自身の障害と家族の理解

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出典:Photo by Enfeng Tsao on Unsplash

自身の障害について、みなさんは家族からの理解をえていますか?現在私は「気分障害」と「ASDグレーゾーン」と診断されています。診断される前からも、周りと比べて不安を感じやすい方でした。これら自身の障害について、私は家族からの理解というものはほとんど感じたことはありません。

今回は、自身の障害と家族の理解について書こうと思います。

学生時代

学生時代、私は小・中・高とほとんど不登校でした。理由はあまり覚えていませんが、学校にいくのが漠然と嫌だったことや、勉強についていけない、人間関係などが原因だったと思います。高校生は単位があるため、何とか頑張って登校しました。それでも単位はぎりぎりでした。

学校にいかない私に対して、家族は心配せず、むしろ暴言暴力を繰り返しました。「どうせサボり」「学校を辞めろ」「お前のせいで母さんはしんどい思いをしている」「引きずってでも学校に連れていく」など、心配するどころか責められて、寄り添ってもらえることはありませんでした。

就職

私はメーカーの事務職に就職しました。しかし私の会社は、周りの人にいわせれば「変」だったのです。いわゆる長時間残業が毎日ある、ということではありませんでしたが、人格否定をされたり、叱咤されたり、できないことを強要されたりと、精神的に辛いことが度々ありました。

そのようなことを、家族に話しをしても「3年は続けなさい」「そんなのいちいち気にしていたら埒が明かない」などと、寄り添ってもらうことはありませんでした。

4月に入社し、6月に精神科を受診しました。そのことは、家族には伝えていませんでした。長年分かってもらえなかったため、今回も理解されないと思ったからです。

しかしある日、内科を受診した際、問診票に服薬中の薬を記入しました。それを一緒に来ていた母に見られたくないため、1人で診察室に入ろうとしました。そのとき、看護師さんが「お母さんもどうぞ」といい、母も診察室に入ったのです。

先生は「精神系の薬を飲んでらっしゃるのですね」といいました。そこで初めて母に知られてしまいました。

私は「やばい」と思いました。案の定母は「なんか薬飲んでいると思っていたらそれか」とあからさまに不機嫌になったのです。

それから会社に段々と出社できなくなっていき、上司からも「休みすぎ」と注意を受けるようになりました。それから1年ほど経ち、2か月間の休職をしました。復帰をしてそれから3年間働きましたが、体調不良を理由に退職したのです。

退職した年、私は精神がとても不安定になりました。奇声を上げたり、壁に頭を打ち付けたりする日もありました。それに対し母は、心配するのではなく、ひどく怒りました。私の財布から診察券を取り上げ、許可なく勝手に私が通院している病院にいったのです。

もしかしたら、母なりに心配していたのかもしれませんが、その行動に対して私はひどく傷つきました。「こんなに辛いのにどうして怒られないといけないのだろう」という気持ちになりました。

発達障害グレーゾーンと診断される

就労移行支援に通い始めて、職員さんに「発達障害の人と似たような症状があるから、一度検査を受けてみたら?」といわれて、検査を受けることになりました。予約するため病院に電話をすると「幼少期のころを知っている人、例えばご家族などと一緒に来てください」といわれました。

私は馬鹿正直に、母にその旨を伝え、一緒に来てもらうことをお願いしました。そのときの母の反応はこうです。

「あんたは発達障害なんかじゃない」「あんたが発達障害なのだったら私なんてとっくにそう」「そんな診断が出ても信じるな」

結果、私はASDグレーゾーンである、と診断されました。「結果を伝えるとまた酷いことをいわれる」と思い今も母には伝えていません。

まとめ

今も私は実家に住み、父と母と暮らしています。どうせ、酷いことをいわれるとわかっているのに、私は日々の辛かったことや不満に思ったことを母に話してしまいます。その度に母は「そんなこといちいち気にするな」「どうせあんたが余計なことしたからでしょ」といいます。

それでも話をしてしまうのは「今回は分かってくれるかもしれない」と思ってしまうからです。

チヨ

チヨ

2匹の猫と一緒に暮らしています

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