映画の中の障害者(第9回)「フォレスト・ガンプ」
エンタメPhoto by Geoffrey Moffett on Unsplash
知的障害者を主人公にした作品は数多ありますが、1994年の「フォレスト・ガンプ」(ロバート・ゼメキス監督、主演トム・ハンクス)は中でも名高い作品で、アカデミー賞作品賞も受賞。公開当時、家族で劇場鑑賞して、主人公の前向きな生き様に感動し、アメリカへの漠然とした憧れを抱いた記憶があります。今回、およそ30年ぶりに鑑賞して、また異なった印象も受けたので、それを本コラムで記します。
※ネタバレあります
知的障害の主人公が時代を駆け抜ける
物語は知的障害を持つ主人公フォレスト・ガンプが50年〜80年代のアメリカを時代に翻弄されながらも自己を貫き、周囲も変えていく話です。架空のキャラクターであるガンプがエルビス・プレスリーやケネディ大統領など歴史上の人物に遭遇するくだりなど、同じゼメキス監督のバック・トゥ・ザ・フューチャーを彷彿させる虚実入り混じったユーモアが満載です。
詳細はWikipedia等で見てもらえたらなのですが、ベトナム戦争で死にかけたり、エビ養殖で成功するなど波乱万丈なのですが、幼なじみの女の子ジェニーとのロマンスも主軸となっていて、その2人のコントラストに大きなメッセージが含まれています。
権力が求める障害者像をなぞるガンプ
実は同作品は名作と言われる一方、かなり批判もされています。まずは知的障害者を紋切り型に「純粋・無垢」であり奇跡を生み出す聖人として描いている点です。これ自体は、ピュアな存在を通じて社会の歪みを映すという、古今東西良くあるモチーフなのですが、本作で看過できないのはそれが政治権力と強く結びついている点です。ベトナム戦争へ行き、名誉勲章をもらい、大統領と謁見する。ガンプは国の命令に従順に行動することで社会的成功を獲得していきます。それとは対照的にガンプが片思いを続けるジェニーは、社会のレールから外れる人生を進みます。歌手を目指しヒッピーとなり反戦運動に関わりますが、男や薬にまみれ、自殺未遂し、最終的に行き場を失いガンプの元へ戻りエイズと思われる病で死んでしまいます。ロバート・ゼメキス監督はDVDのオーディオコメントで「ガンプはママと神とアップルパイが好きな良いアメリカ。ジェニーはセックス・ドラック・ロックンロールの悪いアメリカ」とあけすけなく語っていることからも、完全にジェニーが象徴する反体制・理想主義的な生き方を悪意を持って酷く描いています。
またガンプは足が早く、人生で困難にぶつかると走り出します。いじめられっ子から逃げる、戦場で砲撃から逃げる。これは作品の「人生を駆け抜けろ」というメッセージでもあるのですが、ベトナム徴兵にも胡散臭い権力者からも一切逃げようとしません。権力が求める何も考えず命令に従順な国民の象徴として知的障害者が描かれているのです。知的障害者に寄り添っているようで、完全に見下していて都合よく利用していると捉えられても仕方ないでしょう。
作家の意図を超えて映るもの
多くの障害者は福祉制度があって生活できているのだから、構造的に権力・社会に従順であることを強いられるし、個人の意思を表明するようなら多大なバッシングに合います。世間が求める(認める)のは、健常者にとって都合良い装飾品のような存在。残念ながらフォレスト・ガンプはそういった側面を強化するような作品であることは否めません。
このように書いていると、作品を全否定したくなりますが、厄介な事に映画的には本当にスリリングで、人生と世界の途方もなさが描かれています。また、戦争で負傷し障害者となったダン中尉が自暴自棄になってもガンプのおかげで変わっていく姿には純粋に心を打たれますし、悪意のある描かれ方のジェニーですが、監督の意図を越えて、恐ろしく生々しく人間や人生の残酷さが描けています。何より冒頭の空に舞い上がる羽毛が踊るように降りてきてガンプが拾うシーンは映画史に残る奇跡的なシーンと言っても過言ではないでしょう。
今の価値観・倫理観からの批判はあるべきですが、映画(特に実写)は監督の意図を超えたものが映っていくもので、それを取りこぼしてはならないとも思います。そういった寛容さ・態度が、これからますます必要になっていくのだとこのフォレスト・ガンプを見て感じた次第です。新たな発見があるので、すでにご覧の方もぜひご鑑賞をお薦めします。
参考リンク
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/フォレスト・ガンプ/一期一会
【町山智浩映画解説】大論争を引き起こした『フォレスト・ガンプ』の問題点とは
https://youtu.be/Kf20_0Q9iDA