知的障害者と福祉型大学~狭い進学ルートの代わり

知的障害 暮らし

Tim Mossholder

知的障害者が特別支援学校の高等部など高校に相当する学校(以下、高校とします)を出てからの進路についてはご存知でしょうか。就職か進学かでいえば、大半が就職を目指すことになっており、進学を考えるのはごく僅かといわれています。

知的障害者が大学へ進学する割合は2014年時点でわずか0.4%とされており、健常者の進学率(2014年時点で53.8%)と比べれば圧倒的な差となっております。実人数では健常者56万3500人に対し知的障害者はわずか66人に過ぎません。

大学受験が知的障害者にとって難しすぎるからと一般的には考えられますが、原因はそれだけで説明がつくのでしょうか。そもそも、大卒でなければ幸福を追求することが出来ない程余裕がないのでしょうか。

なぜ大学へ行くのか

支援学校と大学受験は結びつくこと自体がごく稀です。それは健常者によるステレオタイプが作ったものではなく、支援学校のプログラムそのものが大学受験を考慮していないつくりになっています。端から諦めているというより、進学ルートの想定すらしていないので受験対策の施しようがありません。

多くの支援学校では卒業後のライフスタイルを就職一本に絞っており、高校を出たらすぐに働くことを前提として動いています。実は唯一の道とする就職ルートすらも盤石とはいえないのですが、この辺りの話は後述するものとしましょう。

知的障害者が大学進学を目指す理由についてですが、進学を望む知的障害者は非常に少なく、統計をしても信頼できるデータは生まれないのではないかと思います。それでもなお考察するならば、「学ぶ意欲」や「モラトリアム期間」の必要性がそうさせるのでしょう。

学ぶ意欲は個人個人のケースなので何とも言えませんが、モラトリアム期間は健常者と同じく重要ではないかと思います。それなりに庇護のある支援学校から裸一貫で一般企業へ投げ出されるせいで急変に耐え切れず、ドロップアウトし施設へ甘んじる人が多いためです。

障害者へ合わせるには限度がある

当たり前ですが受験の目的は大学へ入る事だけではありません。志望校に合格し、志望校で学び、志望校を卒業するのが目的となります。途中で大学生活についていけなくなって中退しては意味がないのです。ところが、知的障害者にとって大学生活は困難の連続であると容易に想像がつきます。履修登録に試験にレポートにグループワークとやるべき事は多く、それらを十全にこなさねばなりません。

所謂「Fラン大学」でも知的障害者が生活するのは(学生の質という意味でも)厳しいのではないかと思います。とはいえ、大学のシステムを知的障害者に合わせるとなると大規模な改修が必要となるので、あまり賛同は得られないでしょう。要するに「社会を障害者に合わせる」には限度があるということです。

知的障害者が大卒の肩書きを得るには十重二十重の試練をパスせねばならず、率直に申し上げますとかなり難しいです。しかし、大卒にこだわらず知的障害者へ高等教育を受けさせるシステム作りは既に世界中で進行しているさなかです。

その方法は、支援学級のような学部を大学に設け独自カリキュラムを受けてもらうという形式です。独自カリキュラムでは試験も単位もなく学士号こそ貰えませんが、大学で専門分野を学ぶこと自体は出来ます。学ぶ意欲に応え得るシステムですが、日本で採用している事例は聞きません。

一方、モラトリアム期間を与える取り組みについては日本国内でも行われています。それは「福祉型大学」という取り組みで、実際に4年間在籍することになります。

大学の代わりに4年を与える

「福祉型大学」の草分けとなったのは、2012年に福岡県の社会福祉法人が立ち上げた「カレッジ福岡」です。カレッジ福岡は本物の大学ではありません。「自立支援事業」と「就労移行支援事業」を展開する福祉施設で、それぞれの2年間をフル活用して4年のモラトリアム期間を与える構造となっています。

