私はいかにして社交不安障害になったか
パニック障害・不安障害現在、社交不安障害を患っている私ですが、もともとそうだったわけではありません。小さい頃からシャイで大人しいタイプでしたが、社会生活が困難になったり体調不良を起こすほど病的ではありませんでした。ではなぜ私は社交不安になったのか。今回はその経緯を自分なりに振り返ってみたいと思います。
受験の失敗と人間の悪意
以前の記事でも触れましたが、私はパニック障害の発症とともに受験に失敗しました。そうして自分でも納得のいかない進路を歩むことになりました。全く行きたくない大学に通う日々は憂鬱でした。行きたい場所でもなく、学びたい内容でもない。学生のレベルも低く、就職のためとはいえ奨学金まで借りて、なぜ自分はこんなところにいるのだろうと思う毎日でした。
それに輪をかけるように身内からも非難を受け、父からは「就職するのに最低レベルの大学だ」と言われ、母からは自殺を仄めかす発言などもありました。自分の失敗のせいで多くの人を失望させてしまった。私はそう思い落胆しました。
心の傷も幾分癒え始めた、その年の秋。中学時代の知人の葬式でのことです。葬式とはいうものの中学時代の同窓会のような雰囲気があり、私は久々に会う友人と旧交を温めていました。そこにかつて私をライバル視していた人間が数名現れました。その人たちが私に近づくや否や「お前、どこの大学に入ったんや」と開口一番に尋ねてきました。
「久しぶり」の一言もなくです。そして私は愚かにも自分が実際に入った大学名を正直に言ってしまいました。というのも、昔は嫌な人たちだったけれど、もう数年たつし良い人間になっているのではないかと思ったからです。ですがその予想は外れ、「お前も堕ちたもんやな」彼らの口からはその言葉が発せられました。
その言葉は癒え掛けていた私の心にナイフのように突き刺さりました。それからもいくらか罵倒する言葉を残し、彼らは去っていきました。残された私の心は悔しさで大きく動揺していました。
翌日、目が覚めると酷いパニック発作に襲われ、呼吸困難におちいりました。救急車を呼ぼうかともよぎりましたが、大げさかと思い、息も絶え絶えに近くの内科に駆け込みました。医者に状況を説明すると、精神安定剤を処方されました。それを飲むといくらか落ち着くことができ、九死に一生を得た思いでした。
受験から今日に至るまでの自尊心の喪失や悪意による人間不信は、私の社交不安の礎を築きはじめていたのだと思います。
社会の不条理さと友人の裏切り
大学2年〜3年。内科やスクールカウンセリングに通うことによって、パニック障害はいくらかマシになってきていました。そして私の恩師でもある教授との出会いによって、私は前向きになり、これまでのコンプレックスをばねに様々な活動に手を出していました。部活動、ゼミ、アルバイト、ボランティア、就活セミナーなどに積極的に取り組み、悔しさを払拭するために活動的に日々を過ごしました。
勉学や就活にも勤しんでいたため、学費が免除されたこともありますし、企業の人事の前での発表を学校側から頼まれることもありました。ゼミや部活動などをしていると合宿で遠出をしなければならず、長距離移動での拘束となるとパニック障害も誘発される恐れがありましたが、それもパニック障害をコントロールする一つの挑戦だと思い、苦しみながら取り組んでいきました。
こうした頑張りや苦しみは、いつか報われる…特に就職によって私のコンプレックスは解消できると心のどこかで思い込んでいました。そこに救いを求めていました。実際、大手企業の人事担当と話す機会があった時、私の来歴を話すと「君ならどこの企業でも受かる」と太鼓判を押されていました。就職課からも同様に評価されていました。それで希望を持っていました。
しかし、時代は就職氷河期。100社受けて1社受かるかどうかの時代でした。就職課に相談しながら対策はしていましたが、なしのつぶてでした。今までの活動をアピールしたところで企業が欲しがっているのは、体育会系の営業マンタイプ。
大人しい私がいくらその実直さなどをアピールしても、お祈りされるばかりで、最終面接まで行ったのは1社しかなく、そこもダメでした。自分が苦しみながら取り組んできたこれまでの活動は何だったのか。虚しさが募りました。
また、親しかった友人が、本人が内定をもらった途端に態度が豹変し、上からものをいうようになりました。さらに、その友人を含め、私が恋愛相談をしていた友人たちが実は、陰で私を笑い者にしていたこともその友人から知らされます。
学生時代の頑張りや自分の価値が認められない社会の不条理さ、友人の裏切りによって、私の自尊心の低下と人間不信に拍車がかかりました。就活に入ってから私の体重は10kg以上やせていました。
抑圧的な企業の指導と引きこもり生活
大学卒業後。大学卒業後も内定が無い人を対象に、ある企業が契約社員として形だけ採用し、就活をサポートするという制度を行っていました。私も内定が無かったので大学からの案内で、その枠に応募し、契約社員となりましたが、そこでの研修がとてもきつかった。厳しく常に張り詰めた空気の中、ビジネスマナーや社会人としての心構えなどを徹底的にたたき込まれました。
