「発達障害アンチ」が醜聞(スキャンダル)にならない現実

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Photo by Annie Spratt on Unsplash

過去の失言や非行や不倫といった醜聞は、下手をすれば一生本人について回ります。そのことでいつまでも粘着したり私刑を加えたりするのは、法治国家としてあるまじきことなのですが、感情が昂るあまり抑えきれないのがマジョリティとなるでしょう。その基準や閾値は人によっても異なり、ある件では「そこまで責めるのはどうなのか」と穏健にしていたのが、別の件では「これは許されない、徹底的に追い詰めろ!」となるのも良くある話です。

とはいえ、醜聞やデジタルタトゥーとして残りやすいものは決まっています。失言、不倫、不適切行為、果ては犯罪と、一生背負う十字架となり得るのはある程度決まっているのです。裏を返せば、醜聞に値しない「やんちゃ」「出来心」で済まされることも結構あり、そういう出来事は咎める方がおかしく思われてしまいます。

醜聞に値しない行為の筆頭こそ「発達障害アンチ」でないかと思います。発達障害が相手であれば、失言や暴言は「ちょっと強い言葉」、偏見や差別は「やんちゃ」で済まされ、十字架もスティグマも一生いじられる要素もありません。寧ろ、「言いづらい事をよく言ってくれた!」と喝采されることさえある印象です。

私が知っている限りで、発達障害への偏見や暴言によって炎上した人間は3,4名ばかり存在します。しかし、そのいずれもが一瞬で鎮火し、スキャンダルにも一生のスティグマにもならず、なあなあで済まされました。今でも彼らの風聞が伝わるたびに、「発達障害者は襲われるぞ~、ぎゃあああwww」と茶化してやりたい気持ちを抑えています。

不快だからといって不幸を願うのが健全でないことは分かっていますが、言いっ放しの勝ち逃げで終わるのもハッキリ言って癪です。恥じて反省した経過が分かれば構わないのですが、そうでなければ「発達アンチの○○」と一生呼ばれていてください。発達障害者はパブリックエネミーではありませんよ。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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