私が障害を受容できたとき~診断されて8年たった今
その他の障害・病気出典:Photo by Ján Jakub Naništa on Unsplash
人はみんな、凸凹で、強みと弱みがあります。もし、お医者さんから自分の弱みである「障害」を診断されたとして、あなたはすぐに受け入れることができますか?今回は「境界知能」と診断をされた当事者である私から、障害受容ができたときのお話しをします。
幼少期からのしんどさ
幼少期から生きづらさを感じていました。小学校、中学生のころは、独りでいることが多く、クラスメイトとはコミュニケーションでなぜか上手くいかず、なかなか友達ができませんでした。ときには、いじめられることもあったのです。当時は、その原因がわからず常に孤独を感じており、周囲からは不思議ちゃん、マイペースといわれ育ってきました。
このような幼少期から続く、生きづらさをひとりで抱え続けているうちに、今から8年前、大学生のころ、抑うつになってしまいました。 昔は体調が芳しくない時期もありましたが、1年前から支援員さんの指導もあり、やっと安定して今では元気に過ごせています。
支援員からの自分の障害について説明
私は主治医や福祉の支援員さんに、自分の障害や傾向を伝えられていたのにも関わらず「自分が本当に障害があるのか?」「障害は気のせいで、自分は健常者なのでは無いか?」と長い間感じていました。障害がある自分のことを認められていなかった、わかっていない、そんな感覚でしょうか。
就労移行にいくための意見書を現在の主治医に書いてもらったとき、見慣れない文字に丸がつけられていました。
「境界知能」
その意味がわからなく、お世話になっている生活就業支援センターの支援員のAさんに「境界知能って何ですか?」と質問しました。するとAさんは2時間ほどかけて詳しく説明してくれました。
境界知能とは、ざっくりと下記の通りです。
• 昔は知的障害と定義されていたIQ70~84の人
• 35名のクラスに約5人いる
• 日本人の7人に1人
• 平均的な子どもの7~8割くらいの発達年齢
支援員のAさんから説明を受け終わり、知的障害とそうでない人の間、グレーゾーンな存在だと知りました。昔の知的障害区分であれば、自分も知的障害に入るのだと感じ、パニックになりました。支援員のAさんに説明を受けた後、そのまま生活就業支援センター施設から帰宅するため電話しようとスマホを触りましたが、電源が切れていました。
周囲は暗くなり霧が立ち白くなっていました。すっかり夜になっていました。お母さんに車で迎えに来てもらうため、電話かけようと、公衆電話まで小雨の中、小走りで走ったのを覚えています。公衆電話にやっと着き、お母さんのことを考えました。
「お母さん、どう思うかな?生まれつき障害があったことを知ったら、悲しむかな……」と考えました。そして、自宅のダイヤルを回しながら公衆電話の中で少し涙を流したのを覚えています。
そして障害の受容
今までは主治医に障害であることを告げられても、自覚が無かったためショックを受けていませんでした。
ですが、生活就業支援センターの支援員のAさんから境界知能の説明を受けたとき、思い当たる点がいくつもありました。ゆっくり数日かけて「あぁ……私、本当に障害あったんだ」とやっと胸の奥がスッと落ち、障害がある自分を受け入れることができました。
そしてこれから、どう生きる?
今までは背伸びをして、無理をして生きていたんだと思います。これからは、もちろん頑張りますが、無理をし過ぎず、自分に見合った仕事でしっかり自立して、自分に優しく、自分を必要以上に痛めつけず、幸せに生きていきていきたいと思います。
そのために、自分に合った仕事環境を理解しなければならないです。
そのために、自分の特性を知らないといけないと思います。
そして、自分で対処する事が大事だと思います。
それでも、どうしようもないとき、周囲の人に少しだけ配慮をしてもらいましょう。これから長期就労し、その先も自分の意思で寿命まで生きていくために。
参考文献
『マンガでわかる 境界知能とグレーゾーンの子どもたち』 著:宮口幸治 作画:佐々木昭后 扶桑社
https://prtimes.jp/
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