『億劫』についての考察(『発達障がい~神からの贈り物~』第78回)
発達障害画像:Photo by Christopher Campbell on Unsplash
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第78回 <毎月10日連載>
今年のGWは自転車でのキャップツーリング、3泊で紀伊半島のマリンブルーのシーサイドを存分に満喫した私でした。
今回の旅は途中での予定変更などはあったもののスムーズに進行した。過去は前日まで入念に準備したのに当日になって何故か気が向かず出発時刻が遅れたり結局出発できなかったりのようなことがよくあった。
何か新たなチャレンジをしたりするとき、直前で億劫になったことを経験した人は多いと思う。引き籠もりの人が外出できないことや、先延ばし癖も同様に億劫な気持ちがそうさせているのかも知れない。更には苦手意識の強さや強迫性障害やパニック障害の根幹にも同様のものが隠れている可能性を私自身は考えています。今回は億劫について少し掘り下げてみたいと思います。
過去の私がソロキャンプ出発前に億劫になってしまったのは何故だろう?自問自答したところ、キャップ中や行き帰りで大きな失敗や取り返しのつかないことをやらかしてしまう恐怖と他者から変な目で見られないかの怖さがあったように思う。
そもそもほとんど未経験だったので失敗を恐れるのは仕方ない。成功体験が少ないので自信が持てないので他者の視線が気になるのも当然かも知れない。
億劫の原因が成功体験の不足や自信の欠如だとしたとき、これらは先に挙げた引き籠もりや先延ばし癖、苦手意識の強さや強迫性障害、パニック障害にも共通しないだろうか?
私の執筆のほとんどで受け入れや向き合いの大切さを述べてきているが、億劫に関しても向き合えていないことと同義と言えるかも知れない。
ただし、向き合えたからと言って成功体験が増えるわけでも自信が回復する訳でもない。むしろ億劫な状態を受け入れどうすれば成功体験を積めるのか、どうやって自信を深められるかを考えることこそが向き合いではないだろうか?
自助活動をする中で自己受容すると全てがそれまでと変わってハッピーな人生が歩めると勘違いする人が実に多いが受け入れはダメな自分を受け入れることであり、うまくいかないことを前提としてここからスタートすることが向き合いと言えないだろうか?
ではどのように億劫と向き合えば良いのか?私自身の経験談から述べるとやはりスモールステップが最良の方法と言える気がする。
現在の私はそれなりに得た経験を基に計画を立てているが、過去は自身の力量など構いもせずに無理な計画を立てていた。ほとんど経験がないのなら少しずつできる範囲の経験を積めば良いのだが、自身が生き辛さの中にいるとき、ついつい力量以上のことをしようとしてしまう。
これらは他者からの視線の恐怖がそうさせているようにも思える。誰でもできる簡単なことをしていると馬鹿にされそうな恐怖がそうさせているように思わずにいられない。そうして億劫の悪循環にハマってしまうのだろう。
以上のことを逆転発想してみると一つの面白い試みが見えてくる。
それは先ほども述べたスモールステップとして、誰でもできそうと思える自身にとって簡単なことにたくさんトライしてみること。簡単なことだと成功体験も増え、一方で他者からの視線に慣れるという経験も積める。
人はそれほど他人に関心がないなんて言われたりもするが私自身の経験からもそう思える。簡単なことを直向きに繰り返していると馬鹿にされることよりも圧倒的に賞賛されることの方が多い。稀に蔑むような人もいるがそういう人こそ生き辛さの渦中の人のように思えて仕方ない。
つまり、身の丈に合うことができなかったり、身の丈に合うことをしている人を蔑むから生き辛さの渦から抜けられない、これが私の経験から得られた解のように思える。
あなたが人生に行き詰まっているなら、もう一度ゆっくりと億劫さと向き合ってみればどうだろう?そして今の自分にできるスモールステップが何であるかをゆっくり考え試行錯誤してみると人生の風向きが変わるかもしれない。
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