線維筋痛症という目には見えない体の痛みの難病を患って〜病状に対するランク分けの必要性と必要な対策
その他の障害・病気私は15歳から突如、体中が激痛になる難病を患っています。病院で診察・精密検査を受けても異常なしでした。こころの問題と片付けられ精神科に回されることは頻繁にありました。あまりの痛みで、勉学や仕事、家事、育児など生活に多大な支障をきたします。この様な現状に伴い、病態と通院経歴、痛み医療の実態について話したいと思います。
発症経緯
私は15歳から体中が激しく痛む難病を患っています。高校1年生の夏ごろでした。何の前触れも無く突如、発症しました。ちょうどアメリカで911が起こった時なのではっきりと覚えています。授業中、ふと気付いたら右手親指の付け根から人差し指にかけて痺れていました。中学とは一転、高校には全く馴染めずストレスからくる軽い神経痛だろう・・・と思っていました。しかし、そこから3ヶ月での間に左手も痺れだし、右背中と左太ももが激しく痛みだしました。
通院生活
最初は近所の鍼灸院に通いましたが全く効果はありませんでした。痺れ、痛みの度合いも自制できないほどになり、さすがに医者に診てもらわないといけないと思いました。高校2年生から病院に通い始めました。しかしそこから約13年間、日本各地の病院で診察・精密検査を受け続けるも原因も病名も判明しませんでした。また不特定診断(この病気ではないかという予測)のもと、治療も受けました。2006年に脳脊髄液減少症の不特定診断でブラッドパッチを受けましたが効果はありませんでした。翌年、線維筋痛症という病気がある事を知りました。数年にわたり、投薬や専門的外科治療を各地の病院で受けましたが改善はありませんでした。
発症して20年近く経とうとしています。当初は私だけがこのような病状を患っていると思っていましたが、年数が経つにつれ私と同じような症状や境遇の疼痛患者がいることをインターネットで知り始めました。病名を告げられることで、「やっと病名がわかった!治療を受けられ改善する!」と安堵するのですが、上記の病気も含め体が痛くなる病気全般、診断基準が曖昧で、治療しても改善しなかったり、この病気ではないと診療を断られ別の病院の紹介状を書いてもらい、延々と病院を渡り歩かされ、泣き寝入りする患者も少なくありません。私もその一人です。
線維筋痛症という病気は名ばかり?
体が痛くなる線維筋痛症らしき病気は必ず存在すると思っています。しかし、なぜ痛みが起こっているか医学的解明がほとんどなされていません。また医療者、研究者によって意見がバラバラなのです。患者はそれらの情報に振り回され病院のたらい回し(ドクターショッピング)にあいます。現在の痛み医療対策は軽度の疼痛者に対するものや、処方箋を出すための口実に過ぎません。痛みは目に見えない。病院で検査をしても異常なし。医師から「怠けてる」「気持ちの問題」と突き放され、最終的には精神科の受診を余儀なくされる患者も少なくありません。病院でそう言われては、家族にさえ分かってもらえないのは当然です。極限状態でこの状況は言葉に詰まります。実際、私も発症当初から3年くらいはそうでした。
未解明による周りとの食い違い
生活に多大な支障があるにもかかわらず、痛みのみの症状では、制度化されておらず社会助成が受けられません。就労移行支援を利用するにも私の場合、睡眠障害など二次症状から精神科の診察を受け、診断書を作ってもらい、役所に申請しなければならず困難を極めました。医者によっては、診断書は書けないと医療拒否されたりと、役所の職員が求めることと行き違いが生じ、停滞してしまうケースが多発しています。
情報氾濫により患者の苦しみがないがしろに
病態が未解明なため、いつのまにか治療法ありきの情報が氾濫し、医療者・寛解者・軽度疼痛者・重度疼痛者の順になっており、患者が疎外されているのが現状です。一番辛い思いをしている重度の患者がないがしろにされています。痛み関連の講演会でも、壇上の医療関係者や寛解者が2、3時間専門用語を交え一方的に話し続け、参加者の患者・患者家族が質問できるのは、講演内容と過去の経験を1分以内にまとめて質問する時間しか設けられていません。患者は長時間の講演を痛みを我慢しながら聞いている中、必ずといっていいほど時間が押します。質問者の人数が当初より極端に限られ巻きで迫られてしまいます。患者の痛みの悪化を無視した場面が、一番考慮しなければならない場所で行われています。毎回、唖然とします。
要介護ランクがあるように、痛みもランク分けをすべき。ランクによる各対応は?
疼痛患者によって痛みの発症経緯が違います。私のように何の前触れもなく突如、痛みを生じた患者もいれば、病気の後遺症、怪我や事故での脊髄損傷など経緯は様々です。しかしなぜか痛みでひとくくりにされ、安易な療法や医療者の持論に近い知識が講演会では横行し、患者の苦しみは聞き入れてもらえません。安易な治療法は机上の空論と言えます。
まず講演形態を見直すべきです。座談会にするべきだと思っています。患者の話に沿って痛み医療関係者と第3者が一体で話し合えば、医療者が一方的に推し進めることを抑止できるかもしれません。そして要介護ランクがあるように疼痛ランクを設け、ランクによって適切な対応を話し合われなければなりません。
痛み医療は何の為、誰の為に行われているのだろう?
「痛みの原因追及なんて無理です。」と、ある患者会の代表は言います。この代表は、痛みの緩和を目的とした医療目的の大麻解禁など、原因不明でも効果期待の面で望んでいます。私も症状緩和の為の医療使用は賛成しています。しかし、はっきりとした原因を追究するのは難しいとは承知していますが、未解明の病態に対して例えば治験するとなった時も、その目的を説明できないと世間は不可思議に感じると思います。癌にしてもパーキンソン病にしてもある程度、原因がわかっているからそれに対するアプローチも明確にできるわけであります。しかし痛みの場合はアプローチに至るまでのプロセスが乏しすぎます。不条理の塊です。ですから上記の通り、病院でも講演会でも患者は度外視され、医療者の独断偏向がまかり通っています。ぎっくり腰や軽い腰痛など、軽度の疼痛者しか当てはまらない運動療法など、安易な対応策しか組まれていません。それがあたかも全ての疼痛患者に万能かのように・・・。重度の疼痛患者に対して、運動やマインドフルネスなどの対策は極めて原始的と言えます。
痛みの病態は、患者によって発症経緯が違います。そして痛みが起こっている原因も医学的にはっきりと分かっていません。3年前に一億総活躍プランに慢性疼痛対策が組み込まれました。国会の衆議員会館で総会が行われています。その場に患者を定期的に招き、各患者の体験談をもとに対策を論じなければならないと思います。そうすることで軽度か重度かを振り分け、類似した患者の集約ができ、促している痛みの度合いと現状での疼痛ランクを築けると思うのです。最低限の振り分けをし、各患者に対して取りかかるべき対策を模索することが、痛み医療のやるべきことだと思います。
参考文献
病名未確定の会 ~病名がわからない体の痛み患者への支援と社会的自立を目指して~
https://sites.google.com/site/fumeikomaru/
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