なんだなと考えさせられました。

濃茶

濃茶

学生時代から現在までうつ病を治したり再発させたりしてのんびり生きています。濃い味のお茶が好き。
コロナを経てウィンドウショッピング大好きインドア趣味人間になりました。
動物の赤ちゃんやゆるめなキャラクターが大好き。相変わらずぼんやりしています。

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