突然ですがあなたは健常者ですか?それとも障がい者ですか?
暮らしPhoto by Emmanuel Ikwuegbu on Unsplash
私は、就労系障がい福祉サービスのひとつである、就労継続支援B型事業所で支援員をしています。この事業所ではさまざまな障がいをお持ちの方が、色々な支援を受けながら作業に取り組んでいます。
私たち就労継続支援B型事業所の様な就労系障がい福祉サービス事業所職員の役割は、利用者さんにお願いする作業に関する外部企業との打合せや作業の事前準備、完成した製品の納品、そして利用者間で起こるトラブルの相談受付です。
そのため、事業所の中では障がいを持つ人と、そうでない人が明確に分かれてしまいます。健常者である職員がその日に行う作業を指示し、障がい者である利用者は基本的にそれを受け入れます。トラブルが起きれば、職員が代わって解決にあたります。このように健常者が障がい者よりも優位に立ち、利用者は職員に管理され、逆らえないような構図になってしまうのです。
仕方なく職員が利用者にきつい一言を言うことはあってもその逆はまずありません。たしかに、(乱暴な言い方ですが)知的障がいを持つ人は頭の中でイメージしたり、深く考えることが苦手だから難しい話ができない、発達障がいを持つ人は自己肯定感が低いので円滑な人間関係を築くのが苦手です。また、精神障がいを持つ人はとても疲れやすく、長時間の作業は難しいし、目まぐるしく変わる精神的体調の変化にも対応が難しい。だから職員に頼らざるを得ないのです。
上記はとても大雑把に特性を書きました(実際、障がいの特性は一人ひとり細かく違います)。こう書くと、健常者よりも能力的に劣っていて見下されるのが仕方ない存在のように思われますが果たしてそうでしょうか。
少なくとも現在の日本は、障がいを持たない健常者が圧倒的にマジョリティ(多数派)であり、障がい者がマイノリティ(少数派)です。日常生活のあらゆる場所や、社会の仕組みは間違いなくマジョリティに対して合理的な仕組みになっています。
そういった点から、障がい者の存在が疎ましかったり、排除されることは仕方のないことと考える人もいます。それは、正しいのでしょうか?
そこで、改めてあなたがイメージする健常者と障がい者の違いを考えてみてください。
障がい者と自分を置き換えて考えてみてください。健常者と自分を置き換えて考えてみてください。
実は健常者と障がい者の真の違いはたった1つしかありません。それは「今ある自分の能力で社会生活に支障があるか、ないか」です。
つまり、障がい者は健常者と比べて、できることよりも、できないことが多いだけなのです。健常者だってみんなできることとできないことがあり、そのできないことがたまたま社会生活に支障がないレベルだったというだけなのです。障がい者であるあなたが得意なことも健常者だからといってできないことが当然あるし、健常者であるあなたが苦手としていることが障がい者の誰かが当たり前にできるなんてことはたくさんあるのです。
知的障がいを持つ人の中には、興味が沸いた事柄をとことん突き詰めることができる人もいます。発達障がいを持つ人の中には、合理的に仕事を片付けることができる人もいます。精神障がいを持つ人の中にはとても繊細な心の持ち主もいます。
みんなそれぞれ「できること」と「できないこと」が違うだけなのです。
冒頭の質問の答えですが「健常者と障がい者の本質はなにも違わない」と私は考えています。あなたはどう考えますか。
もし違いがあるとすれば、障がい者手帳を持っているか持っていないかだけで、実は「障がい」というネガティブのイメージな”言葉”であらわされている部分の本質は、全然ネガティブで負の存在ではないのです。
健常者と障がい者は同じなのです。何も変わらないのです。障がい福祉サービスを提供する事業所でさえ、職員と利用者に優劣なんてないし、管理者と被管理者の関係も存在しないのです。健常者が障がい者を差別するなんて絶対に許されるはずはないのです。だって、みんな対等なのだから。
マジョリティのあなた今一度、障がいを持つあの人と自分の立場を入れ替えて考えてみてください。根拠のない偏見はありませんか?あるのなら、なぜ偏見をもっているのか考えてください。
マイノリティの皆さん、今一度自分が置かれている環境を観察してください。マジョリティに対して強く我慢していることはありませんか?もしあるのなら、すぐに信頼できる人にその苦しさを伝えてください。
障がいを持つ持たないに関係なく、その人らしく生きていけたらいいな、と私の願いを添えて終わりにしたいと思います。