発達障害と診断を受けて~これまで、そして未来へ
発達障害出典:Photo by Jakub Krizon Unsplash
折角の機会をいただいたので「アスペルガー症候群」と診断され、周りを振り回し続けたこれまでを振り返らせていただきます。かつて私が出会った「本」の様に読者の一助になれればと思います。
アスペルガー症候群の診断
私は小学生のころ、感情のコントロールが苦手だったのと感覚過敏、さらには言葉の裏や他人との距離感が分かり辛かったのが原因でよく喧嘩になっていました。
少し昔のことなので記憶が曖昧ですが、支援の先生方が小学校に訪れたときに「少し変わった子」として検査を受け、そこで診断にいたったのだと思います。
診断と理解
当時は周りにそういう人がいなかったので、診断されたものの何かと手探りという状態でした。今ではよく理解してくれていますが、母ともよくぶつかっていた時期でした。
それに診断があって担当の先生が付いて下さったものの、気持ちをコントロールする根本的な部分が解決していいませんでした。そのため、喧嘩を起こすことが多い状態を引きずったまま中学進学となってしまいました。
中学進学、つまづきと周りの支え
中学進学で変わった環境は周りの人間だけでなく、通学距離も大幅に伸びたのもあります。しかし、わずかにバス通学範囲から逸れてしまったために徒歩で通っていました。保健室や特別支援学級を「逃げ場所」とさせて貰いつつ、小学校の時のように通っていました。ですが、通学の距離とクラスメイトとの人間関係もあって、ついに不登校となってしまったのです。
不登校になってから数か月した夏ごろ、支援の先生からお手紙が届きました。内容は「心配」「待っている」。改めて支えの存在を感じ、踏み出すこととなりました。
不登校を乗り越えてからの3つの転機
私の人生は、人の出会いや環境に助けられたものだと思っています。先ほどの手紙の件も、あれが無ければ不登校のまま、中学卒業が最終学歴になっていたかも知れません。
1つ目の大きな転機が高校進学です。当時の担任の先生は不登校の件もあり、通信制や特別支援学校みたいな場所を勧めていました。ですが、たまたま転がって来たのが母校の今はなき理系学部の一般推薦でした。中学と比べても遠いものの自転車通学可で、遠いからこそ今の人間関係をリセットできるからです。環境もよく親友もでき、感情のコントロールもできる様になりました。単位ギリギリであったものの留年もせず、無事卒業できました。
2つ目の転機は大学進学です。当時、似た様な人を助ける立場になりたいと、数学教師を目指して指定校推薦で進学しました。ですが、流石に県をまたいで1時間も電車に揺られるのは、乗り換えが不要とはいえきつかったです。また、人間関係でつまづき半年ほどで休学、中退となってしまい、送り出してくれた先生に顔向けできないような結果になってしまったのです。そのせいでこの後、長く引き籠りになってしまいました。
3つ目の転機は、仕事や私の関係で父が離婚して出ていったことです。私が100%原因というわけでは無いでしょうが、この離婚が衝撃で母1人に苦労掛けさせ続けるわけにもいかず、動き出すことになりました。就労相談所に通い、5か月ほど後、紹介を受けて今の就労移行施設に出会いました。
父が出ていったことが切っ掛けなので、けしていいものではありませんでしたが、就労相談所の方や就労移行施設のスタッフ、他の利用者の方々に巡り会えたおかげで再出発できました。
今とこれから
引き籠りになっていたのもあって、発達障害から来る対人の苦手さゆえの「うつ」との診断もされていますが、就労移行施設でのトレーニングのおかげで、人間関係の苦手も比較的改善されました。服薬すれば初めての環境でもベストコンディションとまでは流石にいきませんが、それなりでのぞめる様になりました。これからも苦手をさらに細かく把握し、得意を伸ばすべく切磋琢磨していきたいと思います。
私は、1人では何もできないです。霧の中、決められた道を歩いている様な状況です。直ぐに脇道に逸れてしまいます。想定外のことには弱いです。ですが、周りの理解ある人間が助けてくれます。
周りのみなさん、知人や家族に変わった性格の人がいても、本当に異星人のような異文化を持つ人では、もちろんありません。少し価値観や視点が変わっているだけの、よき隣人であったり家族なのですから、優しい心で手を差し伸べてあげてください。
似た様な境遇の方に、よき理解者との出会いがあることを祈ります。お読みいただきありがとうございました。
アスペルガー症候群