カナダの安楽死合法化はT4作戦の夢を見るか

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Photo by Stefano Pollio on Unsplash

2016年、カナダは安楽死の合法化に踏み切ってから、急速的に安楽死が数ある選択肢の一つレベルにまで浸透しました。その余波で福祉支援の必要な弱者が次々と“間引き”へ導かれています。圧力で選ばされる死が増えるのであれば、それは「ジェノサイド」ではないのでしょうか。既に精神障害者を呑み込み始めているカナダの安楽死事情は、かつてナチスが推し進めた「T4作戦」の再来そのものです。

福祉支援より早く死ねる

安楽死の合法化に踏み切ったカナダでは、当初こそ終末期の患者だけに限定していたのが、適用範囲を次々と広げていき既に精神障害も呑み込みつつあります。2019年の国連障害者権利委員会による調査では、圧力をかけて安楽死を選ばせようとする、いわゆるデスハラの横行の示唆が特別報告書で語られていました。

カナダにも多くの福祉支援が存在します。例えば障害者向けに住居を助成する制度などです。しかし、その手続きが簡単に通るとは限らず、年単位で待たされるケースさえあります。一方で、安楽死の手続きは福祉支援のそれと比べて簡便かつ迅速です。この速度差によって、適切な支援で生き延びていた筈の人間が次々と死を選ばされています。

本当に受けられるべき福祉支援が遅々として受けられず、別のナニカによる横入りを簡単に許してしまう構図。日本にも知的障害者と特殊詐欺グループの間で似たような構図が展開されています。累犯の知的障害者に多く関わってきた弁護士が言ったことです。「社会福祉の制度は必要な人に支援が届くまでどうしても遅れが発生します。一方、大規模な特殊詐欺は会社のような組織体なので、生活力の低い人へ住居や仕事はおろか、人間関係や愛情さえもまとめて提供できてしまいます」

障害者に支援よりも安楽死を押し付けようとするカナダの政府と、障害者を鉄砲玉として利用するために素早く囲い込む日本の特殊詐欺グループ。この二者はかなり似通っています。そして、こうしたカナダのような合法国に憧れを抱き、日本も真似するよう頻りに求め続ける勢力がネット上に存在します。

「僕のクソみたいな人生を終わらせてください!」

日本にも安楽死の合法化を求める人々が居ます。彼らはSNS上でたまに「#国は安楽死を認めてください」などと騒ぎ立て、終末医療患者を盾に「無理矢理生かすことこそ人権侵害だ!」などと説き、カナダのような合法国を理想の事例として崇め奉っています。そして、思想の違う人間には罵倒と人格否定でのみ対応します。彼らの情熱は一体どこから来るのでしょう。

彼らの賛成理由は概ね「自分の人生を終わらせたい」「価値のない命を終わらせたい」の2つに大別されます。特に前者が最も多い印象です。老後あるいは老化に備えて安楽死制度が欲しいというのも前者に含まれますね。

自殺の為に安楽死制度を求める者は、概して己の人生や境遇について今後上向くことはないと見限っており、せめて国が責任を持って処理してくれと訴えています。「自分は悪くないのにクソみたいな人生を送らされる。せめて自分が死ぬ責任を国に負ってもらいたい」という意思を感じます。反出生主義に通じるところもありそうですね。

自殺といえば、「いつでも自殺できる準備を整えておけば、いつでも死ねるからと気が楽になり、却って生き延びられる」などという繰り言も見たことがあります。それを実践していた人を私は知っているのですが、その人は本当に自殺未遂を起こしてしまいました。担当医が「傷跡からみて本当に死ぬつもりだった」と言うほどで、家族の発見が少しでも遅れていれば亡くなっていたそうです。これでは精神的な延命という目的として破綻していますよね。

