嫌いなものすら素直に言えない「無キャ」

暮らし

Photo by Andrew Dunstan on Unsplash

「陰キャの好きそうなコンテンツ」「チー牛に受けてるだけのコンテンツ」「発達障害者イチオシのコンテンツ」などと言いつつ、様々なロゴや商品やキャラクターをズラーっと並べている投稿を見たことはありませんか?

なんとも情けないものです。自分の嫌いなものくらい「僕はこれが嫌いです!」と言えばいいものを、何が怖いのか遠回しにしている訳ですからね。しかも同じような嗜好の者らが寄り集まって「そうだそうだ」の大合唱を始めます。そうして犬笛を吹くのが本来の狙いなのかもしれませんが、いずれにせよ情けないことに変わりはないです。

けれど、SNS上なんかではよく徘徊している手合いでもあります。「他人の趣味嗜好を否定してこき下ろすこと」にしか楽しみを見いだせず、唯一の趣味となってしまった人々。怒りと嘲笑にしか生きる意味を見出せなくなった、ある意味かわいそうな人々。もはや「嫌い」による偽りの絆でしか連帯できない潜在的な孤独。

「無キャ」という言葉があります。「とても陽キャにはなれないが、自分は陰キャとは違う」だけで生きるあまり、怒りと嘲笑以外の楽しみがなくなった人々のことを指します。新しいことを始める勇気がないのか、それとも怠惰なのか、或いは「自分は他人と違う特別なパワーを持つ」と今でも思い込んでいるのか、その思考回路や行動原理は理解しがたいものです。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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