あまりにも厳しいので逃げ出す人も続出。私はその空気感にやられてしまい、パニック発作を度々起こしていました。就活のサポートといっても、個性など全く尊重せずに、これまでに作った履歴書なども全て「バリバリの営業マンタイプです!」と言わんばかりの内容に書き換えさせられていました。私はそこの偉い方に特別目を掛けてもらっていましたが、紹介される求人はどれも私の適性や希望とはかけ離れたものばかり。
やめようと思っても、あまりに社員の方が恐ろしいので、ずっと言い出せずに、半年ほどしてやっとの思いで脱出することができました。とにかく軍隊的で抑圧的な環境でしたので、私のメンタルはズタボロでした。
その後はハローワークを利用しながら就活を進めていましたが、担当職員が面談中に居眠りをしていたり、私が薬の副作用で車の運転ができない旨を伝えると「車の運転も出来ないで就職できると思っているんですか!」と怒鳴られたりしていました。就職の面接でも学歴について触れられ「〇〇高校から××大学へって…あなた本当に勉強してたんですか?」などと言われることもありました。
そんな日々を繰り返しているといつの間にか就職活動をする気力もなくなり、引きこもりがちになっていきました。引きこもっていると漫然とネットやゲームをしたりするのですが、頭には「就職せねば」「前向きに活動せねば」という思いが常にあるので、遊んでいても全く楽しくありません。
かといってまた、あの就活戦線に戻るのも恐ろしい。そうして負のループへと入っていき、うつ状態の時には、一週間ほど布団から起き上がれずにほとんど飲み食いもできない日々もありました。
社会復帰を目指すが上手くいかない
その後、社会復帰の一助として作業系の短期アルバイトをすることもありましたが、まともな場所に勤めることはできませんでした。初日から「脳に障害でもあるんとちゃうか?」といった人権無視の言葉を浴びせられたり、社外の人からも目を付けられ、叱責や怒声を毎日のように浴びせられていました。
就職の面接を受けてもブランクがあるので、そこを執拗に突かれました。ある企業では「え?就活してたのに就職できなかったんですか?」なんて頓珍漢なことを言われることもありました。
紆余曲折し、障害者雇用へ
引きこもったり、短期で働いたり、職業訓練に通ったりして足掻いていましたが、人生に光が差し込むことはありませんでした。一方で、大学卒業後は、スクールカウンセラーの方から心療内科を紹介して頂き、そちらに通院していたのですが、ある時、医師の勧めで障害者手帳を取得することになりました。
最初は普通でなくなるような気がして、ためらいもありましたが、ブランクや健常者として働くには心身も衰弱していたこともあり、手帳取得に踏み切りました。もうこの時点で社交不安障害はひどいものになっており、人前で食事を摂ったり、何かをしたり、話したりという事が困難になっていました。
その後、障害者雇用で働いたこともありますが、社交不安障害というものはなかなか理解されませんでした。面接の段階では「思い込みだろ?」と言われたり、説明しても「要するに鬱ってことやろ?」と言われたりしました。仕事中は、ネクタイが少し曲がっているだけでも怒鳴られたり、挨拶にも厳しく「フロア一周回ってこい」と言われたり、毎日帰る前には「気合と根性」が口癖の上司から小言や説教を受ける日々で、精神は一層病んでいき退職へとつながってしまいました。
サポステの紹介から就労移行へ
退職後から通い始めた地域若者サポートステーションの提案で、就労移行に通うようになりました。そこで温かい環境で合理的な就労支援を受ける中で、久々に尊厳を取り戻し前向きになれたような気がしています。ここで日々生活し学んでいく事で、社交不安障害の程度も少しマシになったような気がしています。
学歴に関しては今でも時々、高校名と大学名をいう機会がどこかであると馬鹿にされます。「〇〇高校から××大学?賢そうに見えるのに…」なんて風に。未だにこれが怖くて、どんな人とも一定の距離を置くようにしています。もう恥ずかしい思いをするのは御免です。
ここまで私の過去をざっくりと振り返ってきました。やはり社交不安障害に繋がったのは、様々な辛い経験による自尊心の喪失やその中で積みあがってきた対人恐怖・恥をかきたくないという思いなどが原因だと思います。この病気はこれから良くなっていくのでしょうか。自分でも分かりません。おそらく、上手な付き合い方を学びながら、生きていくことになるのではないでしょうか。あるいは何かでコンプレックスを解消できるようになれば、改善されるのかもしれません。長文になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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