グリーフケアを広げ、「悲しみ・哀しみ・愛しみ」と共に生き、寄り添う社会に~ 下町グリーフサポート響和国「ひこばえ」本郷由美子代表を招き、オンライン講演会を開催
暮らし障害者ドットコムが運営するオンラインサロン『障害者ドットコム コミュニティ』で、下町グリーフサポート響和国「ひこばえ」の代表である本郷由美子さんをゲストに迎え、『心に寄り添うグリーフケア~お互いに支え合う社会にするために』と題して、オンライン講演会を12月に開催しました。また、東京都台東区にある下町グリーフサポート響和国「ひこばえ」を訪ねて、本郷さんにカウンセリングしていただき、喪失体験に寄り添っていただきました。
被害者を加害者に変えないための支援を
2001年の池田小事件によって「犯罪被害者遺族」となった本郷さんの20年間は、グリーフケアの概念と共に歩んだ20年間でもありました。悲しみに明け暮れていた本郷さんの心が動いたのは、コロンバイン高校銃乱射事件の遺族からの手紙でした。「思っていることを口にしていい」「起こったことが異常であって、あなたは異常ではない」という言葉に救われ、そこから自分の感情を押し殺さず、少しずつ紙に書くなどしていきました。
また、出版した本が矯正教育に用いられている縁で少年院を視察した時、虐待やネグレクトを受ける少年たちが多いことを知ります。こうして被害者が加害者になる可能性について考え始め、「悲しみと共に生きて寄り添い合う」というテーマのもと、2014年にグリーフケアの資格を取得します。
そもそも関西にはグリーフケアの求められる土壌がありました。阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件、附属池田小事件、明石花火大会歩道橋事故、JR福知山線脱線事故と多くの悲しい出来事が続いていたからです。特に2005年のJR福知山線脱線事故からはグリーフケアの必要性が広く求められました。
グリーフケア…すなわち悲しみへの支援は、犯罪や事故の被害者に留まらず全ての人に必要とされる支援で、そのアプローチは生活・医療・司法・経済・心理社会など多岐にわたります。こういった支援を心のケアと両立させながら進めねばなりません。これは犯罪被害者が別件の加害者となる連鎖を防ぎ、救える命を救うことでもあります。グリーフという色々な感情が入り乱れた状態になると、やがて生きる意味さえ喪失して「なんで自分ばかり」という発想に囚われます。これは自分に向かえば自傷や自死に繋がり、外に向かえば拡大自殺に繋がる危険な発想に繋がる可能性もあります。本郷さんは、コロンバイン高校銃乱射事件の遺族をはじめとした多種多様な人たちが寄り添い、聴いてくれたことで折り合いがついてきたと話されました。
附属池田小事件の犯人である宅間守元死刑囚は、裁判で自身の来歴に触れる中で、幼少期から問題行動ばかり起こしていたことが分かります。見方を変えれば、それはSOSサインでもありました。しかし、エスカレートして触法行為で10回以上逮捕され、やがて拡大自殺としてあの事件に至ります。
「なんで自分ばかりがこのような目に遭うのか。自分の苦悩を社会にも味わわせたい。その為には弱い者を、子どもを襲うのがいい」「今まで散々不愉快な思いをしてきた。自殺しても死にきれないので大量殺人で死刑になろうと思った」動機について宅間元死刑囚が言い残したことです。
実際に宅間の近隣住民や担当医などから「あの時、もう少し違った接し方をしていれば、もう少し踏み込んでいればよかった」と聞かされたこともあったそうです。
グリーフという痛み
そもそもグリーフとは、「喪失」をした時の複雑な情緒的感情を指す言葉です。最大の喪失は家族あるいは自分の死ですが、喪失の対象は人間に限らず本人が大切と思うもの全てに及び、栄転もまた見方を変えれば喪失となります。身体機能や所有物や周辺環境、そして自尊心や安全や日常といった目に見えないものまでも喪失の対象となり、リストアップすればキリがありません。こうした喪失は身体的、心理的、社会的な反応を伴う「悲嘆」に繋がります。悲嘆の反応自体は誰にでも起こり得る当たり前のものですが、心のケアを重視して投薬されるケースが増えました。
悲嘆の根底には愛着があり、安心できる場所や自分の一部ともいえる存在として、安心や成長や健康に直結します。例えば、職を喪失すれば職場の人間関係も失いますし、収入源が無くなれば家賃が払えず退去になるかもしれません。このように喪失は単一ではなく同時多発的かつ雪だるま式に起こり、ある喪失は二次被害や次の喪失へと繋がっていくものです。
喪失で先の見えない生活から、悲しみと共生する生活への立て直し、これに付き添うのがグリーフワークの大意でもあります。一人ひとり悲嘆と立て直しに差異はありますが、悲嘆のあいだ先が見えないことと、伴走者の存在が安心をもたらすことは共通しています。悲嘆は人と関わっていく中で落ち着いていくものなのです。
