うつ病を患っている私が一年間ひとり暮らしをしてみて今思うこと
うつ病 暮らし画像:なり損ねコピーライター
仕事はもちろんのこと、食べて歯を磨く、着替える、風呂に入るといった日常における基本的な行動すらままならない。うつ病を患っている、もしくは病歴のある人ならこれらを経験されていることでしょう。そんな状態でひとり暮らしなんてとんでもない、無謀だという意見が大半ではないでしょうか。
それはそれとして、無謀にして無計画に独りで暮らしはじめた体験を通して、今の心情をほんの少し書き留めておこうと思います。
はじめの一歩
昨年の夏でした。うつ病と診断されてから九年が経とうとしていたころに、人生初のひとり暮らしをはじめることになりました。そうなるまでの経緯を語るのはこの文章の主旨ではありませんし、長くなる話でもありますからあえて触れません。
三十年近く暮らしたマンションを引き払い、二十個のダンボール箱と共に今の部屋に移り住んでそろそろ一年、最善とは言えないものの良い選択だったと思います。
仕事を辞めて自宅療養という名の半引きこもり生活を九年も続けていると、最初は理解のあった家族からの風当たりも強くなってきますし、食事をはじめ何から何まで身の回りの世話をしてもらっていることに対する罪悪感も日増しに強くなっていきます。社会復帰どころか寛解の兆しすら見えないことへの焦りから、このまま目覚めなければいいのにと、毎晩床につく時間になると考えていました。
いろいろあって独りで生活することになっても不安よりもむしろ安堵の気持ちが先でした。これでもう小言を言われることも無ければ、当人は良かれと思っているつもりの無神経な励ましの言葉に傷つけられることもない。家人のたてる物音に怯えることもなくなる。そんな心境でした。
物件探しから賃貸契約、そして引っ越し
引っ越し先を探すにあたり、私が一番重きをおいたのは立地です。私は自転車に乗れないため行動範囲が狭く、普段の買い物やクリニックへの通院その他もろもろ含む日常生活を徒歩圏内で完結できることが最優先事項でした。
さらに加えればエレベーターがあること、陽の光が射し込む明るい部屋であることを条件としてネットで物色してるうち、ほどなくして現在住んでいるマンションにたどり着きました。
物件の内覧から契約、引っ越し業者の手配から荷造りを経て実際の引っ越しと、今思い返せばよくできたものだと自分でも感心します。(荷造りに関しては家人にかなりの部分で助けてもらえました)気持ちの奥底で早く独りになりたいと積極的に望んでいたのかもしれません。
家事の大変さを知る
いざひとり暮らしを始めてみて、一番の悩みどころは食事をどうするかでした。外食は高くつくうえ栄養も偏るだろうから問題外として、それならと度々チラシがポストインされていた宅配弁当ならどうだろうと思って複数の業者を比較したところ、どこも一食あたりの低価格をうたいながらも配送料を含めると結局は外食と同じ、あるいはそれ以上の費用がかかることが判ったので、この選択肢も消えました。
そんなわけで自炊することにしたわけですが、料理なんてボーイスカウトのキャンプで飯を炊いた程度の経験しかありません。生まれながらの不器用な性質も手伝って、未だに包丁の扱いに慣れませんし卵も両手を使わないと割れません。勇んで買い揃えた調理器具など、一二度使っただけのものがけっこうあります。うつを発症してからこっち食欲はすっかり減退しましたし、とくに食べたい物も無いので、結果的に準備と片付けを簡単に済ませられる質素な食生活に落ち着きました。粗食にしたことで体調に思わぬ変化が起きましたが、これに関しては改めて別の機会に書きたいと思います。
子供の時分には母親に、大人になってからは妻に料理から掃除洗濯まで、家事全般すべて依存していました。二人とも仕事をしながらでしたから今自分でやってみて、さぞかし大変だったろうと想像します。にもかかわらず、味付けが濃いだの薄いだのと用意された食事に関して不満を口にしたり、やれ洗濯機の音がうるさいと文句を言ったりと、思い返せば罰当たりな言葉を吐いていたものです。
独りでいることの快適さ気楽さ
これまでずっと誰かがそばにいる暮らしから急に独りになって、よく「寂しくないか」と尋ねられます。それに対しては全然と答えています。
意外なほど寂しくないんです。一年が経とうとしている今もそれは変わりません。
体調が優れず何にもできないときなどは食事を抜いて、結果的にさらに調子が悪くなることもあります。しかし独りでいれば、そんな姿を家族に見せて不安にさせたり憂鬱な気分にさせることもありません。いっときの辛さを我慢して耐える方が精神的な負担は軽く済みます。
そして何よりも常にマイペースで穏やかに過ごせること。表通りから路地を少し入った所に建つ現在のマンションは夜間だけではなく、昼間も街中とは思えないくらいに静かで落ち着きます。
好きな読書を楽しみ、ネットの動画配信サービスで観たいものを観たいだけ観る。マーラーの交響曲を大音量でかけても、早朝や深夜でない限り誰も文句を言ってきません。 独りの時間と空間を必要とするのは、自我という厄介なものを獲得してしまった人間の特性なのでしょう。
ぼっちは諸刃の剣
とはいえ、一方で人間は社会的な生き物でもあります。他者と関わらないで生きていくことは出来ません。
人間関係の悩みは、悩みの種の最たるものでもありますし、人付き合いの煩わしさや面倒なことから自由でいたいと私も思います。だからといって独りでいる心地よさに慣れきってしまうと、やがてそれが孤独感に転じて希死念慮へと変わり、苦しい思いをしないとも限りません。独りの時間は独りの時間として、やはり人と交流する場所を確保することは必要だろうと思います。
この場合、障がい者の就労支援事業所に通うのが一般的なのでしょうけれど、体調面から職業訓練や実際に働くことを困難に感じる人にも受け皿は用意されています。うつ病に限らず、精神的あるいは身体に障害を抱えていて社会活動の場に踏み出せないでいる人に対して、同じ悩みを共有する人たちが気軽に集えるコミュニティを運営しているNPO等もあります。
決められた日時に決められた作業をするわけではなく、気が向いた時に体調の許す範囲で出かけていって軽いおしゃべりをする。たったそれだけでも気分が晴れることもあります。
最寄りの社会福祉協議会で尋ねれば該当する施設を紹介してもらえますし、変に気負わず人と接する機会を生活に取り入れられるのではないかと思います。
最後に
ひとり暮らしは家事一つとってみても、段取りを考えなくちゃならないし体力も要するので、うつ病で心も身体も弱っている人にとってみれば心理的な障壁だけでも大きく、それこそ不安感から症状が悪化しないともいえません。金銭面の問題も含めて、行動に先立って慎重に検討することは重要です。幸いにも日本の福祉制度は思っている以上に充実しており、生活上の困ったことに関して様々な支援を受けることが可能です。
同居する家族の存在や言動を精神的に負担に感じて辛い思いをしているなら、独りになってみるのも実際にそうするかはともかく、取り得る行動の一つとして頭の片隅に置いておくことはある種の保険になろうかと思うわけです。
心地良いと感じられる居場所を確保することは、疾患や障害の有無にかかわらず幸福の最低条件です。ときにそれが逃避といわれようとも。
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