想像力の欠如こそが最大の生き辛さ、かも(『発達障がい~神からの贈り物~』第43回)
発達障害『発達障がい ~神からの贈り物~』 第43回 <毎月10日連載>
みなさん、こんにちは、
もう気づけば夏、コロナ禍も収束傾向にあるようで、普段の生活に戻りつつあるのではないでしょうか?
さて、そんな中である相談を受けました。視野が狭く周りが見えない、注意力が低い、そんなことへの対策を求められました。確かに、発達障害の悩みごとの代表例として『空気が読めない』ことがあげられますが、視野の狭い人が周りの空気感をつかむのに苦労しているように思われます。
よくよく考えてみると、『注意欠陥が多い』『仕事などで良くミスをする』といった悩みも原因が同じように思われます。更には『優先順位の理解が苦手』というものも同じ原因と考えられます(後ほど詳しく説明)し、実は発達障害の生き辛さの最も大きな原因のように考えれば考えるほど思えるようになりました。
いつもながら、それらを詳細に説明するときっと本一冊分ほどになってしまうだろうから、結論から述べます。視野が狭い、注意力が低い、などなど上記の悩みごとの最大の原因は『想像力』ではないでしょうか?
『想像力』という言葉だけで表すと、『私は想像力は高い方だ』と述べる当事者も多くいると思います。いや、そう述べる人の方が圧倒的かもしれません。しかし、ここで述べる想像力とは生活に直結している想像力、つまり注意力であって、妄想や空想と言うものでは一線を敷きます。私自身も子供の頃は空想癖がつよく、それが一種のファンタジーとしてやがてクリエイトの世界へと自身を導いたと思いますし、それが他にはない感性かもしれませんが、今回は生活に直結した想像力というところにフォーカスします。
注意力とは言い換えればリスクマネジメントのようなものかもしれません。自身に降りかかる物理的な危険から回避するだけでなく、人間関係の構築や業務や勉学においてもリスクマネジメントは有効です。リスクマネジメントは被害の回避だけでなく加害の回避にも有効です。自身の一方的な価値観や思い込みで他人に迷惑をかけることもあります。これらのことにより多く気づけることこそ最大のリスクマネジメントであって、高い注意力と言えるのではないでしょうか?
『だろう運転』と言う言葉を運転免許をお持ちの方はご存じでしょう。心の中での『大丈夫だろう』という気のゆるみの多い人こそ事故を起こしたり、巻き込まれる可能性が高く『~かもしれない』と考える『かもしれない運転』を心がけている人は事故に出会う可能性は低いそうである。私の周りを見渡していても、『だろう生活』をしている人の方が圧倒的に生き辛さを感じているように見受けられる。
ここでもまた、『私は常に周りに気を配りリスクマネジメントに努めている』と言う人を時々見受けるが、果たして本当にそうだろうかと疑問に思うことがある。先ほども述べたように、生活に直結していない危険にばかり気を配っていたり、自身の一方的な価値観や思い込みでエネルギーを使い果たしている人が多い気がしてしまう。
そして、彼らに共通する特徴、それは自分の頭で考えないことがあげられるように思います。これは日本の教育そのものが大きな弊害になっていると思われますが、○○=△△のように安易にイコールで結んでしまう人が非常に多いように思われます。例えば蛇や蜂は悪い生き物だ、のように。自然界は互いに関係を保ちながらバランスをもって生きているので、一見人間に益がないと思われる動植物も一定の役割を果たしているので、そんな簡単に善悪はつけることはできません。『困っている人は助けなければいけない』と言う考えさえも、必ずしも正しいかどうか、助けが余計に困らせるかもしれない、そんな風に簡単に答えられるものではないはずです。
先に優先順位について述べましたが、自分の頭で考えない人たちの共通項として優先順位に困ることがあげられるとおもいませんか?仮に自身で優先順位を考えて、結果的にそれで困ったとしても、それを糧に次から考えられるようにすればよいだけとは考えないのでしょうか?
つまりは教科書やどこかの本の中にあった文章や、誰かが言った言葉を鵜呑みにして自分自身で考えずに決めつけてしまっている人たちこそ、生活に直結した想像力が働いていないのではないでしょうか?一般的には『歪んだ思考』が生き辛さを招くと言われる言ことが多いように思いますが、私自身はそれ以上に『停止した思考』こそが最大の問題ととらえています(これはイイトコサガシの冠地さんも常に述べられている)。そして、これは発達障害の問題にとどまらず、定型発達の人たちにも多く見受けられる事のように私自身は考えています。
では、どのようにすれば想像力が働くようになるのか?これは本当に根深い問題と思われます。実は私自身も若いころは他の価値観を全く受け付けず、そんなことから何度も人間関係を破綻させてしまいました。そんな私が、ある一定だが生き辛さと無縁に生きられるようになったのは、やはり時間をかけて一つ一つを自分自身で解いていったからのように思います。仏教に禅というものがありますが、自分自身の心に生まれた疑問を自分自身の心の中で解決していく、安易に書や言に頼らず、もし頼ったとしてもそれが心の中でしっかり解決するまで解くことが大切だと言われています。例えば公式や方程式を使って問題を解くことは多くの人ができるかもしれませんが、それらが何故成り立つのかを解くことと同じようなものと考えてください。これらを長い時間をかけて繰り返したことで今の私が存在すると考えています。そして過去の困り事は現在の私の大きなエネルギーにさえなっています。
上記のようなことを生活の中でしっかりと心に落としこむことできっと人生は大きくかわるでしょう。ただ、膨大な時間がかかるかもしれません。しかし、人生とはそのようなもの。『楽をしたい人ほど辛い人生を歩み、辛さを受け容れた人ほど楽しく生きられる』、そんなものかもしれません。
もしあなたが上記のような生き辛さを抱えているなら、想像力が欠けていないか、思考が停止していないかをもう一度考えてみてはいかがでしょう?
発達障害