安楽死を受けることに情熱を持ち拘るのであれば、現地の言葉や法律などを猛勉強して合法国に行くという選択肢もある筈です。しかし彼らは飽くまで日本での合法化に拘り、日本語での手続きだけを望んでいます。安楽死制度が社会にもたらす影響も考えず、なんとも呑気で身勝手なものです。

「僕にとって価値のない命を終わらせてください!」

忘れてならないのは、安楽死の合法化へ賛成した代表的な人物として「植松聖」が挙げられることです。不足ならばもう2人挙げましょう。100年以上前、ドイツでT4作戦の思想的基盤を築いた「アルフレート・ホッヘ」と「カール・ビンディング」です。

2人は1920年に、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」という共著を世に送り出しました。実のところ、ホッヘとビンディングよりも前から「安楽死」の意義は既に歪曲されています。当時のドイツは経済効率化のために間引きは許されるべきという思想が強く、色々と理屈をこねている状態でした。その中でアドルフ・ヨストという男が著した「死への権利」では「効率性の為に精神病患者を安楽死せよ」とまで奨励されています。「生きるに値しない命~」は、「死への権利」を発展させた著書でもありました。

精神科医のホッヘは、精神病患者を「空っぽの人間容器」「欠陥人間」「お荷物連中」などと散々にこき下ろし、「国家とは人体のようなもので、全体の為に用済みか有害な部分は棄てられる」「いつか精神障害者の排除は犯罪にも不道徳にもならず、寧ろ有益な行動として許されるかもしれない」と思いを馳せました。

法学者のビンディングは、価値のない命として終末期患者と知的障害者を挙げ、とりわけ後者について熱を込めて執筆しています。その上で、「知的障害者の生命は、親族にとっても社会にとっても重荷となる」「法的にも社会的にも道徳的にも宗教的にも、知的障害者は保護の対象にならない。親族の請求があれば殺害は許容されるべき」と説いています。

出版当初はさすがにトンデモ本とされていましたが、ナチス政権下でヒトラーに見初められると一転、金科玉条の如く崇拝されるようになります。そして、嬰児を殺害した「クナウアー事件」を皮切りに大規模な“安楽死”計画「T4作戦」へと繋がり、やがて悪名高い「ホロコースト」へと繋がりました。

このような過ちを知ってか知らずか、自分にとって価値のない命、というより単に「キモい奴」を退治する名案として安楽死を支持する者がネット上では蠢いています。彼らはしばしば「『価値のない命』の側に自分が転落するかもしれない」という視点と想像力に欠いており、眼前の刹那的な快楽ばかり追い求める性質も相まって「浅慮」「無思慮」を絵に描いたようです。持て囃していた「断罪の刃」が自分へ向いたときのことは考えているのでしょうか。

T4作戦に対してフォン・ガーレン司教はこのように批判しました。「『生産性のない人間』の殺害が認められれば、誰もが安全ではなくなる。何処かしらが『生産性のない人間』を判定すれば、好き勝手な殺害から我々を守るものが無くなるからだ」「生産性を他者から認められる者だけ生きていいというのなら、年老いた人はどうなる?働き続けて身体を壊した人は?お国の為に傷ついた兵士たちは?『生産性のない人間』への殺人をひとたび認めれば、際限なく全ての人間が自由に殺し合えるようになるだろう」

ところで、これを書いている最中にも「優生保護法の復活を求める!私も一人の発達障害者として子を残さない意思を固めている!」などと吠えるアカウントが見つかったそうです。自分が子どもを作らないことは好きに判断して構いませんが、なぜ他人や社会にまで押し付けようとするのでしょうか。それと、優生保護法は「断種」なのですが、まさかそれで「譲歩と交渉の出来る大人」になったつもりではないですよね。

参考サイト

安楽死が合法の国で起こっていること…「生活保護」より「安楽死」の申請のほうが簡単というカナダの事情
https://president.jp

ドイツの精神科医と安楽死計画 第2回 ナチズムが目指した人種改良
https://www.nhk.or.jp


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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