障害を持つ子の親が「一皮剥ける」には何が必要か
発達障害「子どもが障害を持っていて~」とニコニコ話している親御さんでも、子どもの障害が分かったときはパニックになったり深い悲しみに沈んだりしていたものです。どの親御さんにも、子どもの障害を受け容れられない時期というものがあり、それを乗り越えて今があります。
子どもの障害と向き合えるようになった親御さんは、一皮剥けて成長します。「産むなら健常児の方が良かっただろ?」と言われて何も返せず口ごもっていたのが「いや、産みなおせたとしてもこの子がいい!」と言い切れるほどにまで成長します。
しかし、学校に行けず読み書きの出来ないままの子どもがいるように、わが子の障害を受け容れられないままの親も残念ながら存在します。成長できなかった親は、健常の子と障害の子で露骨に待遇を変えるなど、その後の子育ても直情的になりがちです。
小学校へ上がる時が転機
障害を持つ子の親が、わが子の障害と向き合い「一皮剥ける」ようになる最大の契機は、子どもが小学校へ上がる時と言われています。支援学級あるいは支援学校に進むと、同じ境遇の親と接する機会が増え「仲間」が出来やすくなるのです。
そうした「仲間」と、苦労を語り合ったりアドバイスを共有したりすることで、孤独感が薄れ子どもと向き合う余裕が生まれます。以前まで家族だけで抱え込んでいたものを、共通言語で語り合える仲間が出来たことで緩和されるのだそうです。
子どもが小学校へ上がるよりも早くから、互助会などに入って相談し合える仲間に恵まれる人もいます。まさに親自身への英才教育と言えるでしょう。反対に、子どもが小学校に上がってからも障害を受け容れられないまま年月だけ過ぎていく残念なケースもあります。
一皮剥けた瞬間
「現代ビジネス」でまさに親の成長する瞬間が記事になっていました。乳児期の時点で知的障害を伴う自閉症と診断された子どもの家庭です。
A子さんは、子どものCさんの障害が分かってから早い段階で「親の会」とコネクションを得ており、夫のB男さんも早めに退社して勉強会に出るなど協力的な姿勢でした。それでもA子さんは「勉強するか夫に八つ当たりするかの毎日で家庭は暗かった。迷惑になりそうで家族旅行も出来ず、家族の思い出などない」と息苦しさを感じていたそうです。
最初は協力的だったB男さんも、会社での居場所が無くなったのをきっかけに鬱を発症して離職するなど崩れていき、やがて離婚を突き付けて不倫相手のもとへ逃げ出してしまいます。Cさんが6歳という大事な時期で、A子さんは離婚までに1年の猶予を求めました。
このことでB男さんは両親から勘当されました。更に家も親権もA子さんに譲り、月12万円の養育費も払うという条件にも唯々諾々と応じます。不倫相手以外に身寄りが亡くなってもなお、Cさんと離れたかったのでしょうか。
離婚後のA子さんは、元夫や社会への怒りを原動力に4年間過ごしました。放課後デイサービスなど支援体制を確立しながらも「この子が健常児だったら…」という悲しみからは解放されませんでした。そんなA子さんに、遂に「一皮剥ける」機会が訪れます。
A子さんはSST(ソーシャルスキルトレーニング)で「相手の主観を大事にしながら会話しましょう」と教わり、Cさん相手に試します。すると、意思疎通の難しかったCさんが「通じ合った」という表情をしたのです。相手をリスペクトして理解するコツを悟ったA子さんは、親子関係が急激に良くなっていきCさんが成長している実感を得ました。
怒りを原動力にするのも強さですが、それには限りがあります。A子さんは、ありのままのCさんを受け容れることで、自分さえも受け入れられる優しく柔軟な強さを手に入れました。それはまさに親として「一皮剥けた」瞬間でもありました。
成長の止まった親
逆に成長できなかった親は虐待にすら走ります。そういった親の過去を探ると、B男さんのように子育ての話を共有できるコネクションを持てなかった傾向があるようです。孤独で支援のない密室状態が先行き不安や障害特性と化学反応を起こしてしまうのです。子どもの障害が離婚の原因になることも珍しくはありません。(そしてシングルファーザーよりシングルマザーの方が圧倒的に多いです)
発達障害の子2人と定型発達の末っ子を育てるZ子さんは、いけないと思いながらも定型発達の末っ子が一番可愛いという感情に支配されています。SNSでは障害児への愚痴と定型児への感謝ばかりが綴(つづ)られており、ネット特有の露悪主義もあってか多くのフォロワーや「いいね」も抱えています。
