「毒親」~子供のころ一番怖かったものは「父親と母親」でした
暮らし出典:Photo by Daniel Tafjord on Unsplash
両親はしょっちゅう大声で怒鳴りあうような喧嘩をしていました。しかし、私は日常的に虐待を受けていたわけではありません。離婚家庭で育ったわけでもありません。衣食住はそれなりに充実していましたし、欲しいものは(なんでも、ではありませんが)買ってくれました。
「この人たちはなんなのだろう?」
それでも両親に関しては、いい思い出は記憶にほとんど残っていません。
私の父親も母親も、私が生まれた時は、今の私より年下でした。遥か昔の古い自分の記憶を辿ると不思議なことに、父親にも母親にも「辛い目に遭わされた」という記憶ばかりが蘇ってしまいます。「嬉しかったこと」は、あるにはあるのですが断片的にしか思い出せません。このことは今も私を苦しめています。
優しくされるかたわら「しつけ」の域を超えた厳しさや、非道徳的な言葉を向けられます。「この人たちはなんなのだろう、私のことが好きなのだろうか?嫌いなのだろうか?」と、よく混乱しました。その感覚は、とても恐ろしいものでした。しかし私にはこのふたりの言うことを聞くしか、生きていく術がありません。なんとか当たり障りのない付き合い方を模索し、顔色をうかがって生きてきました。
幼少時の記憶
私は子供のころから、なぜだか「無条件に親に愛してもらえる」と思っていました。もちろん記憶にはありませんが、赤ん坊のころには父親からも母親からも、愛情を受けていたはずですから、これからもその状態が続くと思っていたのかもしれません。しかしその「受けると思っていた愛情」は「しつけ」と「無関心」という概念により、脆くも崩れ去ってしまったのです。生まれて5、6年しか経っていない子供でも、自分が赤ん坊のころのことは覚えていません。記憶というものは3、4歳ごろから定着します。その時期に「嫌な記憶」が蓄積されてしまうと(人にもよって差はあるようですが)、大人になっても覚えているようです。
虐待をされていたわけでもなく、日常的に暴言を吐かれていたわけでもありません。ただ母親は、機嫌が良ければ機嫌よく接してくれますが、ストレスが溜まっていたり、ショックを受けたりすると子供のように感情を露わにして怒ったり泣いたりする人でした。父親は小さい子供との接し方をそもそも分かっておらず、私をいじめたり泣かしたりすることでコミュニケーションを取ったりしました。それでも、たまには愛情を持って接してくれたこともあります。それにより「私のことが好きなの?嫌いなの?」と子供ながらに何度も混乱して、両親と関わるのが怖くなりました。恐らく私は、多感なのでしょう。「愛情を持って接してくれたのに、辛い目に遭ったことしか覚えていられないあなたが悪い」と言われれば、それまでなのかもしれません。
養育者が子供のトラウマになってはいけない
大人になった私は、両親との喧嘩が絶えない生活に嫌気が差し(嫌気は昔から差していましたが)、喧嘩の末に家を飛び出した勢いで不動産屋へふらふらと入り、独り暮らしを始めることを決めました。こうでもしないと死んでしまうと思ったのです。両親は心配だ不安だと言い、私の独居にはあまり気が進まなかったようですが、実家の近くの小さなマンションに住むということで、どうにか認めてもらえました。両親と離れて暮らすことで、気持ちはかなり落ち着きました。
あのころの両親の態度はなんだったのだろうと、今でも考えることがあります。「しつけのつもりだった」「子供との接し方が分からなかった」……そういうことだろうと思います。しかし、あれらの行為さえなければ、素直に親を好きでいられるのに、育ててくれたことに感謝できるのに、そしてなにより、今の私がこんな気持ちにならなくて済むのに……そう思わずにはいられません。
「誰のせいでもなかった」
だからといって今更両親を「なぜあんなひどい育て方をしたんだ!」と責めても、解決しません。必ずしも反省したり謝罪したりしてくれるわけではないからです。「しょうがないでしょ」「何がいけないんだ」などと開き直られることだってあります。人間、間違いを責められたときほど、認めたくなくなるものです。母親を許せない自分がいけないのかと思い、最近は「アダルトチルドレン」「愛着障害」「毒親」「機能不全家族」などについて本を読み、勉強するようになりました。するとその中で、「『毒親』として切り捨てるのではなく、別の方法へ辿り着けそう」、という気がしてきました。
「愛着障害」とは、幼少期に親などの養育者からの愛着形成がうまく行かなかったことにより、困難が生じている状態を指します。親が愛情を注いだつもりでも、子供が愛情を受けたと感じられなかった場合、それが愛着障害に繋がります。愛着障害によって生じる問題としては「人間関係がうまくいかない」「人との関わりでトラブルを抱える」「自分を愛せない」など、とにかく「生きづらさ」を抱えたものです。
母親は4人兄弟の末っ子として育ちました。もしかしたらその母親も、自分の母親から「愛情」をあまり受けずに育ったのかもしれません。親からの愛情を知らない大人が、子供に愛情を向ける方法をよく分かっていなかったのかもしれません。
とりあえず、「誰も悪くなかったんだ」という考え方で落ち着かせるしかないようです。別に自分がわがままな子供だったわけではない。親から愛してもらえたと思っていない自分が悪いわけではない。両親は衣食住には満足させてくれたし、自分の子供をひとりの人間として扱えなかっただけ。もしかしたら両親も自分の両親から愛情を受けられなかったから「子供にとっての愛情がどんなものか」、想像もつかなかったのかもしれない……そう考えて、両親とは距離を置いて、深く関わらないようにする。それが(一時的な)解決策です。
誰かに付けられた傷を、その傷つけてきた本人に消してもらったり癒してもらったりすることは、やはりできないというのが私個人の実感です。小学生のころに自分に殴る・蹴るなどの暴行を加えてきたクラスのいじめっ子が、大人になった今、自分の目の前に現れて「あの時は本当にごめんなさい」と謝罪してきたとしても、許すことはできないでしょう。付けられた傷を癒すのは、その本人ではなく、今の自分なのです。
参考文献