意外と歴史が古い!?自分で万引き行為が止められない「クレプトマニア」の実情と治療方法
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出典:Photo by Joshua Rawson-Harris on Unsplash
少々古いデータですが、2014年に全国万引き犯罪防止機構が発表した「全国小売業万引き被害実態報告書」によると、万引き被害額は年間で推定857億円にものぼるといわれています。
これまで、万引きについては「道徳的にモラルが欠けた人が起こす犯罪」と捉えられてきましたが、近年、もはや自分の意志では万引きをやめられない「クレプトマニア(窃盗症)」が注目されています。
万引きにまつわる歴史
イギリスで商品を盗むものを意味する「ショップリフター」という言葉が誕生したのは16世紀、フェアリー・クイーンと呼ばれたエリザベス一世が君臨する時代です。
1699年、ショップリフターの万引きがあまりにひどいため、英国議会は窃盗を厳罰化する法律を可決しました。
この法律は、5シリング(現在の価格価値として6,300円ほど)以上の盗みをすると絞首刑となるもので、のちに「血の法典」とも呼ばれるようになります。
こうした厳しい処罰を設けるものの、万引きは減るどころかどんどん増加する一方でした。18世紀、絞首刑を宣告された囚人の3分の2は窃盗犯だったといわれています。
1810年にホイッグ党員のサー・ロミリーが「ショップリフター」を処刑しても犯罪は減らないという統計と実例を発表しました。
その時は残念ながら「血の法典」は廃止されなかったのですが、ロミリーの友人がその遺志を継ぎ、窃盗での処刑を止めるよう活動。ついに1832年に万引きが死刑の対象から外れたのです。
窃盗が病気として言及され始めたのは19世紀以降です。1816年、アンドレ・マティが「クロプマニア(窃盗症)」という概念を提示。
1838年、フランスの精神医学者ドミニク・エスキロールが窃盗症の研究に乗り出し、病名を現在使用されている「クレプトマニア」に変更します。
エスキロールは、患者が窃盗に走るときに患者がその行動をどれくらい自覚しているのかという点に焦点を当てた研究を行い、行動に至る過程を「本能的で抑えがたい窃盗志向」と表現しました。
2013年版のDSM(米国精神医学会が発表した、精神疾患の診断と統計の手引き)第5版では、クレプトマニアは「秩序破壊的・衝動制御・素行症群」の中に分類されており、このカテゴリーには放火癖なども入っています。
話はもどりますが、サー・ロミリーの「ショップリフターを処刑しても万引きは減らない」という言葉について、現代でこのまま使用すると「病気だから服役しなくていいというのか」とクレームになりそうですね。
わたしなら「クレプトマニアの患者に処罰だけ課しても万引きは減らないので、万引きを二度としないよう治療しながら、併せて罪を償わなければならない」と文言を変えたいです。
これはクレプトマニアだけでなく、痴漢や盗撮などを自分で止められない行為依存の患者にも当てはまると思います。
たとえ疾患が影響しているとはいえ、やっていることは犯罪であり、確実に被害者が出るのですから。
クレプトマニアを含む、依存症治療の入院施設を設けていることで知られる竹村道夫氏も「本人に法的責任があるので、病気を窃盗行為の『免罪符』にはさせない」と話していることですし……</p>
クレプトマニアの万引きは「衝動」に突き動かされている
ある医師が自身が診察した160名のクレプトマニア患者を調査したところ、患者の主訴には以下のような共通点がありました。
1、患者たちは万引きが犯罪だとわかっているし、万引きはもうしたくないと考えている。
2、万引きすることでその先にどんな結果(逮捕、拘留、服役など)が待っているかもわかっている。実際に服役を含む処罰を受けた経験者も多い。
3、でもいつの間にかまた万引きを繰り返してしまう。なぜ自分が万引きを繰り返すのか分からず、万引きを繰り返す理由もうまく説明できない。
4、万引き以外の犯罪に手を染めたことはない。
要するに、患者たちは何かほしいものがあって万引きをしているのではなく「商品を店から失敬する行為そのものが止められない」という、嗜癖依存におちいっているのです。
つまり、通常の万引きとクレプトマニアの万引きは、全く違うものと考えなければなりません。
通常の万引きの場合は、あらかじめ「どこの店でどんなものを盗んでやろうか」と計画をしてから行動に移します。
そしてターゲットとなる商品を探している間も、ターゲットを見つけて鞄などに隠し、店外に出るまで常に周囲を警戒し続けます。
