僕の理想~ジェンダーと障害を抱えて
暮らし「あぁ、そうだ。忘れていたけれど、僕は人の、好きになった人ですら、顔が覚えられないんだった……。」
五年前の今頃、障害が原因で、人の顔に対する記憶力が低くなったことを自覚しました。昔なら、高校の頃までなら、何の問題もありませんでした。それどころか、周囲の人間以上に人間関係を覚えて、把握できていたのでとても悔しいです。当たり前のことができない自分自身が情けないです。人に会うのがとても怖いです。……それでも好きな人には、今すぐに会いたいです。
ドレスも良いけど、タキシードも
学生時代のある日、母親との買いもの中に、とある雑貨店に立ち寄りました。そこのカード売り場で、ウェディングドレス同士のポストカードを見つけました。僕が「何でタキシード同士は無いのだろう?」と、カードを指さしながら言うと、横にいた母親が「アンタって変わっているよなぁ。そこをつっこむんだもの」と言ってきました。この頃には、『LGBT』という言葉が出てきていました。僕には他につっこむ場所がわかりませんでした。
「結婚式を挙げるなら、ウェディングドレス派?それとも和装派?」
20歳になった辺りから、友人知人間の会話で、こういう質問が多くなりました。こういう質問に対して、僕はいつも「僕の希望は前者かな。でも欲を言えば、タキシードも着てみたい」と、答えています。こう答えると、反応は大きく二種類に分かれます。一つは「式中は着なくても、三つ目のお色直しや二次会で、新郎新婦が両方タキシードを着て登場するのは、演出として面白いかもね」という賛同の意見です。これは大学時代の同級生や昔からの友人、僕の好みを知る知人に多い意見です。もう一つは「うそ!?何で?」という驚きや、「えー」と言って一歩引かれるといった反対意見です。こちらは、僕の両親や年上の知人に多い意見です。聞いたことはありませんが、恐らく親戚の多くも、後者側の意見でしょう。もともと僕には、タキシードを着てみたいという夢はあっても、絶対チャペルか神社で式を挙げたいという願望の方はあまりありません。だから最近は、フォトウエディングで夢を叶えるのも一つの方法かなと思っています。
好きになっても……
異性であっても同性であっても、誰かを好きになって恋に落ちること、誰かと一緒になって家庭をつくること、いずれもすてきなことで、素晴らしいことに違いありません。ですが、人によっては“誰かを好きになる”ということが、幸せであると同時に、悲しみも生んでしまうということをご存じですか?
僕なりの方法を見つけて、無眠や1・2時間睡眠が続く日々から解放された現在でも、数ヵ月に一度、軽いうつ状態になります。この状態に陥るきっかけの多くは、誰か知人や友人の顔を思い出してみようとする時、今片思いをしている相手のことを思い出そうとする時です。そしてこの時、好きになった人の顔も声も思い出せないという自分の症状を再認識します。もしも、きっかけが後者だったら、僕はその相手にすごく会いたくなります。顔を見て声を聞きたくなります。そうしないと心も体も、今以上に不安定になってしまうと感じます。この状態が軽減される、以前のように戻るためには数日かかります。この期間中の僕は、なんとか仕事や作業をこなしますが、頭や心の中がもやもやして食欲が無くなります。同時に、以前は当たり前に出来ていたことができないという事実が症状の根本にある場合は、自分自身や他者からの「大丈夫だ、自分ならできる」という応援のセリフが、逆に本人の不安を増大させてしまいます。
上記と質問と同様に「どんな異性と付き合いたい?結婚したい?」という質問も多くなりました。以前の僕なら、「優しい人」とか「かっこいい人」というアバウトな答えが一番に出てきていました。でも今現在、同じことを問われたら、僕はこう答えます。
「確かに僕も、かっこいい人や優しい人には惹かれる。でも、今の僕にとっての一番の理想は、僕が相手や思い出などを忘れてしまうのは、障害のせいであることを理解してくれて、仕方ないことだと言って許してくれる人かな」と。
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