自傷行為との戦い~やめられない私が心掛けること
暮らし出典:Photo by Nong V on Unsplash
やめたくてもやめられない自傷行為に悩んでいませんか?
または、大切な人が自傷行為をしていて心配していませんか?
私は、やめたくてもやめられない側の人間です。自傷行為は幼少期からありました。当時は爪噛み、腕を噛む、身体を引っ掻くなどで、両親も自分自身も自傷行為であると気付いていませんでしたが、中学二年生になるころ、カッターナイフを使った自傷行為、いわゆるリストカットをするようになりました。
初めは浅く、量も少なかった傷が、進級・進学するたびに増えました。成人した今も、ときどきですが続いています。成人してからが一番酷く、様々な手段をとるようになりました。
煙草の火を焼き付けたり、体中にピアスをあけたり、アルコールや処方された向精神薬の大量摂取など、自分の身体も、心配してくれた人たちの心も蔑ろにしてきました。
今ではリストカット以外はやめることができています。そして、リストカットもやめるために日々努力を重ねています。
私の話をすることが、自傷行為をやめたい人がやめられるように、そして、大切な人が自傷行為をすることが心配な人の役に立てば幸いです。
自傷行為とは
自傷行為とは、自分で自分の身体や心を傷つける行為のことです。
広く知られている手段として、刃物で傷つける、熱い物で火傷をさせるなどがありますが、目で確認しやすいので(傷として残るため)注目を浴びているだけで、分かりにくいものもあります。
例えば、アルコールや薬の大量摂取。危険をともなう(望まない妊娠やSTD感染などを誘発するもの)性交渉などがあります。
自傷行為をしたくなるとき
自傷行為をしたくなるとき、私はネガティブな感情をコントロールすることができなくなっています。私がよく囚われるネガティブな感情は「自己嫌悪」「罪悪感」「見捨てられる不安」「いたらない自分への怒り」です。
この4つの感情は、私ではどうすることもできないことが理由です。複数の理由が、複雑に絡み合っているので、自分で気付くまでにとても時間がかかりました。そして、まだ解明できていない部分もきっと残っています。
その解明と、分かったことを自分の中で噛み砕いて、落としどころが見付けられたとき、私は自傷行為から自分を解放することができるのだと思います。
それでは、解明できた部分だけですが、私がネガティブな感情に囚われてしまう、私にはどうしようもない理由をお話します。
・うまれてきたことへの罪悪感
私は、母親がまだ学生の時に父親との間に授かった子どもです。母親は両親(私にとっての母方の祖父母)と折り合いが悪く、いわゆる機能不全家庭で育った人でした。母自身、病弱で満足のいく生活を送れていなかったようです。
病状が落ち着き、やっと夢のために専門学校へ通うことが叶い、就職先も決まったころ、妊娠が発覚しました。母は学校も就職もやめました。
冷静に考えれば、それは母が母の意思で決定したことで、私に責任はないのですが、どうしても母の人生を邪魔してしまったという気持ちを拭えずにいます。
・母の望むいい子でいられなかった
母は、自分の家庭環境がよくなかったことを常に気にしていました。なので、完璧な母親を目指していました。
しかし、完璧な母親とは、いったいどういう人物なのでしょう?完璧のレベルとは何なのでしょうか?
