たとえ、障害者であっても~僕を支えてくれる人たち
暮らし大学を卒業した一年後、発達障害のグレーゾーンだと診断されました。このことを友人数名と、僕の症状を心配してくれていた大学の先生方に、経緯を含めて簡単な報告をした時、返ってきた反応は「やっぱりそうだったか」という納得や、「原因が分かって、良かったね」という言葉でした。また、発達障害の知識がある先生からは「見ている限り、知能には問題ないからね。やっぱり記憶力関係が自覚症状の原因か……」と、言われました。
口調の理由
「アンタはどうして、そんなに偉そうな言い方しかできないの?昔はもっとかわいらしかったのに。」
女子会メンバーの意見を聞いた時、中学生の頃、母親から怒り気にこう聞かれたことを思い出しました。僕は普通に話しているつもりでした。言われてみれば確かに、小さい頃は語尾が「だよ」でしたが、この頃になると「だが」に変わってきていました。もしも、この語尾の変化に理由があるとするならば、小学校時代のクラスメイトやその友達からの悪口や集中的に攻撃された『感染遊び』だと考えます。語尾を変えて偉そうともとれる態度を示すことで、自分を、自分の心を守ろうとしたのです。
僕の両親
僕は一時期、不登校の友達をうらやましく思ったことがあります。これは、“学校へ行かなくても許される環境がある”“親が行きたくない理由を知っている”ことに対するものです。僕の両親は、小学校時代『感染遊び』をされていたことを知りません。なぜなら、僕自身がこのことを伝えませんでした。なぜなら言ったとしても改善されないと知っていたからです。小学校半ばの頃一度だけ、男子達から悪口を言われたことを親に話しました。しかし、両親は僕の話を聞いても、担任の先生に相談するなど、これといった対応をしてくれませんでした。
父親も母親も、僕の内面やメンタル面には基本的に興味がありません。彼らが気にすること・僕に関して関心があることは、主に成績や順位、“第三者からどう見られるか”ということです。二人とも理系で頭が良く、学生時代の成績順位も基本的に上位だったそうです。僕は一人っ子ですので、比べる兄弟がいません。だから成績については過去の自分たちと、そのため、いつも順位表が通知される度に、クラスの中間を行き来する僕に対して「何でできないのかが、分からない」「ママやパパが学生の時は、こんなの簡単に解いて、もっとマシな成績だった」と、口癖のように言い続けました。また進路や素行などについては、僕の友人か会社の同僚や上司の子どもと、比べられました。
ちなみに、障害が原因で、人の顔が覚えられないことに僕が悩んでいた頃、母親からの電話の主な内容は、「▲日から三日間、そっちに行くから泊めてね」でした。泊まりに来たからと言って、僕に何か悩み事があるか等は聞きませんでした。代わりに自分の仕事場での愚痴を漏らして帰っていきました。
友人たちから見た、僕という人間
「だって、パーツ美人だもん。」「無表情が多いから、考えていることが分からないし、淡々とした口調で話すから偉そうにも見える。」
大学生活半ばに、友人宅で女子会が開催されました。食事を終えて酔いが回ってきた頃、出されたお題に対して、該当すると思う人を指さす遊びを始めました。様々なお題が出されましたが、その中の“この中で一番美人なのは誰?”“この中で今後、いろいろ苦労しそうなのは誰?”というお題が挙げられた時、僕以外の全員が僕を指さしました。その考えた理由は上記だからだそうです。
指をさした理由を聞いた後、僕は女子会のメンバーに、小学生の時の経験を含めて口調が淡々としている理由を話しました。話し終えるとメンバーから「それなら、納得できる」という声が聞けて、嬉しかったです。
僕は順位を付けることも、誰かと自分を比べることも好みません。僕が友人を作る時は、自分から話しかけます。そうしてできた親友たちは、人と誰かを比べることをしない、誰かに対する噂や悪口を口にしない人ばかりです。長い人で15年以上の付き合いになります。ジェンダーや障害の特性について話すと「困った事があったら、遠慮なく言ってね」とすぐに返事をくれたこの友人たちには、安心して僕が抱えている悩みを打ち明けることが出来ます。僕は彼女たちに出会えて、親友になれて、とても幸せです。
その他の障害・病気 発達障害