発達障害グレーゾーンBOYとおっさん新米パパの8年~前編「会話は通じるけど、心が通じない気がする」
発達障害 暮らし3歳ごろまでほとんど言葉を発しなかったものの、息子はいつも元気で利発、楽しそうに見えました。赤ちゃんの頃は、一日じゅう手足を激しくばたつかせていました。歩きだすとすぐに走り始めます。パタパタと走っては転び、走っては転び、それでも楽しげにきゃっきゃと叫んでいました。高いところにある物が欲しいとき、周りの子どもたちは「とって」とママに頼みます。しかし息子は小さな踏み台を取りに行き、自分で欲しいものを手にしていました。
離婚についてありのまま話す
言葉が遅いからと、乳幼児検診や保育園を巡回する発達指導のたびに呼び出されました。息子はじっと座って待つことができないので、待ち時間の間ずっと手をつないで保健センターの階段を上り下りしていたこともあります。それでも、とくに心配はしていませんでした。息子の目が好奇心でいつも輝いて見えたからです。
おばあちゃんっ子だった息子にとって、4歳で祖母のがん手術を3度も目にした衝撃は、想像を絶するものだったのでしょう。有名人のがんが報道されるたび「何がん?」と私にたずねては一度で覚え、テレビを見るたびに「この人はすい臓がん、この人は肺がん」などと、しきりに口にしていました。
離婚が決まったとき、ありのまま息子に話そうと決めました。受け入れがたい事態が起こったとき、子どもにちゃんと説明しないと「自分がいい子じゃなかったから、そうなった」と子どもが思い込んでしまうことがある」と聞いたからです。
簡単な家系図を書き、赴任先で子どもができたのでパパはそちらのパパになると息子に告げました。しばらく無表情で硬直したあと、息子は大粒の涙を流して「いやー!」と2時間以上も泣き叫んでいました。
「馬鹿にしてんのか!」
息子が5歳のとき、新しいパパが来てくれました。夜はたいてい靴下を丸めたボールやすごろくなど父と子で遊んでいます。腕にぶら下がってきゃあきゃあ歓声をあげる小さな男の子を、夫は自分の息子として受け入れ、真剣に向き合ってくれました。島で生まれ育った穏やかな人ですが、子育てについては初心者。利発ゆえの屁理屈や挑発的な物言いに直面するたび、内心不安でいっぱいだったでしょう。
「何度も言ってるやろ!馬鹿にしてんのか!馬鹿にしてんのか!」洗い物や入浴などで夫と息子の姿が見えないときに、突然ただならぬ怒号が家じゅうに響き渡ることが何度かありました。恐る恐るリビングをのぞくと、夫は煙草を吸いにベランダに出たようです。真っ赤な顔で息子がひとり立ち尽くしていました。
きっかけは、たいてい他愛ないことでした。食事中のくちゃくちゃした音を注意してもふざけた返事ばかり。当たりはしないものの輪ゴム鉄砲を親に向けて発射してしまう。仕事帰りで疲れ切って夕食をとる夫のそばでわざとおならをする。身体の洗い方が雑だと指摘したらキレる。
小学校低学年の男の子が、注意されて屁理屈をこねたり挑発的な言い方をするのは自然なこと。毎日12時間から14時間、週に6日パワハラに耐えて働き続ける夫が「馬鹿にされた」と受け取ってしまうのも理解できます。息子と夫、ふたりの笑顔と元気を守りたいけれど、出口の見えない暗闇のような日々でした。
会話は通じるけど、心が通じない気がする
こんな日常的なことを相談してもいいのか。ドアの外から覗いては何度も引き返し、ようやく意を決して児童相談所を訪ねました。離婚と再婚が子どもの心に及ぼす影響について相談し、「会話は通じるけど、心が通じない気がします」と伝えました。丁寧に傾聴してくださった相談員から、思いもかけない言葉がありました。
「発達障害の可能性があります」
利発だが、暗黙のルールが理解できない。なぜ注意されたのか、謝らなければならないのか理解できない、納得できない。予定変更への適応がむずかしい。
