アール・ブリュト~障害者アートと私
暮らし出典:Photo by Karolina Badzmierowska on Unsplash
「アール・ブリュット」「アウトサイダーアート」という言葉を聞いたことがありますか?筆者は某芸術大学に在籍してたとき、初めて授業でその言葉を聞きました。
アール・ブリュット、アウトサイダーアートとは?
「アール・ブリュット」とは「生の芸術」を意味するフランス語です。その解釈は人によって様々ですが「正規の美術教育を受けていない人による芸術」「既存の美術潮流に影響されない表現」などと説明されます。現在の日本では「障害者による表現」としてアール・ブリュットとして認知されていることが多いです。
障害のある方が創作するアール・ブリュットの作品を見ると、名前の由来通り、生の主張の激しい勢いのある、作品が多いように感じます。それは絵を描く技術などに囚われていません。本来絵などの作品は「伝えたい」という想いから生まれるものだと思います。ですが、絵の技術など学んでるうちに、手先の技術にばかり目がいき、自分の内にある「伝えたいこと」を忘れている作家や芸大生が多いのが現状だと思います。
障害者としての私の創作
私は芸大在学中に精神疾患と自閉スペクトラム障害がわかりました。私もアール・ブリュットの作品を描いていたのかもしれないと、今では思います。なので学友とは少し、創作意欲の方向性が違っていたのかもしれません。
私は高校生のころから、本格的に絵を描き始めてました。特にベトベトとした油絵の具で半年~1年ほどの月日をかけて、しつこく描くことが好きでした。今思えば、自閉スペクトラム症の「ひとりでいることが好き」「コツコツ単純な繰り返す作業が好き」「自分の創作に対するこだわりや頑固さ」「興味のあるものへ対してのすごい集中力」などの強みが出ていたように思います。
発達障害であるために幼少期から、コミュニケーションが上手く取ることができず、いじめられたこともありました。当時の私はそれに反発するように「自分であることに意味がある」ことを絵で必死に主張していました。主張しなければ、私は死んでしまう……ぐらいな気持ちで絵を描いていたからです。絵はタッチや筆跡など個性が出ます。周囲に認めさせることで「自分が存在していいんだよ」と思い込もうとしていました。ですが、本来の自分自身は弱くて不安定なものでした。
わたしは、精神疾患になってから「自分の内面に感じている重さ」をテーマにF150号サイズの作品を作ったことがあります。それは内面の世界で「赤」「青」が混ざりあっているような世界でした。わたしは「赤色」は攻撃的、衝動的、激しさ、の色と解釈していました。「青色」は冷静で落ち着いて客観的に見つめている色です。私の中で「自分」という存在は「赤」と「青」が混じりあっているものだと解釈していたのです。
現在、私は精神的に落ちついています。あのころのような絵はもう描くことはできないでしょう。他のアール・ブリュットの絵を創作していた作家さんも体調が落ち着いて「あのころの創作意欲が無くなりました。しかしもう描く必要は無くなったのでいいのです」とコメントされていました。
創作の勧め
アール・ブリュットの作品群と私の作品群は、暗く主張が激しい絵が多いため心が安らぐような絵ではないのかもしれません。しかし、どんな作品も没頭し作ると、まるで一仕事やり遂げたような達成感で、すっきりします。それはとても素敵な感覚です。
精神的に病んでいたとしても、その負のエネルギーを創作に変換させることで、そんな素敵な現象が起こります。絵を描くこと、歌を歌ったり音楽を奏でること、動画編集すること、小説を書くこと、など様々な自分の中を表現する方法があります。没頭することはすっきりし、達成感があり、形に残ります。ストレスの発散方法「コーピング」は、人に話をして相談することだけがコーピングではありません。日常的に、あなたも創作してはいかがでしょうか?
参考文献
【芸術における障害者の表現-アールブリュット・アウトサイダーアート関連展示を通じて-】
https://www.kcua.ac.jp