その際「もしかしたら『万引き犯」として(店員から)マークされているかも」と判断すると、万引き行為を中断、あるいは完全にやめることができます。
ところが、クレプトマニアの場合は事情がかなり異なります。
まず、クレプトマニアの場合「店に入るときには万引きをするつもりが全くない」というケースと「店に入る前から、万引きをしたいという激しい衝動が起こっている」というケースに分かれます。
「後者の場合は、通常の万引きと変わりないのでは?」と思う人も居るかもしれませんが、実際のところ「この店なら近所だからすぐ行けそう」など、必ずしも欲しいものがあって犯行に至るわけではないのです。
「店に入るときには万引きをするつもりがない」ケースの場合は、何気なく商品を見たり手に取ったりしたときに「盗みたい」という激しい衝動が起こります。
「店に入る前から万引きをしたい衝動が強い」ケースの場合は「盗るものを早く決めなきゃ」と、店に入る前からの衝動が店に入ってからも続いている状態です。
その後は両方のケースともに、頭はもう盗むことでいっぱい。中には「早く盗ろう、早く盗って店を出よう」と自分をせかすような衝動が起こる患者もいるほど。
その衝動が続いているうちは盗むこと以外何も考えられず、通常の万引きのように周囲を警戒したり、万引き行為を中断、あるいは完全にやめて店を後にすることは出来ません。
そして店の外に出て落ち着いたとき「ああ、やってしまった」と我に返り、自己嫌悪に陥るのです。</p>
クレプトマニアの患者は自分の万引きをどう考えているのか
多くの専門書などで指摘されていますが、クレプトマニア患者は万引き以外は、生真面目に社会のルールを守っていることがほとんどです。
したがって、社会規範の意識が低すぎて万引きを繰り返しているとは、考えにくいのです。
しかし、あるクリニックでは患者のほぼ全員に警察に捕まった過去があり、裁判中であることも珍しくないといいます。「当人には病気だという自覚はなく、検挙されたあとに受診を勧められるケースが一番多い」と話す医師もいます。
自身のクリニックで多くのクレプトマニア患者と向き合ってきた吉田精次氏は、クレプトマニアの患者から聞き取りをおこなったとき、多くの患者から「万引きした瞬間、気持ちがすっとした」「ほっと安心したように思った」という感想を得ています。
緊張からの解放という感覚が、病みつきになっているのかも知れません。
また、多くの患者が、警察で「なぜ盗ったのか」「なぜ何度も万引きするのか」と聞かれてもうまく答えられないという経験を持っています。
しかし「なぜ万引きしたのか分からない」と答えるとたいてい警察官が怒り出すため、結局「どうしても欲しいものだったから」「お金がもったいなくて」と答える人が殆ど。
その一方で、万引き行為前や万引き行為中に起こる考えが、かなり偏っていることも事実です。
前述の吉田精次氏によると、患者から共通して得られるのは「ちょっとくらいなら盗っても問題ない」「盗っても多分捕まらないだろう」「要は見つからなきゃいいんだ」というゆがんだ答えだそうです。
「認知のゆがみ」ともいえそうですが、これはおそらく万引きを繰り返していくうちに、思考パターンが少しずつゆがんでいっているのでしょう。
ちなみに、アメリカで多くのクレプトマニア患者を調査し、自身もクレプトマニアであるテレンス・シュルマンも、患者に「万引き中に何を考えているのか」というアンケートを取ったことがあります。
その際帰ってきた答えの中で多かったのが「みんな何もかも正直に生きてるわけでもあるまいし」「自分はこんなに精神的に辛いのだから、少しぐらいの盗んだって許される」だそうで、クレプトマニアの認知のゆがみは万国共通なのかも知れませんね。</p>
クレプトマニアは「完治」するのか
クレプトマニアの治療で最も重要なことは、治療を開始した時点から「絶対に万引きしないこと」を目標とすることです。
「自分はクレプトマニアという病気だから、万引きしても仕方ない」「治療は難しいから、治療途中で多少失敗して万引きしても仕方ない」という言い訳は許されません。何故なら、治療の失敗は犯罪につながるからです。
これは痴漢や盗撮などの行為を自力で止められない「行為依存症」の患者も同様です。
※ただし、失敗したときに「なぜ失敗したのか」「失敗した原因は何か」など、失敗の理由を分析することは有用だと考える人もいます。
単純な失敗により依存行為を繰り返してしまうことを「スリップ」と呼びます。クレプトマニアの患者にスリップが起きるのはどのような状況なのかを調べたところ「ひとりで買い物に行ったとき」「グループで買い物に行ったものの、店でひとりになったとき」でした。
店の中でひとりになるということは、実はクレプトマニアの患者にとっては危険な状態です。
