STAY HOMEで、昔大好きだった本を読み返してみた、今の気持ち〜HSPと、ともに。<vol.36>
その他の障害・病気 暮らしHSPと、ともに。vol.36 <毎月1日連載>
STAY HOME中、昔大好きだった本を今読み返してみると、当時とは気持ちの変化があるのか、ふと思いました。
「落下する夕方」江國香織
主人公の梨果と8年間同棲していた彼、健吾が突然家を出た。それと入れ替わるように押しかけてきた彼の新しい恋人、華子。一緒に暮らす羽目になった梨果は、彼女の魅力に取り憑かれていく。奇妙な三角関係を温かく切なく描く。
私が若い頃、大好きだった華子。小さくて全体が申し分なく整っていて、細い指でサンドイッチをつまみあげ、形のいい色味のない口で咀嚼している華子は、陶器の人形のようだった。
華子は他人に気を使わないし、使わせない。傍若無人だ。当たり前のようにただそこにいる。生きものの鬱陶しさのない人で、生気がないというのに極めて近い。例えば一緒にテレビを見ていても、隣に華子がいるという気がしない。隣に新品のハイヒールが1足置いてある。そんな感じ。
湘南には華子の知り合いの別荘があり、華子は時々呼び出されて出かけていく。例えば華子の家賃はその知り合いが出しているらしい。華子は無口なのに、華子がいないと家の中がひどく静かだ。
夕方になり、華子はもううちに帰っていて、「淋しかった?」と聞く声には、微塵も邪気が無かった。
梨果は嫉妬する。健吾を「かき乱す」らしい華子に。そして、たちまち健吾を安らかにできる華子の存在に。
華子は何時もラジオを聴いている。「ラジオが好きね」梨果が言うと、「終わっちゃう時に淋しくなるところが好きなの」「ラジオ番組が終わる時ってね、親しい人が帰っちゃう時のような気がするの。私は小さい頃からいつもラジオを聴いていて、親しい人にまだ帰って欲しくないって思っても、やっぱり時間がくると帰っちゃうの。きちんとしてるの、ラジオって。」
華子にはアメリカで暮らす弟と母がいて、弟をとても愛しています。幼い頃は弟と湘南で暮らしていたけれど、何か事情があって、母とは会えないみたいです。中島さんという男性が、華子や弟の経済的援助をしています。
ある日、梨果と華子が一緒にその湘南の別荘に逃亡します。華子は「いつも逃げてばっかり」の人生だとむしろ楽しそうにそう言います。
華子はその湘南の別荘で自殺します。
死ぬのには、元気がいる。ある種の元気。少なくとも生の外に出ていけたのだから。
梨果は、現実のこちら側にいようと決めた。健吾にもいて欲しかった。
「引っ越そうと思うの」15ヶ月前の健吾のように、梨果は静かにそう言った。
久しぶりに私は、大好きな華子に会いたいと思ってこの本を読みました。華子の気持ちが知りたくなった。高校生の頃、華子と同じように亡くなった人がいて、とても可愛いし、全然気持ちがわからなかった。今でもそのことは私を苦しめます。今、この本を読んでみて、華子の、昔から絶望していた淋しい様子が理解できます。それは突然ではなくて、ある日コップの水が溢れてしまったのだろう。
当時はもちろん、今でもまるで映画でも見ているようなくらい信じられない悲しい出来事でした。
「ミシン」獄本野ばら
「ミシン」の他に、「世界の終わりという名の雑貨店」という作品が入っていて、そちらの方が好きでした。
孤独な青年雑貨店主と心に病を持つ少女が運命的に出会い、逃避行に旅立ちます。
京都の街やブランドの洋服が出てきて、その1つのヴィヴィアン・ウエストウッドが好きだったこともありました。自分と同じように「不安神経症」という病を抱えた女の子が出てきます。不安を解消するために死を選ぶケースも少なくないのですが、この少女も死へ向かう様子が描かれていました。
当時、この2冊を好んでいた私はたぶん苦しい思いを抱えていたのだと思います。改めて読んでみて、今とても心にひっかかった言葉は、「君はもういません。どうしていないのですか。もう君の指に触れることすら出来はしないのですか。それでも僕は今、何時にもまして君を感じています。かつてないくらい正直に、僕は君の存在を感じています。雪が降っています。雪が降っています。伝えさせてください。ねえ君、本当にごめんね。君にはもっともっといろんなことをしてあげたかったのに。」 ここは世界の終わりではないのです。
作られた物語を読むことによって、自分の体験の救いを求めていたように思いました。まだ若かったですし。実体験も、物語のように感じることで、逃げていたようにも思います。
現在の私は、今のような仕事をし、打ち明け話をしてくれる方々の気持ちを少しでも理解できるようになろうと日々思います。
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