HSPと、ともに。

HSP・発達障害・精神疾患は遺伝するのか?私の家族の話〜HSPと、ともに。<vol.40>

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HSPと、ともに。vol.40 <毎月1日連載>

9月になりました。コロナ騒動から、法事も延期になり、いまだ家族や親戚にも会っていません。みんな家は近いのですが、もし自分がウイルスを持っていて、移してしまったりするのが怖くて会いに行けません。
そんな中、8月29日に誕生日を迎え、今までのことを振り返ったり、家族のことを深く考えることがありました。
私はHSPで、発達障害(LDや軽い自閉症など)や精神疾患(パニック障害)がありますが、家族はどうだったかをお話しします。

私の家族は、両親、弟、祖母の5人で子どもの頃は暮らしていましたが、母が早くに亡くなり、その後、父は再婚します。今年の2月に祖母が亡くなり、その時に祖母のことは書いたので、今日は両親と弟のことをお話しします。
母は43歳になったばかりの若さで病気で亡くなりました。幼少の頃からとても明るくて社交的な性格で、華やかな雰囲気があり、いつも人に囲まれていて人気者という印象です。背も高く、いつもハイヒールを履いているので、背が低くおとなしい私とはあまり似てないなあという印象を受ける人がほとんどでした。

母は高校卒業後、大阪梅田にある阪急百貨店に入社。客だった父と出会い結婚するまで働きました。
母の亡くなった後、当時一緒に働いていた方々の話をお聞きしましたが、この年の新入社員は母1人だけで、3人前の明るさだったので、とても楽しく、お客様にもファンが多かったとのことでした。売り上げの成績も良く、結婚を機に退職しましたが、もっと働いていたかったようなお話をされました。辞めてからも母とはよく買い物に出かけていたし、私にとって阪急百貨店はとても大切な想い出の場所です。

私はデパートで販売の仕事などとても出来そうにないので、母とは全く似ていないと思います。家事も得意で、私が生まれてからは物凄く健康オタクになり、手づくりの料理はもちろん、お菓子やパンまでよく作ってくれました。
父も着色料を嫌う母の意見を聞いて、透明のかき氷のシロップをよく作ってくれました。編み物にはまった時は、家族のセーターを一冬でたくさん編んでくれました。この健康オタクやセーターをたくさん編むというハマったらすごくのめり込んで集中するところは、私の発達障害の過集中という特性と似ています。

母は昔、近所の家に雷が落ちて火事になったところを見ているので、凄い雷恐怖症でした。
家の人は無事だったようですが、雷が鳴った時、母はいつも玄関でうずくまり、耳を塞いでいたので、その様子を見ていて、子どもながら、普通ではないなと思っていました。今の私のパニック障害や地震恐怖症に似ています。母は凄くいろいろと怖がりでした。飛行機も苦手で、新婚旅行で一度乗ったきりでした。なので、家族旅行はいつも和歌山や京都の近場でした。

車の運転は得意で、よく母の実家やスーパーに行ったり、駅まで迎えに来てくれました。とても過保護で心配性でした。帰りが遅いとすごく心配するし、泣いたり取り乱すこともあるくらい心配することも多かったです。だんだん体が持たなくなってきたのかなと思いました。
私が祖母と出かけたり、友達と出かけたり、母から離れていくのが子どもの成長と思えず、ずっとそばにいて欲しかった、寂しかった、と亡くなった後に見つかった手紙に書いてあり、うすうす気づいていたのですが、本当にそうだったのだと知りました。

もしも今生きていたら、ずっと母と一緒に私もいたいなと思います。子離れできない精神的に不安定な要素があったと思います。
ぱっと見は似ていませんが、心配性、恐怖症、過集中など、似ているところもありますね。やはり遺伝するのでしょうか。