何故なら、患者は自分の意思で「万引きをしたい」という衝動を、完全に止め続けることができませんし、衝動がいつ起こるかは患者本人にさえ分かりません。
実際に「スリップ」を起こした患者の中には「2度と万引きをしないと決心したから、もう大丈夫だと思っていた」と打ち明けるものもいます。
中には「家族に買い物をいつも頼むのが心苦しい」「家族や友人に自分の買い物にいつも付いてきてもらうのは申し訳ない」と困惑する患者もいるのですが、二度と万引きしないためには、万引きするリスクのある行動はしない方がよいのです。
すなわち「買い物に行かなくても住む方法を見つけること」が重要になってきます。
「クレプトマニアと診断されると、2度とひとりで自由気ままに買い物できないのか」と嘆くひともいますが、自由気ままに買い物をしないことは、窃盗行為はもちろん、その結果としての警官からの叱責や、留置場での不自由さなどからも遠ざかることができるのです。
どうしても買い物に行かなければならない場合は「自分がクレプトマニアだと知っている人に、必ず同伴してもらう」「同伴者は絶対にクレプトマニアの患者のそばから離れない」「短時間で店を出られるよう、事前に十分に準備する」などの工夫は欠かせません。
こうして万引きが絶対に起きないよう環境を調整した上でおこなうのが、脳の機能回復です。
まず患者は過去の万引き歴や万引きの手口だけでなく、成育歴、家族歴、価値観、人間関係の形成方法などについて医師やカウンセラーから聞き取りを受け、徹底的に過去の自分と今の自分をさらけ出す必要があります。
「いやいや、万引きを止めたいだけなのだから、成育歴や家族歴なんか話す必要はないでしょう?」と思う人もいるでしょう。
しかし、クレプトマニアには時として摂食障害や発達障害などの、別の精神疾患が併発していることがあります。
特に過食嘔吐をともなう摂食障害の場合、過食のために食べ物をたくさん買い込むことが多いのです。
そして次第に「食べてもどうせ吐いてしまうのに、お金を出して買うのは勿体ない」と万引きを始め、やがて万引きも自力で止められなくなる……と物事が悪い方向に転がって行ってしまいます。
また、摂食障害を起こす患者の中には、幼少期に厳しいしつけを受けたり、ゲーム禁止やマンガ禁止といった制限の多い生活を強いられるなど、生活環境から激しいストレスを受けている人もいます。
その場合は並行して摂食障害の治療を行ったり、時には生活環境の改善を行う必要も出てくるので、できるだけ自分のことを話すほうが良いのです。
グループミーティングも非常に有効的です。クレプトマニアの患者が集まり、自分の経験を話すとともに他の参加者の経験を聞く場でもあり、そこでは自分の経験を否定されることはありません。
これまでは「自分ではどうすることもできない」と、思考停止状態だった患者たちが、お互いの話をきくことで「一緒に頑張って回復していこう」と前向きに社会化していくきっかけになるのです。
そのほか、病院の治療方針にもよりますが「ひとりでの気ままな買い物を止める」という方法ではなく、医師やカウンセラーと一緒にどうすれば万引きをしなくなるかを話し合うこともあります。
万引きが起こりやすいシチュエーションを思い出したり、万引きしたくなる環境が何かを考え、再発防止策を考えていくのです。
具体的には「あえて派手な格好で店に入る」「カバンはビニールの透明なものしか使わない」「コンビニでしか万引きをしたことが無かったので、コンビニには絶対に入らない」などが再発防止のアイディアとしてあげられたそうです。
認知行動療法を採用し、先の章でお話しした「ちょっとくらい盗ってもいいよね」「バレなきゃ問題ない」などのクレプトマニアに有りがちな認知のゆがみを、少しずつ修正することもあります。
なお、クレプトマニアに有効な薬物治療ですが、残念ながら今のところ確立していません。
今回のコラムは吉田精次氏が著わされた「万引きがやめられない クレプトマニア[窃盗症]の理解と治療」にかなり助けられたと同時に、わたし自身非常に勉強にもなりました。
クレプトマニア患者の万引き中の感情や行動の言語化をおこなうことは間違いなく偉業であり、これはほかの依存症治療でも応用できるのではないでしょうか。
金剛出版 吉田精次著 万引きがやめられない クレプトマニア[窃盗症]の理解と治療
<b星和書店 テレンス・ダリル・シュルマン著 奥田宏監訳 松本かおり、廣澤徹訳 クレプトマニア・万引き嗜癖からの回復
【万引きと処罰の歴史~ルソーは窃盗の常習犯だった】
https://history.ashrose.net
【群馬・上州この人 窃盗症の患者をサポート 赤城高原ホスピタル院長、竹村道夫さん(74)】
https://www.sankei.com


