障害とゲーム
暮らし出典:Photo by Fredrick Tendong on Unsplash
先日、オンラインゲームを遊んでいるときにこんなことがありました。
共に戦うメンバーを募集するところで目に入ったのは「わたしは視覚障害のため画面が見えづらく失敗が多いですが協力お願いします」といった募集文。(文章は正確ではありませんが、このようなものでした)
わたしはすぐさま合流し、一緒に戦うことにしました。ジャンルは違えど、自分と同じく障害を抱えながら戦っている人がいることが少し嬉しくもあり、絶対にクリアしてやるぞ!と気合十分です。
あっという間に7人のメンバーが合流し、強敵と戦いました。
バトルの間もご本人がおっしゃっていたように、画面が見えづらいことなどの影響か多少ミスがありましたが、味方全員で助け合いながら無事にボスを倒すことができたのです。
最後はみんなで喜びを分かち合い、またどこかで会ったらよろしく!などといい、別れました。
共に戦ったメンバーが健常者なのか障害者なのかはわかりませんが、協力し合うというぬくもりや、募集主さん自身が障害をオープンにしてメンバーを集めたことの芯の強さを感じました。
障害を抱えてゲームをするということの難しさ
このオンラインゲームはおおよそ4~8人ほどで遊ぶことがほとんどです。もちろん自分だけで遊ぶことも可能なのですが、やはり画面の向こうの仲間と冒険することこそが醍醐味でしょうか。
そんな中で、やはり障害というのは大きな壁となり立ちはだかります。
わたしがX(旧Twitter)で交流があった方だと、身体障害により手が不自由でボタンの操作が難しいとおっしゃっていました。中でも、激しくボタンの連打を強いられるシーンでは特に苦労するそうです。
前述のメンバー募集の方も、暗い画面では真っ暗に、明るい画面は明るすぎて見えないといったことを述べられていたように記憶しています。
アクセシビリティはどこまで対応されるのか
最近ではゲームに限らずとも、障害者や高齢者が利用しやすくなるためのアクセシビリティというものが求められるようになりつつあります。
目にすることが多いものであれば、テキストを音声で読み上げる機能や、色覚多様性に対応した色合いの調整機能などでしょう。
これらはウェブアクセシビリティであり、建物のアクセシビリティであれば一般的には「バリアフリー」と呼ばれていますね。駅などの公共施設でのバリアフリー化は進んでいますが、ゲーム業界ではまだあまり進んでいないのが実態だと思われます。
わたし自身、30年以上に渡りテレビゲームを遊んでいますが、障害に対応しているものはほとんどありません。視覚、聴覚はもちろん、両手を使って激しくプレイすることが当たり前なのです。
面白いゲームを作ろうとすればそうなるのは仕方ありませんが、例えば「シンプルモード」などとし、面白さが多少損なわれても障害者でも遊べるものを……などと考えるのは望みすぎでしょうか。
気持ちは同じ
今回の件で強く感じたことは「どんな障害を持っていても(同じゲームをプレイしていて)楽しみたい気持ちに変わりはない」ということです。
当たり前のことではあるのですが、視覚障害があるからといって楽しむことを諦めるわけではないという姿勢に共感しました。
それと同時に、精神障害を抱えているわたしは、ことテレビゲームにおいては普段からあまり困ったことがない恵まれた存在だと気付いたのです。「恵まれている」という表現が適切であるかはわかりませんが、代わりになる言葉が思い付かないのでこの言葉を選びます。
もっと技術が進歩し、例えばゲーム内のチャット機能などに音声読み上げを連動することなどが可能となる未来を願います。