伸びる子と伸びない子の決定的な差とは?人生を左右するファクター(『発達障がい~神からの贈り物~』第56回)
発達障害出典:Photo by Brooke Cagle on Unsplash
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第56回 <毎月10日連載>
前回は北欧式の伸び伸びとした環境が子供の成長に与えることについて述べました。私の学習塾でも当初この環境を取り入れて見たのですが見事に失敗、今回はそこから学んだことについてお話しします。
伸び伸びとした環境であれ詰め込み教育であれ、結果を出す人とそうでない人は必ず現れます。人によっては環境が結果に大きく左右することもあるが、環境がどうであれ結果に大差ないと思われる人も大勢見てきました。
これは学習に関してだけでなくスポーツや趣味についても同じことが言えるように思います。どんな環境であれ結果を残す人たちが共通して持っているもの、それは自信ではないでしょうか?逆に結果を残せない人たちは自信がなかったり、根拠のない自信に駆り立てられていたり、自信過剰だったりするように思われます。
残念ながら日本人の多くは自信を喪失しているように私の目には映ります。特に子どもたちが。
では自信とは一体どういうものでしょう?発達障害自助会やペアレントトレーニングなどでよく出てくる自己肯定とどう違うのか?
私自身は自己肯定と自信を全く別物と考えています。自己肯定とは自己の存在を肯定すること、つまり勉強などできなくても生きる権利はある、誰からも存在否定されるべきでないというもの。対して自信とは字のごとく自身を信じること。己を信じられない人がどんな結果を呼び込めるというのでしょうか?
では何故多くの人が自信を持てないのでしょう?どうすれば自信が持てるようになるのでしょう?
自信とは気持ちを強く持つこと、のように精神論的に言われることが多いですが、私自身は全くそうでないと考えています。自信とは『見通し』、私はそう考えます。
全く泳げない人を「自信を持てば泳げる」と言って船から突き落とすとどうなるでしょう?これって全くの殺人行為ですよね。まずプールでゆっくりと浮く練習から始め、息継ぎ、バタ足の順に進み距離を少しずつ伸ばし、やがて海でも何度も泳ぐようになると経験を通してどんな長い距離でも見通しが建てられるようになりますよね。経験しないのに自信など持てる訳がないですよね。経験もしないのに持つ自信を根拠がない自信と言い、経験以上の自信を自信過剰と言うのではないでしょうか?
経験とは失敗の数のようなもの。失敗から学び修正していくことが経験値。残念だが東洋文化は失敗を非難したり嘲る風潮が強い。なので挑戦することをためらいがちになる。こんな環境で自信が持てることのほうが不思議かもしれませんよね。
実際、自信が持てない人たちに自由を与えると殆どが逃避行動を行う。自分と向き合わない。どうせやったって無理、そう思う人が現実と向き合えるでしょうか?そしてその逃避行動の代表例がスマホゲームやYouTubeだったりするのでしょう?
逆に自信を持っている人たちはなりたい自分になるために、つまり自己実現するために努力を怠らない。やればできるという信念があるから、どうすればできるか常に問題に向き合える。つまり、自信の持てる人は
放っておいても勝手に成長する。成長することが楽しいから。日本でゆとり教育が根付かなかった最大の理由、それこそが自信を育む環境の欠如ではないでしょうか?
次回はその自信を育む環境についてお話ししようと思います。カンの良い方はおわかりかもしれませんが、これまでのバックナンバーで何度もお話ししていることです。お時間があれば来月の答え合わせまでに読み返してみてはいかがでしょう?
発達障害