健常者から受ける差別や悪意、偏見に対抗するには……
暮らし出典:Photo by Christophe Van der waals on Unsplash
私は「軽度の知的障がい」があります。そのせいで、わざと「からかわれている」のか、それとも「どうせ障がい者だから嫌味も理解できないだろう」と思われているのかは分かりませんが、傷つく言葉をいわれることが多いです。そして、福祉の方々も同様な言葉を、私の心に投げてきます。
私はそんなときいつも「障がい者と健常者の心の壁」を感じます。
健常者が怖い
どうしても私たち「障がい者」は、支援を受けられないと生きていけないので、「障がい者」と区別されるのは、むしろありがたいことだと思っています。ですが、心の傷が増えていくと「健常者」と関わるのが恐怖に感じられるのです。
「恋です!~ヤンキー君と白杖ガール」という「視覚障害」の少女が主人公のドラマに、一時期はまっていました。
「視覚障がい」の方も見えないことで、私たち「知的障がい者」と同じように嫌な思いをすることが多く、ドラマのシーンで「健常者」にいたずらをされたり、相手は無意識でも「障がい者」を見下すような場面がみられました。気の強い少女は「健常者」に対し「見えないヤツを見て優越感にひたっているヤツはいっぱいいる」「見えるヤツなんか大嫌い」と吐き捨てます。私も痛いぐらい彼女の気持ちに共感したのです。
見えない壁
人間は自分より劣っている人を見ると安心し、優越感に浸るところがあります。私も「障がい者」ですが、自分より重度の人やできない人を見ると安心し、自分が偉くなったような気になることがあります。そうやってなんとか自分の「自尊心」を保っていました。
やはり「差」がある人間同志はなかなか心の距離を縮めることが難しく、知らぬ間に「上下関係」ができあがっていくのです。
ある支援員との出会い
ですが、とある障がい者施設に通っていた頃に、母親より少し若いぐらいの年齢の方と、顔見知りになりました。その女性は「ダウン症」の女の子の付き添いで、その施設に訪れていました。
付き添いの女性は常に誰に対しても、気さくに話しかけていて「知的障がい者」の私にも偏見なく接してくれているのが、とてもありがたかったです。
家族や仕事など踏み込んだ話になったときも「あなたは親に感謝をすることができる、とてもいい子だから今の恵まれた環境で生活できているのね」といってもらえて「今のままの自分でもいいのかな」と自分を受け入れることができました。
苦しみからの解放
それまでは派手な服装をしていたり、旅行にいったりすると「男に買ってもらった」「パパ活」「親のすねかじり」などありもしないこをいわれていました。
両親にお世話になる以外は、他人にお金を援助してもらう経験もないし、そうならないように家族に支えてもらっていました。
見た目や障がいで偏見を持たれて、そのときに「言い返せない自分」「お金を稼げない自分」に劣等感を感じて、苦しむことが多かったのです。
しかし、その女性は私の話をまずは聞いてくれて、否定せずにいてくれたことに救われました。おかげで「障がい者としての自分を受け入れて楽しもう」と思うきっかけになりました。
対抗するのを辞めた
そして、これまでの人生でさまざまな人と出会い、傷つくことばかりでしたが「発想の転換」ができるようにもなりました。
嫌味をいう人には「障がい者にいじわるするほど劣等感があって、かわいそうな人なんだ」と思うようにしています。そうすることで、不思議と悪意が、どうでもいい、無意味なものに感じられたのです。
私のことをよく知らない、また知ろうともしない人に、まっすぐ向き合って、言葉をそのまま受け取ることを辞めると、気持ちがとても楽になりました。
さいごに
「知的障がい」は治る障がいではありません。トレーニングで苦手を克服することは可能ですが、長い年月や根気、そして周りのサポートも必要です。きっと私はこれからも一生「差別や偏見」に苦しみながら生きていくことになります。
ですが、必ず理解し支えてくれる人もいるということを忘れないで生きていこうと思います。