4年かけて行うプログラムにはコミュニケーションや資格取得、マラソンや登山など持久力の必要なスポーツ、卒論さながらに1年かけて興味ある事の論文を組み立てていく「研究論文」などが盛り込まれています。社会性や教養だけでなく成功体験も積み上げていくことで、ストレス耐性を上げてドロップアウトを防ぐ狙いもあります。

カレッジ福岡を立ち上げた「鞍手ゆたか福祉会(現・ゆたかカレッジ)」の理事長である長谷川正人さんは、同様の施設を長崎や新宿など国内に8か所展開しています。自立支援と就労移行支援を組み合わせる事業が何故始まったのか、きっかけは自身の子どもが直面した進路選択でした。

長谷川理事長の娘さんは重度知的障害とASDを抱えていて明らかに支援が必要をしていました。そこで支援学校を卒業するにあたって「発達がゆっくりだというのに、まだ社会へ出るには早いのでは?」という疑問が生じます。同じ疑問を持つ保護者が多いと知った長谷川理事長は、高専のようにあと2年は学校にいられるよう制度作りを求める動きについても把握しました。

しかし長谷川理事長は、2年では常に卒業後を見据えねばならず余裕がないと考えていました。青春を謳歌し多様な学びを経験する期間がもう2年必要であるとし、自立支援と就労移行支援を組み合わせて4年制の施設を立ち上げたのです。

「支援学校を出てすぐ就職するよりも、学ぶ期間を延ばす方が再起しやすい人間に育つ。」とは、長谷川理事長が専攻科のある支援学校の実績から見出した真理です。知的障害者が仕事で挫折する理由は人間関係や社会性でのトラブルが最も多いため、カレッジ福岡では一般教養や社会常識に力を入れています。

福祉型大学を利用した人の中には、論文作りに四苦八苦したり友人と台湾へ卒業旅行をしたりと、一般の大学生と遜色ない生活を過ごした者もいました。確実に大学の代わりとしての役割を確立しつつあります。

就職にしても不十分

一方、支援学校が本来の目的とする就職については誇る程の成果などありません。支援学校を卒業した知的障害者のうち一般就労できたのはわずか3割に過ぎないのです。しかも何の庇護もない環境で耐性を持たないまま壁や困難に直面し、離職や精神不調に繋がることもよくあります。そのため実際に一般企業で働き続ける知的障害者の数は相当少ないと予想されます。

就職から外れた障害者が行き着くのは施設です。主に就労継続支援B型など、かつて授産施設と呼ばれていた場所で単純作業に従事しながら、月2万程度の工賃で生活することになります。B型事業所から一般就労へ戻れるのはわずか1%ほどで、ほとんどの知的障害者は一生施設で単純作業に従事すると断言してもいいでしょう。

要するに、「進学などあり得ない!就職するか施設に入るか二者択一!」という見かけ上の選択肢すら機能せず、多くの知的障害者が福祉施設での単純作業に留まっている状況が続いているのです。一般就労でも通用する知的障害者が存在する可能性は考慮されません。

発達がゆっくりであるにも関わらず、一般的な高卒と同じ18歳で何の庇護もない社会へ放り出すことの拙速さが最大の課題ではないでしょうか。仮に職場への定着が出来ても、「知的障害者が目上に就く」という事態に直面しうる可能性が精神疾患リスクに化けるという別の懸念が生まれるかもしれませんけれども。

ただ、知的障害者だから無理だと決めつけて可能性を閉ざし続けるのも賢くないといえます。一般企業で通用するなら一般企業に就くのが最も自然ではないでしょうか。

参考サイト

ふくし×教育 私たちは、あたりまえのように大学へ進学するけど、障害のある子たちの将来は?|日福大コンタクトブック
https://www.n-fukushi.ac.jp

知的障害者に進学は必要ない?「お父さんと同じ仕事がしたい」(THE PAGE)
https://headlines.yahoo.co.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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