大人になった私は、完璧はこの世に存在しないのだ、と考えられるようになりました。
しかし、子どものときの私は、完璧な母親に育てられた、完璧な子どもになろうとしました。そうして褒められ、愛され続けたかったのだと思います。
今思えば、これは傲慢な考えでした。
私がいい子でいれば、母親は完璧な母親であれると信じていました。
私のこの考え方が、のちに母子間の軋轢を生みました。
・私はダメなできない子
母はとにかく私に過保護で愛情深い人です。私がなにかにつまづくと、私よりも落ち込んで心配して、どうにかしようと手を尽くしてくれました。
私は何でもしてくれる母に甘え、これが愛されている状態なのだと思っていました。父は仕事で家におらず、いじめられっ子で友人もいなかった私は、母が全てでした。
小さなときは何も問題はなかったのです。しかし、私が大人に近づいていくにつれ、大好きな母の深い愛情が枷に感じられることが増えてきました。自分でちゃんとできるのに、できない私を求められていると感じました。
もちろん、失敗することもありました。すると「だからこうしなさいといったでしょう」といわれるのです。母のいうことは正しいことばかりでした。母のいうことを聞いておけば大丈夫だと思っていました。
しかし、本当の自分の気持ちが見えなくなるということでもあったのです。
このころから、自分の人生が自分のものであるという感覚が消え、自分は何のために存在しているのか分からなくなりました。何がしたいかも、何をするべきかもわからなくなり、どうでもよくなり、とりあえず人から嫌われないようにしようという、漠然かつ傲慢な目標を立てました。
人から嫌われずに生きることなど、到底不可能です。1:2:7の法則をご存知でしょうか。人生で出会う人のうち、1割は何をしても嫌われ、2割は絶対に自分を好きでいてくれ、7割はどちらにも転ぶ、というものです。
1割の人に出会うたび、落ち込み、母に慰められ、自分はダメだと思うようになっていきました。
する側の気持ち、とめる側の気持ち
私の場合、自傷行為をする条件に「誰も見ていないこと=ひとりきり」があります。自傷している姿を誰にも見られたくないのです。なので、自傷行為への衝動が高まったときは鍵のかかる場所(トイレや浴室、更衣室など)や自宅でも自分以外がいない時間を探します。そうしてひとり閉じこもって、カッターの刃を繰り出す音が聞こえないように、静かに静かに切ります。
自傷行為をするとき、なぜ隠れるのか。はっきり自覚している理由は「怒られるのが怖いから」です。初めて自傷行為が親に見つかってしまったとき、酷く責められました。泣かせてもしまいました。
私は当時、自分の苦しさでいっぱいいっぱいだったので、受けとめてもらえなかったことに悲しみを覚えました。心のどこかでは優しく話を聞いて、同調し、慰めてくれることを望んでいたのではないかな、と思います。
しかしいくら自分の親とはいえ、いや、親だからこそ、自分の子どもが自分で自分を傷つける行動をしているのは受け入れがたいことなのだろうな、と成人し親元を離れた今では思います。
私は第一子で、病弱な母親が奇跡的に授かった子どもだそうです。思い入れはひとしお、自分がお腹を痛めて産んだ子なのだから、と一体感も期待感も強かったのでしょう。
極端に私が傷つくことを恐れ、完璧な家庭環境を提供しようと神経質になっていたように思えます。
なので、一生懸命、大切に、自分のすべてを費やして育てた我が子が、内科では診てもらえない病気になってしまったことは「自分の子育ての仕方が悪かったのだ」という感情を抱かせてしまったのではないかと思います。
しかし、人間「自分が悪いのだ」と思い続けることは苦しいものです。自分を肯定するために他者を否定する。よくある防衛機制です。怒って泣いて私を否定したことは仕方のないことなのです。
このエピソードから私がお伝えしたいことは「自他の境界線を認識しよう」ということです。
親子、夫婦、友人、恋人。親密な関係性であればあるほどに、相手に一体感を求めてしまいます。それは悪いことではありません。しかし、度が過ぎれば相手が見えなくなってしまうことも事実です。人の数だけ考え方があります。
自傷行為をする、しないで考えれば、しないに越したことはありません。しかし、する側にも理由があるのです。もちろん、止める側にも。
お互いにお互いの理由があるということは覚えておきたいものです。
する前になにができるか
