脳性まひの重度障害者でもやる気さえあれば自分らしく暮らせる時代

身体障害

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私の事を説明をすると、生まれつきの脳性麻痺で重度障害者です。脳性麻痺も色んな種類があり、アテトウゼ型と言いまして手足が勝手に動いてしまい、簡単に言うと赤ちゃんが手足をばたばたさせているのと同じで、頭の中は45歳の男性ですが運動機能は生後半年です。

私は伝の心(でんのしん)というパソコンを呼吸で操作しこの記事を書いていますが、ここでコラムを掲載するのは今回が初めてです。私は重度障害者で食事もお風呂もトイレも介助が必要ですが、昔の重度障害者に比べるとかなり自分らしく暮らせる時代が来たので紹介します。

まずは私の相棒、「伝の心(でんのしん)」の事を書くと、伝の心はALS患者のために開発された意思練達装置で、文字盤がありその上でカーソルを止めたり動かしたりして文字を一文字一文字書く仕組みです。伝の心のスイッチは色んな種類があり、まばたき、呼吸、指のわずかな動きなどで文字が書け、慣れでばマウスの操作も可能でメールやインターネットの利用もできます。私は伝の心を13年前に利用してから世界が変わりました。

どんなに障害が重くてもまばたき、呼吸、指のわずかな動きで社会と繋がれる時代が来てるのに、残念ながらそれを知らない重度障害者が多いです。

伝の心はスイッチを含めると50万ぐらいしますが、日用生活用具扱いなので身体障害者手帳1級と言語手帳3級があれば支給されます。しかし、こういった情報が重度障害者には届きにくいです。

他にも日常生活用具はたくさんあります。私が伝の心を利用し始めたのが13年前で、その頃よりかなり技術も進歩して、まばたき、呼吸、指のわずかな動き、視線などを使い、例え寝たきり状態の重度障害者もテレワークで働いたり、ロボットをベットの上で遠隔操作して会議に出たりできます。さらに、卒業式、結婚式などにもロボットが代わりに出てコミュニケーションもロボットを通じて取れるので、どんな重度障害者でもやる気さえあれば社会の一員として活躍が出来る時代になってきました。

重度障害者の環境は昔とはかなり変わりました。ヘルパー、デイサービス、ショートステイ、放課後デイサービス、計画相談などは私が子供の頃は全く耳にしなかった言葉です。昔の重度障害者は家族が介助できなくなると、病院へ入院するか、(少なかったけれど)施設を探して入所するぐらいしか生きる道がなかったです。今の重度障害者は福祉サービスも福祉用具もたくさんあり、街の中のバリアフリーやユニバーサルデザインなども(まだまだ足りないところもかなりありますが)、昔に比べれば進んできています。障害者への差別や偏見も今でも多少は残っていますが「重度障害者は家族の恥」や「障害者施設は街中に建てると危ないから山奥に建てればいい」という極端な重度障害者への差別や偏見も無くなり、重度障害者でもやる気さえあれば何でもできる環境が整ってきました。

よく重度障害者に話を聞くと、「人に迷惑をかけてしまう」とか「足でまといにならないように」とかよく言われますが私もそう思います。でも、重度障害者は人の支えがないと生きていけなくて、私も家族やヘルパーさんに支えてもらって暮らしていますが、「人が生きるという事は障害の有無に関わらず迷惑をかけ合ったり、人と交じり合いながら支え合う事ではないか?」と最近思うようになりました。重度障害者は支えられる事は多いけれど支える事は難しいから、自分にできる事を精一杯して、例え迷惑をかけても自分らしく生きる事で社会の一員として役割を果たす事になると思います。

重度障害者も用具や制度をうまく使い、迷惑を沢山かけながら人とのつながりの中で精一杯暮らす事が大切だと思います。

宮村 孝博

宮村 孝博

1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味:囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため引き篭もり生活

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