父は、勉強もスポーツもできて、高校生の頃はサッカー部のキャプテンでインターハイでベスト8に。心臓が弱かったらしく、大学でのサッカーは諦めたそうですが、テニスや乗馬など、よくスポーツをしていました。最近はコロナで乗馬を休んでいるそうで、散歩をするのが日課だそうです。
車の運転は苦手で、うちでは母が運転をしていましたが、母が亡くなった後に運転免許を取りに行きました。よくドライブに連れて行ってくれましたが、今では全く運転していません。

父は映画、音楽、アート、読書や写真を撮るのが大好きで、人と会うより本を読む方が楽しいと言っていました。社交的で明るい母に憧れていたそうで、仕事で人に会う時上手く話すにはどうしたらよいか、母に相談していたそうです。
大学卒業後、新聞記者になり、その後独立して会社を設立しました。小学生の頃に父親を亡くしているので、早く働いてお金を稼ぎたいと強く思っていたそうです。私たちにはお金で苦労させたくないと、仕事熱心でした。

子育てにも熱心でした。よく本を読んでくれました。私も弟も本が大好きになりました。
育児日記をつけていて、本を作って親戚に配ったりしていました。家には絵がたくさん飾ってあったり、クラシックなどの音楽が流れていて、映画にもよく連れて行ってくれて、出かけたら写真を撮り、スライドショーにして家族で写真を見ていました。私や弟も、父の影響を受けて、同じような趣味を楽しむようになっています。
私はよく見た目も性格も父に似ていると言われてきました。庭で野菜を作ったり、クリスマスには本物のモミの木を買ってきてくれて、弟と2人で飾り付けをしました。キャンプも好きで、休みの日にはテントを張って過ごしたり、川で泳いだりしました。節分には鬼になって楽しませてくれて、次の日には近所に知られていました。とても家族思いの父でした。

弟は両親の良いとこどりです。幼少からとても明るく可愛くて、人気者でした。勉強、スポーツ、音楽や絵などのアートも得意で、よく賞を取ったり、何でも上手にできました。
自分でピアノを習いたいと言い、大人になってもピアノを弾き続けています。とてもお母さんっ子なので、料理も側で見ていて得意ですし、英語もフランス語もできて、スキューバダイビング、ボクシング、ジョギングなど、スポーツも大好きです。身長も高く、バック転などもできるし、学生時代はとにかく人気者でした。
バレンタインの日はたくさんのチョコレートを貰ってきました。チョコレートが苦手な弟に代わって私がいつも貰っていました。とても自慢の弟でした。

ただ一つの欠点があり、それは、片付けと掃除が苦手ということなのですが、苦手っぷりが凄まじかったのです。実家にいる時にはわかりませんでしたが、大学入学のため上京した時に部屋が汚くて、よく掃除をしに行きました。料理などはささっと作ってくれました。
野良猫にもご飯をあげていて、大の猫好きです。私は犬派なので(猫も好きですが)、ここでも分かれるし、私は片付けや掃除は得意です。大学も早稲田へ行くくらいなので、私の学習障害と比べても、全く似ているところがありません。
ですが、弟はとても繊細でした。母と同じようにいろいろと怖がることが多く、二人で犬も怖がるし、飛行機も苦手です。阪神大震災の時も、震度7の揺れでしたが、揺れるより前にゴーっという地響きで目が覚めたようです。私は揺れるまで起きませんでした。

心配性で、「PM2.5多いからマスクして」とか「熱中症に気をつけた方が良い」とメールが来るのは母と似ています。
体も弱くて風邪をひきやすく、私と同じように数年前には過呼吸発作を起こすようになりました。繊細なところは母や弟とは似ていて、遺伝かもしれません。私は弟から見ると、能天気であまり深く考えないし、なんでもすぐ忘れると言われることが多かったです。

家族は似ているところも多いのでしょうか。遺伝もあるかもしれませんね。

川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

生まれながらのHSP、発達障害(学習障害・LD)やパニック障害を抱え、生きづらさも感じながら、日々楽しくいこうと考えている。今まで、花屋、ケーキ屋、カフェ、デザイン企画、オリジナル雑貨制作などいろいろな仕事を経験。自然と犬と本が大好き。

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