便移植や脳深部刺激療法は精神医療を変えていけるか
その他の障害・病気腸と脳はある程度連動しているといわれています。強いストレスで脳をやられると症状が腸から出ますし、長い便秘が後になってパーキンソン病のサインだったケースもあります。
腸内環境を改善する処置として「便移植」があります。健康な人の便を介して腸内雑菌を移植することで、腸内環境を健康なものに近付けるのが便移植です。これが最近、腸の治療以外の分野で注目されており、精神医療においても研究が進められています。
また、脳のニューロンに電気刺激を与える通電治療法もうつ病の治療に使えないか臨床試験を重ねている最中です。これらは精神医療に大きな変化をもたらすのでしょうか、あるいは社会実装を諦めざるを得ない大問題と衝突して終わるのでしょうか。
便移植で双極性障害を抑える
2022年2月、オーストラリアで双極性障害の患者に便移植を行い、症状を抑えられたという報告がありました。これで2例目となり、対象の患者は双極性障害だけでなく不安障害やADHDも抑えられたといいます。一般的な治療法としての普及まではかなり遠いですが、多くの精神疾患や発達障害に便移植が影響するのではないかという期待が生まれています。
1つ目の事例でも驚きの経過を辿りました。便移植を受けた20代女性は、治療に多くの薬を服用しているほか、その副作用で肥満になるなどして10回も入院する有様でした。健康体である夫の便を移植されると、双極性障害の症状が鎮まって薬の必要がなくなり、ついでに肥満も改善されたそうです。
2例目では不安障害やADHDにも効果を示しており、1例目と同じく薬が必要なくなりました。発達障害すら抑えられるというのであれば、この報告はかなり大きな意味を持ちそうです。
とはいえ、たった2例の報告しかない以上、これからも研究や治験を重ねて一般医療に組み込めるかどうか精査していかねばなりません。精神医療における便移植の応用は、発展途上のステージにすら立てていないのです。これから発展していくのか、或いは処理不可能の大問題が発覚してお釈迦になるか、未来のことは分かりません。
便移植について
腸には約1000種類の腸内細菌が約100兆も存在するといわれ、その分布や比率などは個人差があるそうです。具体的にどういう状態が健康なのかは定義によって様々ですが、腸内環境の良し悪しがそのまま心身の健康と影響し合っています。
便移植は、便を通じて健康な人の腸内細菌を移植し、健康な腸内環境を再現するための手法です。浣腸で直接送り込むだけでなく、カプセルを飲んで腸へ届けたり鼻や大腸へチューブを挿入したりと方法や規模は様々です。
元々便移植は「クロストリジオイデス・ディフィシル腸炎」が重度で再発するときの治療法でした。この病気は抗菌薬の影響で病原菌が増え無害な菌が駆逐されるバランス変化によるもので、下痢や大腸炎を引き起こします。重症になると脱水症状や低血圧などに繋がり、命の危険さえあります。バランスの乱れた腸へ他人の便を移し、健康なドナーが持つ腸内細菌を培養しようというのが便移植の考え方です。他にも潰瘍性大腸炎や肝炎などにも治験がされており、期待の大きさが窺えます。
精神医療へ活かすにあたっては、これから臨床試験を重ねて事例を増やし裏付けを取らねばなりません。それを待たずに自己流の便移植を健康法として行う人もいるようで、オーストラリアではツアー中にスタッフから便移植を受けて不安を抑える歌手までいるそうです。
しかし、便移植に使う便は病原菌がないかなど安全性の検査をクリアしたものだけ使っておりますので、素人の自己流で便移植をするのはとても危険です。悪い細菌や寄生虫を受け取ってしまえば本末転倒です。
脳深部刺激療法とは
精神医療の分野でもう一つ期待されているのが、「脳深部刺激療法(DBS)」です。DBSとは、脳の奥深くに電極を埋め込み、特定のニューロンを電気で刺激するという大掛かりな方法で、既にてんかんやパーキンソン病への効果が実証されてきました。近年は脳手術をせず体外からの電気刺激でも出来るのではないかという低リスク・低コスト化も唱えられています。
うつ病治療に対しても使えるのではないかと注目され、小規模な治験では良い結果が報告されました。しかし、大規模な臨床試験となると有効性を示す結果が出ず、実用化は頓挫したままです。追跡調査によれば2年後に半数の患者で劇的な改善効果が見られたそうですが、もはや後の祭りでした。
一方、交通事故の後遺症で左手親指が動かなくなった患者への治験では効果が示されました。脊髄を経由し親指の神経まで届くように、体外からパッチで電気刺激を与える方法をとり、これを週に1回1時間行います。効果は最初の数週間から出始め、事故以前までとはいかないものの、不随だった左手親指はペットボトルを開けられるまでに回復したそうです。
個人差が最大の課題
脳深部刺激療法(DBS)で重要なのは、電気刺激を与えるべきニューロンの位置が人によって異なることです。効果が実証されているパーキンソン病では、患部となるニューロンがどの患者も同じ位置でした。しかし同じく実証済みのてんかんでは、患者によって発作のあるニューロンの部位は違っており、治療前に患者の脳活動を観察して発作部位を特定するプロセスが必要となります。
これを踏まえ、2020年3月に臨床試験が実施されました。被験者である37歳男性は、長年重度のうつ病を患っている精神疾患持ちです。まず、脳のどこからうつ症状が出ているか特定するため、疑わしい領域10カ所に電極を埋め込み、10日間ニューロン活動を観察しました。
男性のニューロンについて分かると、次は感情の制御に関わるとされる部位へ一定の電気パルスを周期的に送り込みました。すると、数日後にはうつ症状が半減したと報告され、22週間後には医師から寛解の診断が出たというのです。長年の重いうつ病が寛解した男性は、仕事にもありつけ人間関係も出来上がったそうです。
しかし、電気刺激を定期的に与えないと寛解状態を維持できない弱みも見つかりました。電気刺激を徐々に低下させたうえでゼロにすると、症状がぶり返し気分が悪化したというのです。
同様の臨床試験を更に2人のうつ病患者へ実施しましたが、片方は現在分析中で、もう片方は感情の予測パターンが変わっていると判明します。患者一人ひとりの個人差に合わせ、よく観察して部位を特定していくことが今後の課題となるでしょう。
「脳の電気信号を無理矢理幸せ状態にする」というファンタジーはどちらかといえばディストピア寄りの発想と言われるかもしれません。しかし、重い精神疾患が一気に寛解するのであれば、治療法としてはアリなのではないでしょうか。尤も、研究と臨床試験を重ね、大きな問題もなく社会実装されればの話ですが。
参考サイト
便移植で双極性障害の改善に成功。世界初
https://www.excite.co.jp
無菌育ちのイライラマウスに“うんち”を移植してみたら…
https://wotopi.jp
うつ病や自己免疫疾患、脳の電気刺激で治療 進む研究
https://www.nikkei.com