グリーフサポートの主な内容は、情緒的、手段的、情報的援助だけでなく、生活支援や情報提供も含まれます。支援においては困りごとに先回りするようなことはせず、本人の思いや考え方を尊重し、アドバイスもジャッジもしません。本人の痛み辛みを完全に消し去れる人は存在しないという前提があります。
「ひこばえ」について
名前にある「ひこばえ」とは、切り株から伸びてくる若芽のことを指します。伐採された切り株はすべてを失ったように感じますが、そこには命が残っており、違った形での成長や再生を見せます。社会の中には多様な悩みがあり、何十年も後になって明かせることもあるでしょう。その為には、とにかく安心して話せる場所が必要となります。
下町グリーフサポート響和国という名前には、「かなしみ」に心を響かせ、響き合う心が繋がり寄り添い支え合う意味が込められています。そこは自宅とも学校(職場)とも違うサード・プレイスの立場を取っており、支援員を志望する人に向けては養成講座やスキルアップ講座も行っています。
一番力を入れているグリーフケアライブラリー「ひこばえ」では、1000冊を超える本を並べています。心が瀕死状態でどんな声も耳に届かなかった頃、贈られた絵本を何気なく開いたときに「ただ寄り添う」という支援の本質を感じた経験から、図書館のようなスタイルを取り始めました。
蔵書はグリーフの種類別に分けているだけでなく、アクセシビリティに対応した本も収めています。また、図書館だけでなく、ストレス発散の場としてサンドバッグが置いてあったり写経が出来たりする部屋も用意しています。こうした空間そのものがグリーフケアの場であり、「何かと繋がれている」という感覚こそグリーフケアにおいて重要なものでもあるのです。
「悲しみ・哀しみと共に生き寄り添う社会、愛(かな)しみと共に生き寄り添い合える社会」こそが、優しく安心で安全な社会に繋がる理念でもあります。
質疑応答を通じて、本郷さんと交流
──今まで自分の感情とどのように向き合ってきましたか
「言葉にならない、この一語に尽きます。感情の深さや度合いを言葉では表現できません。ゆえに今の活動をしているのですが、言語化出来なくても自分の気持ちやエネルギーに気付けました」
──泣けない時はどうしたらいいですか
「そういう『何も感じない時』は私にもありました。色も音も感じない時期は、今思えば自己防衛の反応だったと思います。無理して泣く必要はなく、泣けないというありのままの感情を受け容れてはいかがでしょう。また、グリーフに1年や2年などの節目はなく、歳月が流れる感覚すらありません。それでも多くの人と関わる中で意識が変わっていき、いつしか泣けるようにもなるし感情表現の仕方も変わってきます。なので、今無理に泣く必要はありません」
──アウトリーチ(こちらから支援を届ける)するコツを聞かせてください
「来てほしいとお願いされてから応える対応を取っています。そこには何かしらの望みがあるので、それを汲み取っています。何が必要かを焦って聞き出すのではなく、日常的な対話から信頼関係を形成していき、共に考えていく感じです」
──メディアが事件を語ることについてどうお考えですか
「メディア被害については実際に受けたので、メディアリテラシーなどについてもよく伝えています。スティグマやレッテルは被害者側にもあり、買い物に行くことも笑うことすらも出来ない状況でした。それに、事件直後は『遺族』と一括りにされており、連帯責任がありましたので、メディアに出るときなどは皆に相談してきました。慎重にならないと二次被害や誤報に繋がりますので、迷惑に思うこともありましたが、社会へ発信するときにメディアが大きな助けとなるのも確かです」
──メディアの取材に対して事件被害者や遺族へどういった配慮を求めていますか
「まず、どういった取材をして何を伝えたいのかを明確にしてもらいます。本気で取り組むメディアはきちんと自己開示をしてくれますので、聞いていて信頼できるようなら取材にお答えします。ただ、報道ありきの誘導取材は聞いていれば分かりますので、そういうメディアには遠慮してもらっています。また、取材に応えるのは気持ちを解き放てる一方で、事件当時を想起し再体験する側面もあります。何十年経とうとも当時の感覚に戻されますし、当分の間調子が悪くなるのも不思議ではありません。その辺りもメディア各社には理解していただきたいです」
──最後に、交流会の感想をお願いします
「当事者が多くいらっしゃる中で緊張しました。多様な方々がいる中で何を伝えるか、事前打ち合わせもしていました。しかし、たとえ意見が違おうとも対立はしてほしくないです。意見の相違に気付いたことこそ『ひこばえ』であり、違う考えも受け止められる柔軟性を持てる我々でありたいです。同時に、自分にとっても学びの時間となりました。ありがとうございました」