母親から聞いた話~自分の障害について
暮らし その他の障害・病気就職活動をしてみて思ったこと、それは自分自身のことを全く理解できていないということでした。それどころか考えたことも無かったかもしれません。よく周りの人のことを考えて行動するように言われますが、自分のことは言われたりしません。そこで、今回初めてこれまでの私の人生を振り返って見ようと思います。
価値観の違い
私は小さい頃から体が弱いとよく母親に言われていました。熱をよく出したり、泡をふいたりしたこともあったと言われたことがあります。ただ、母親はそのときは新種の風邪かなにかだと思ったと言っていました。しかし、小学生にあがると「ぼーっ」としたりと、症状のほかにも気になることが出てきたそうです。
私はあまり覚えていませんが、そのとき嫌な事があったため記憶から抜けていると思います。しかし当時は、覚えてない理由を子どもの私に問い詰められても答えられるほどの知識など持ち合わせていませんでした。
手帳取得
中学に上がるにつれて症状は酷くなっていったそうです。しかし、私は中学時代もほとんど覚えていないので、「そうなんだ」くらいにしか、かつては思っていませんでした。ただ断片的に覚えていたのが、親の離婚と手帳の取得などです。障害者手帳は、当時からの持病のてんかんが発覚したことで取得する事になりました。
親離れ
私の親はすべて一人で契約等を済ませてしまいます。私の障害者手帳の取得も年金の契約も、すべて私の知らないところで勝手に行われています。私は自分で出来ると主張しましたが、出来る筈がないと決めつけられ自立できずにここまで来てしまいました。
私の親は上から言って来ますが、母親自身も役所の人に教わって契約していた事があるとも言っていました。その話を聞いて私は絶対に自立すると心に決めました。
恐怖の就活
短大に通っていた時、友達はみんな私より早く就職活動をしていました。私は、友達が就職活動していることも知らずに、まだ入学して一年目だからと安心しきっていました。それからすぐに自分にも就活の波がやって来ました。友達からは何ヶ月かしてすぐに就職できたと報告がありました。ですが、私はいつまでも就職できなかったのでひきこもり状態がしばらく続きました。
精神的にもつらく、親からも働かないなら出ていけとまで言われました。
希望
短大時代の友達との差を感じて焦って就職活動の代わりにでもなるものはないかと探して、見つけたのが就労移行支援でした。そこは何もかもが初めてだったので、自分で見つけて下調べもして契約まで全て自分で行ないました。
まとめ
現在は、就職してきちんと自立できるように就労移行支援に通い、周りの方にアドバイスをもらいながら日々成長を実感しています。これからはもっと新しい自分を発見できるような、成長させてもらえる人に出会いたいと思いました。また一人暮らしを大きな目標としています。
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