「最低だとは思うが、定型の末っ子を抱っこする時だけが幸せ。末っ子から貰った癒しを、義務感で上の子に還元してやるのが精一杯。まだ2歳なのに上の子より通じ合えている。」「また上の子を殴りそうになった。何度言ってもお菓子の盗み食いをやめないし平謝りにイライラする。コロナで死んでしまえばよかったのに。」「放課後デイから上の子の肥満を指摘された。けれどどれだけ対策しても盗み食いするからどうしようもない。」
子どもの障害に向き合うどころか定型発達の末っ子に逃避する有様で、前述のA子さんに比べれば雲泥の差です。これに同じ境遇の親と思しきアカウントが賛同したり慰めたりしているのですが、賛同者の中には発達障害憎しで「差別のエビデンス」にしている者まで出ています。感情の吐き方としてはあまり健全とは言えません。
「分かる分かる。我が家も言葉も通じて察する力のある末っ子が一番可愛い」「発達障害の長男には悪いが、いなくなって欲しい」「本当に共感しかない。定型の下の子がいるおかげで辛うじてヒトの形を保っている。下の子には感謝しかない」
「それみたことか。綺麗事言ってても結局、障害児より健常児の方が素直で可愛いのは真理だ」「親ですらこう思うなら、発達障害は生きてるだけで罪」「子どもは何も悪くないって?障害を持って生まれたこと自体が悪だよ!」「普通の人は障害者を疎んじる。それが当たり前」
恐らくZ子さんは、自分の愚痴に賛同してくれる意見しか拾わないまま、いびつな親子関係を続けていくのでしょう。障害児と健常児を露骨に差別し続けた果てが「寝屋川の座敷牢」といわれる監禁致死事件です。あちらも「障害の姉は親の辛さを、健常の妹は親の幸せを教えてくれた」と被告がメモに綴っています。
親どうしリアルで繋がろう
「親の会」「互助会」のような親どうしのコネクションは大事ですが、ネットではなくリアルで座談会のようにして集まる方が望ましいです。愚痴るだけならネットで十分でしょうが、親子関係の改善を目指すとなるとネットの繋がりだけでは問題点も出てきます。
座談会には2つの大きな強みがあります。ひとつは「この場で話したことは外に持ち出さない」というルールを作りやすいこと、もうひとつは苦悩を吐露する親を受け容れ安心させる環境であることです。安全基地になることで孤独感を和らげ、子どもと向き合う余裕が出てきます。このご時世はリモートでもいいかもしれません。
全世界に発信するネットで愚痴るだけではこうはいきません。外部から説教も飛んでくるため、防衛反応でどんどん内向きになってしまいます。自分を正当化し同意を求めるため、ますますネットでの露悪にのめり込んでいきます。
ある支援団体の理事を務める女性はこう語ります。「子どもを救うには親も救わねばなりません。自責と人間不信にまみれた親に『正直に話しても、誰も責めないよ』という安心感で満たします。安全基地の中で親はもう一度育ち直し、親子関係も徐々に良くなっていくのです。」
参加者も「話を聞いて受け止めてくれる人がいるのは、すごく大きなこと」「この空間を知らなければ、子どもを追い出していたかもしれない」「24時間体制で聞いてくれるので、手をあげそうになった時にいつでも電話してクールダウンできる」と、一人思い詰めていたのが噓のように「一皮剥けて」いきました。
子どもの障害が虐待のリスク要因であることは残念ながら認めざるを得ません。だからこそ「一人で抱え込まず、他人の力を借りる」ことが大切です。そもそも健常児の親に向けた虐待防止ホットラインでも「一人で抱え込まず、まずは相談して」という広告を打っています。
頭の良さや精神力といった資質よりも、支援のコネクションを繋いでいって孤立を避けるほうが、親として「一皮剥ける」うえで重要なファクターといえそうです。自分だけ、我が家だけで抱え込もうとすれば、必ずパンクして非常識な行動を招くでしょう。
参考サイト
自閉症の6歳の子と妻から夫は逃げた…4年後に妻が到達した結論(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp
障害児への虐待 親と子をどう支えるか|NHKハートネット
https://www.nhk.or.jp
発達障害