ある発達障害者の世界
発達障害質問系のサイトで時折見かける発達障害を持った子供に関する母親の相談内容。言うことを聞かない、もう手に負えないなど実に苦悩に満ちた相談の数々の中、彼女らの相談や愚痴から垣間見える子供の気持ちに共感する事が多々あります。親子とは言え健常者と発達障害者の隔たりは想像以上に深いのでしょう。今回は独断と偏見を持って発達障害持ちの次女たる三角おにぎりが子ども時代から今に至るまでの感情や当時感じていた感覚を好き勝手に紹介しようと思います。あくまで個人の意見なので我が子に全く当てはまらないと嘆かないで下さい。あなたのお子さんは良い子です。
世界の基盤は母親
私は基本的に親が大好きでした。特に接する機会の多い母親に対する執着が強い場合が多く「世界にまず親ありき」と言う感覚は普通の子供よりおそらく強いでしょう。発達障害を持った子はそうでない子に比べて虐待など酷い接し方をされる事が多いのですが、強く憎み謝罪を求めても尚その根底には世界たる母親の意識があるように思いますし、その気持ちを利用して搾取する親も多いです。
姉妹みなライバル
健常者目線だと驚く方もいるでしょうが、私の世界では例え実の姉であろうと良くてライバル悪けりゃ敵です。居たならば兄さんや弟や妹、果ては双子の兄弟でさえその運命を免れなかったでしょう。例えば、冷蔵庫に入れておいたお菓子を姉に食べられようものなら微笑ましい姉妹げんかに見えて、私の中では天下分け目の関ヶ原です。また、概念など目に見えないものに対する感覚がいまいち芽生えにくいのか、「お姉ちゃんだからいいの」という常套句なんて納得できません。ただの依怙贔屓なのです。ちなみに姉は私のお菓子とわかってあえて食べる、そういう人です。
自分が一番じゃないと気が済まない
良くも悪くも上下の意識なく本気で世の中の全てを平等に捉えている私は、また、その中で一番だと褒められる・評価される事がとても嬉しく、大好き。ゆえに姉やクラスメイトが自分より褒められる、更に自分が評価されなかった事が重なるととにかく面白くない。ともすれば自分の存在否定にも繋がりかねない事態です。まぁ、まずは宿題のドリルと散らかした部屋を片付けてから焦りなさいという話です。
信頼している程に嫌なものは許せない
親を心から信頼している子供は多いかと思います。わがままや理不尽な物言いは親に見限られない自信がある信頼の証です。ただ、私は信頼を寄せる親に自分の嫌がる言動をされると烈火の如く怒りました。理由は信頼していた親(=世界)に嫌がる事を向けられた事による怖さと動揺です。極端な物言いですが、信頼する存在は自分に絶対に牙を向けないと思っていたからです。なので、親が間違いを認めて謝ると、世界に受け入れられたと安心しケロッと機嫌が良くなる変わり身の早い子供でした。
比べられる時のアンテナは超敏感
人の気持ちは言われないと自覚しない、生活習慣は何度も教えても身につかない事も多々ある私ですが、教えてないのに、言われてすらいないのに何かと比べられる感覚の鋭敏さだけは他の追随を許しません。大好きな先生に比較の意図が無くても他の子を褒めていたら落ち込んだあげく不機嫌になり、かと思えば何気なく言われたありがとうの一言は柱の傷より深く覚えている。些細なことも比べられてると感じて一喜一憂してしまう様は、さながら「おにぎり」のお米が、古米から魚沼産コシヒカリに変わる様なものかもしれません。
まとめ
どこまでが発達障害の特性なのかわかりませんが、いずれにせよ面倒臭く幼稚な性格である事には変わりありません。恐ろしい事に良い歳こいた今でも大して変わっていない自信があります。大好きな人に一番大事にされて自分が一番褒められる事が何よりも嬉しいし安心できる。心の作りが単純なのでパーツ一つで簡単にまとめ上げられますが、単純なだけにそのパーツが無くなっただけで、モロっとくずけてしまう「三角おにぎり」なのだと思います。参考になるかどうか怪しいですが、こんな考え方の奴もいるんだ程度に見ていて頂けたら幸いです。
発達障害