リフレッシュ法を複数用意し、試してみましょう。自分の好きなこと、手軽にできることがポイントです。
私がしていることを紹介します。このまま取り入れていただいてもいいですし、自分なりに探してもらってもかまいません。
・音楽を聴く
今の自分の気持ちに寄り添ってくれる、または、ほしい言葉をくれる曲を聴いてみましょう。プレイリストを作っておくのもオススメです。
歌詞が耳について不快なときは、インストルメントミュージックを聴いてみるのもいいでしょう。カフェなどでよく流れているような、楽器だけのおだやかな音楽です。
・アロマを焚く
香りの持つ効果は大きいです。安眠効果のあるもの、食欲を誘うもの、頭が冴えるものなどたくさんの種類があります。
最近では、百円均一ショップやディスカウントストアで少量から安価で手にしやすいものもあるので、試してみてはいかがでしょうか。アロマポットなど、小物類もそろえてみると、自分だけの癒し空間=安全地帯を作ることができ、そこにいるだけで一先ず落ち着くことができるようになる場合もあります。
・コーヒー・紅茶を淹れる
インスタントやティーバックでももちろん構いませんが、オススメは豆、茶葉から淹れることです。香りをたのしみながら、ゆっくりと「作業をする」ということで一呼吸おける場合もあります。
自分の分だけでなく、誰かの分も淹れてブレイクタイムに誘ってみるのもいいかもしれません。おしゃべりしている間に落ち着くことがあります。
・絵を描く
絵が好きであれば、自分のクリエイティビティを発揮し好きなものを好きなだけ描いてみるといいでしょう。
しかし、絵は得意でない、今は創作意欲が湧かないという場合もあると思います。そんなときは、マネをして描いてみること(模写)をオススメします。1つの物事に集中しているとき、ネガティブ思考は隠れてくれます。
・文章を書く
私は音楽や文学が好きで、趣味の範囲ですが、バンド活動や執筆活動を通して、自分の中の感情を作品として昇華することがあります。ある種の自己分析です。
創作が苦手な人はブレインストーミングをしてみるのはいかがでしょうか。
書くという作業は、アウトプットとインプットをほとんど同時におこなえるものではないかと私は思います。頭の中から感情を探って書き(アウトプット)、書いたものを目で見る(インプット)ことで、自分を冷静にみることができると思います。
してしまったときは
リフレッシュ方法を試しても、気を紛らわせる努力をしても、うまくいかないときもあります。自傷行為でえられる安心感は一瞬で、その後は自傷してしまったことへの罪悪感でいっぱいになってしまいます。
まずは腹式呼吸を心がけ、落ち着くことに集中します。してしまったことをずっと考えてもどうしようもないので、まずは手当をしましょう。
手当をちゃんとすることは、自分を大切にする第一歩です。
そのまま放っておくと、傷口からばい菌が入って炎症を起こしたり、傷が深い場合は失血死の可能性もあります。必要な場合は救急車を呼んだり、外科で縫合してもらいましょう。
手当をし、落ち着いたあと
状況を整理してみましょう。落ち着くまでには時間がかかると思いますが、ゆっくり少しずつでいいので、まず日付と時間、何をしたか、原因と思われる出来事は何か、今後、対策としてできそうなことは何かを書き出してみることをおすすめします。
そして、ときどき読み返してみてください。自分の感情の流れの傾向がつかめてくるとおもいます。
私はこの方法で、毎日していた自傷行為が数か月に一度ほどまで抑えられました。一年間やめつづけることができたときもあります。
もちろん、ぶり返してしまうこともありますが、記録をとっていれば、原因究明や再発防止につかうことができます。
私自身、戦いの最中にいるので、読みにくいコラムだったかもしれません。しかし、何か訴えかけることはできたのではないかと考えます。
母子関係、自己実現、認知バイアスの歪み、共依存、愛着障害、アダルトチルドレン……このキーワードで何度もネットを検索したり、本を読んだりしました。そうしてゆっくりと、自分の中を整理してきました。
まだまだ荒削りな部分が多いと自分でも思いますが、こうしてコラムを1つ書けるぐらいには向き合ってきたつもりです。
向き合うことは苦しいです。逃げても、休んでもかまいません。これを読んで下さったあなたが、あなたの人生を歩んでいけますように。
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