自閉スペクトラム症でいられる時間をもつことの大切さ〜二人の私

発達障害

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家の自分と外で人と会う時の自分に、大きな違いはありますか?外では丁寧に話す人が、家では乱暴な話し方をする。家、学校、職場など、相手との関係や状況別に顔を使い分けることで、人は社会に適応します。しかし自閉スペクトラム症には、状況に応じた対応が難しい人が多いです。成長していく中で適切な対応を学習していく者もいますが。自閉スペクトラム症の私が、幼少期から今まで人付き合いの方法をどう身につけたのか。

典型的な自閉っ子でした

幼少期から自閉症の傾向があった私は4歳になってもまったくしゃべらず、呼びかけにも反応せず、目線も合わさなかったようです。よほど落ち着くのでしょう。誰かとごっこ遊びをすることよりも、一人で砂や花畑、押入れ、カーテン、布団の中に閉じこもって遊ぶほうが好きでした。マンガやアニメの場面を頭の中で眺め、空想にふけてばかりでした。小学校では、ようやく人らしい言葉を発するようになりましたが、ほとんどはマンガやアニメのセリフをコピーしたものに過ぎません。模倣したセリフがどの場面で応用できるのか、ちゃんと理解していることもあれば、でたらめに使っていることも多かったです。小学4年生頃までは、相手の言葉の意味を理解することは難しかったです。

年齢よりも幼い言動をする私に対し、周囲は呆れや違和感を向けてきました。一方で、母や保育士さん、親戚、近所の一部の大人は、そんな私を可愛がってくれました。私が話さなくても、あるいはアニメのセリフをぶつぶつ言っていても、その人達が私を笑って抱きしめ、肩車もしてくれた記憶はあります。個人差はありますが、自閉スペクトラム症では相手の心情を察した言葉でのやりとりが難しいです。しかし、たとえ話せなくても、言葉による意思疎通が難しくてもあなたのことが可愛いのだ、と優しくしてくれる人。そういった人達に対し、心の中で好意と信頼を寄せます。優しい人達に囲まれている瞬間は、私がもっとも私でいられた時でした。

読書からもう一人の私が生まれる

小学校時代では、姉の影響で読み始めたマンガにはまりました。マンガでは、個性的な登場人物とそのセリフ・思考が「絵」となって表示されているため、私にも分かりやすかったです。こういう場面ではこういうセリフを使って対応すればいいのか。そんな風にマンガを参考にしながら、周囲との関わりやからかい攻撃への対処を自分なりにやってきました。ただし、マンガキャラの性格やセリフを模倣したやりとりは、上手くいくこともあれば相手を怒らせ、失敗し続けたこともあります。それでも、他者に興味が持てなかった私にとってマンガは、人が生きるうえで大切な優しさや強さ、正義などのテーマを通して、私の心と人間性を育ててくれました。

高校留学時代では安心した環境で余裕が生まれ、学校の勉強にも興味が湧いたおかげでしょうか。私は高校生になって、ようやくマンガ以外の本を読むようになりました。長期休暇で帰国した頃、本屋にあった簡単で面白い「心理学(一般向け)」や「神話」の本にはまったのです。「これを読めば、人の「心」が分かる」、と信じて。もちろん人付き合いもせずに、読書だけでコミュニケーションが上手くなることはありません。それでも読書のおかげで私は、人との関わりで非常に大切な姿勢を練習し、身につけることができました。「まず人の話を聴く」、「相手をむやみに否定しない」、「自分の考えを押し付けない」人間としての私が生まれました。世界と比較しても、日本には大人が読んでも参考になる、子ども向けの面白い知識本が溢れています。皆様もよろしければ、是非本屋へ足を運んでみてください。

発達障害には「完治」という概念がない

人生20年以上、紆余曲折を経てようやく私には、人間らしさが身についてきました。大人になった今、周囲からは「発達障害があるようにはとても見えない」、「若く見えるけど、年のわりに落ち着いている」、「ほんわか系笑顔がいい」、と言われるようになりました。私自身にとっても、幼少期の典型的な自閉症の言動は夢だったのではないか、と思うほどの変化ぶりです。ただし、「発達障害による問題行動などが見られない」イコール「発達障害は治った」ではないのです。

大人になった今、社会と人の心の仕組みを理解できるようになった私は、不器用ながらも状況に適した態度をとっているに過ぎません(丁寧な態度に込めた相手への想いに、偽りはありませんが)。しっかりしたほんわか系と言われる今の私も、家に帰れば「自閉症モード」に戻ります。自閉症モードの私は、幼い変わった話し方、興味が非常に限定されている、集中すると声をかけられなければ絶対に気付いてくれない、面倒くさいことは即答で断る、人間です。感情のこもらない、あるいは舌足らずな口調で話し、一人でも周りに家族がいてもおかまいなく好きなセリフを唱えます(精神的安定のため)。昔から爪の噛み癖が止まらないので、噛まないように爪は常に短くしています。繊維のもろいヘアゴムや布が手元にあると、常にガリガリと引っかくのが好きです(まるでネコの爪とぎ)。人目、という概念がなかった幼少期は上記の奇異な行動を外でもやっていましたが、今は自粛しています。なので、状況に応じた言動を学習しただけであって、自閉症としての私が消えたのではありません。今の私には、「自分の興味に一直線な幼く冷徹な自分(自閉症モード)」、と「自分が傷ついてきたからこそ、誰かに優しくできる人間でありたい、と願う自分」、の二人が同時に存在しています。

今の私は、外では他者と心地よい関係を築けています。そのことに安心する一方で、やはり無理をしている面も多いです。発達障害で自分の特性を自覚し、その対処法が板についてきた人でも、社会で生きていくのに何倍もの努力と気遣いを要します。私達は社会と上手く付き合いつつも潰れないようにするためには、ありのままの自分でいられる時間と場所、すなわち「休憩」が必要です。私の母も、私が特性ゆえに外では人一倍気を遣っていることを知っているため、私の変わった行動も温かい目で見てくれます。

まとめ

・幼少期の発達障害では、自分と他者という境界があいまいになりやすく、人前でも変わった言動を見せること。
・発達障害者は成長していく中で自分なりの対処法を身につける。それは、誰かのキャラを真似する、新しい人格を作る、セリフをコピーするなど、多様で個人差は大きいこと。
・私の場合、マンガというツールを通じて「どうすれば人に優しくなれるのか」を育んできたこと。
・それでも発達障害は生まれ持った特性であるため、現時点では完治という概念はないこと。
・人一倍気を遣う発達障害者が、自分らしくいられる時間と場所を確保することは、燃え尽きを防ぐこと。

最後に、私が私らしくいられる居場所を与えてくださる方に、感謝の気持ちをここに示します。お家でも、友達でもいい、そこいる時だけでも、あなたがあなたらしく安らげることを願います。

最後までご拝読ありがとうございました。

*Misumi*

*Misumi*

自閉スペクトラム症のグレーゾーンにある、一見ごく普通のネコ好きです。10代の頃は海外と日本を行き来していました。それもあいまってか、自分ワールドにふけるのが、ライフワークの一つになっています。好きなものはネコ、マンガ、やわらかいもの、甘いもの、文章を書くこと。最近は精神保健福祉士を目指しながらコミュニケーションを学び、今後の自分について模索する心の旅人。

自閉症スペクトラム障害

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