そのような説明のあと、息子との接し方についてアドバイスをいただきました。利発な部分と不器用な部分があって、わざとではなく本当にできない部分があること。感情的に怒るより、冷静に淡々と教えるほうが伝わること。やさしさ、穏やかさなど「こうなってほしい」部分が少しでも見られたらピンポイントでほめ、感謝すること。
聴いてくれる人がいることで、心が少しだけ軽くなった気がしました。
その後、医療機関で発達検査を受け、母子ともに発達障害グレーゾーンであることがわかりました。
「やったことそのもの」を注意しないと伝わらない、わからない
手を上げられることはあまりなかったものの、些細なことで夫に怒鳴られるたび、息子は恐怖と怒りでいっぱいだったでしょう。「言い返さず素直に聞けばいいのに」という言葉を呑み込んで、しばらく息子の思いを聴きました。それから少しだけ話しました。やったことは小さい、なんでそんなに怒られるのかなって、ほんとはママも思う。それは後でパパに話すよ。パパが怒っちゃったのは「やったことそのもの」より、注意されたときの言い方じゃないかな。毎日長い時間仕事して疲れ切って余裕がないから、小さなことも気になっちゃうのかもしれない。
息子に対して申し訳ない気持ちで、おやすみなさいのハグをしました。
夫の思いも聴きました。「俺が悪いんや」「俺が小さいんや」うなだれて何度もつぶやく夫。「やったこと」そのものを注意しないと、子どもに伝わらない、わからないのかも。「馬鹿にしてんのか」だと、怒鳴られたことだけ記憶に残って、何をして怒られたのか忘れちゃうんじゃないかな。
息子が発達障害グレーゾーンで、一見何でもそつなくこなしているように見えるけれど不器用で弱い部分があることを伝えました。「脳のこの部分だけ弱い」と言われても、最初は戸惑うばかりでしょう。わがままなんじゃないか、お前の考えすぎなんじゃないか、そんな呟きが返ってきました。
利発な息子が人を馬鹿にしたような態度のまま大人になったら、仕事でも人間関係でも行き詰まってしまうでしょう。そのことを心から心配して、夫はつい厳しく接してしまうのです。本気で愛して、心配だからこそ知らん顔できないのです。将来を案じる夫の思いはしっかり受けとめ、少しずつでも理解してもらうために伝え続けよう。そんな決意を新たにしました。
「雨がやんだらボールで遊ぼう」
毎週のようにボール遊びをしたり、時々アスレチックに行ったり、母子家庭の頃はなかなかできなかった楽しい体験を3人で少しずつ積み重ねていきます。骨組みだけでボディーはありませんでしたが、息子が乗って遊べる小さな車を作ってくれたときは、喜んで何度も乗り回していました。
ある日曜日、息子にせがまれて「雨がやんだらボールで遊ぼう」と約束してしまいました。とはいえ雨あがりの地面はひどくぬかるんでいます。服がドロドロになるからボール遊びは来週にしようと言っても聞かず、「行こう!」と怒鳴る息子。夫もつられて怒りそうになっていました。
児童相談所のアドバイスを思い出し、発達障害のため予想外の変更を受け入れることが息子にとって難しいことを夫に伝えました。考えすぎではないか、わがままなんじゃないか、過保護じゃないか、そう言われても、息子にとって難しいことは難しいのです。
その日は、しばらくもめたあと河川敷へ3人で出かけ、コンクリートの道で少しだけボール投げをしました。
息子にとって、見通しのつかないことや予想外の変更は受け入れがたいことです。約束をするときは、起こりうる事態を予測して保険をかけておくといいですよ、と児童相談所からアドバイスをいただきました。たとえば「パパの足が痛くなければ」「地面がぬかるんでなければ」といった具合です。保険をかけるようになって、トラブルが少しだけ減りました。
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