障害特性~4業種を経験した私ができなかったこと、辞めた理由
発達障害出典:Photo by Magnet.me on Unsplash
今まで4業種を渡り歩いてきた私が、それぞれの職場の業務で苦労したことと、辞めて理由をお話します。同じような職種を目指されている方の参考になれば幸いです。
A社
最初に入社したA社は新聞販売店を多数運営する会社です。そこで1年目は店舗スタッフとして働き、3大業務(配達・集金・営業)を行っていました。かなり肉体的にきつい仕事で、休日は年間38日間しかありませんでした。勤務時間は2~6時、10時~20時で、長時間の上に1日に2度寝るという変則的な生活を送っていました。
ここで苦労したのは車の運転です。私は大きなホテルも担当していたので毎日車を運転していました。今でも運転はかなり苦手意識があります。注意力が散漫なため、何度もぶつけたり、事故をしそうになったりしました。就職して初日に車庫から車を出す段階で、既に車体を擦っていました。注意力に加えて、空間把握能力にも問題があるようです。また、深夜に眠いまま運転しないといけないので余計に危険です。
そんな中でも頑張っており、2年目から店長職を依頼されましたが、結局この会社は1年で辞めてしまいました。会社の経営が傾きだしたことと、あまりに多い就業時間、そしてあまりに少ない年間休日が嫌になったからです。
B社
B社では塾講師をしていました。A社を辞めた後、大好きな英語を学ぶため全日制学校に1年間通った後に就職しました。ここでの業務は授業、校舎運営、保護者対応、採点、教材作成でした。ちなみに、採用人数の関係で私は国語教師として働いていました。授業が終わったら採点(特に受験生の対応は大変です)や講習会での教材作成に追われます。朝は7~12時頃に出社し、帰りは常に終電でした。さらに、受験シーズンとなると自宅でも毎朝5時ぐらいまで持ち帰り仕事をする日々が続きました。
授業に関しては、学校の勉強は大好きでしたので、担当する国語の勉強はかなり楽しいものでした。しかし、守秘義務について認識が甘く、言ってはいけない裏事情を生徒に言ってしまうこともありました。また、生徒の気持ちが分からずに傷つけることを言って、苦情を何度も発生させてしまいました。さらに、その場に合った臨機応変な対応ができず、先輩社員に反抗することもあったのです。スピードを求めて中身のない成果物を提出して上司に苦言を呈されたこともあります。
優先順位が分からず、何でも丁寧にやり過ぎて仕事に時間のかかる私にとっては、辛い仕事でした。こうして時間外労働が受験シーズンには月に100時間ほどあり、心身を壊してしまい3ヶ月間休職することになりました。残念ながら、医者から復職許可が出ず、1年8ヶ月で退職しました。そして同時期に抑うつと双極性障害の診断が出ました。
C社
C社としていますが、会社ではなく警察署で臨時的任用職員をしていました。私は落し物の担当をしており、管轄内の落し物をほぼ1人で管理していました。仕事内容としては、落し物を受け付ける、返却する、そして保管期限の切れた落し物を売るか捨てるかです。
仕事に慣れるまでに時間がかかり過ぎ、毎日のように叱責されていました。効率よく仕事をこなすことが苦手なため、私の仕事の遅さに同僚から苦情が出て、上司2人に呼び出されたこともあります。コミュニケーション能力に苦手意識があり雑談をしないので、私が孤立していたことも理由であると思います。受付が手一杯で1人で3人同時に相手にするようになっても、周囲に助けを求めることができませんでした。また、接客が苦手なので、失礼な態度をとって来庁者を怒らせたり傷つけたりすることも何度かありました。そして、ここも忙しい職場であったため時間に追われて早く仕事をこなそうとすると、注意力散漫の特性が出て同じミスを繰り返しました。さらに、人の「顔」を覚えるのも苦手であり、そのことでも日々叱責をされました。「名前」を覚えるのは得意なので、名札があれば「顔」も関連付けてすぐに覚えられるのですが、ここでは名札がありませんでした。
1年目に正規職員採用試験の最終面接までいったのですが結果は落選。次の年に受検年齢が引き下げられ、私は受験資格がなくなりました。そうして、1年6ヶ月勤めた警察署を退職したのです。
D社
D社は輸入商社で私は貿易事務と営業をしていました。業務内容としては、世界各国とのメールや電話対応、輸入書類対応、商品の検品と商品に異変があったときは調査(サーベイ)、社内システムへの実績入力、固定客先営業、新規営業です。
ここでADHDの特性がかなり出ました。まず注意力散漫で何度見直しても書類や成果物にケアレスミスを繰り返しました。そして日常的に何をいつ「報連相」するのか分からず、報連相が多過ぎる(要点がまとまっておらず長くなりがちでした)と叱られました。相談をすると叱られると思い、上司の指示との認識のズレがあるまま自己判断してしまい、何度も失敗しました。仕事は相変わらず慣れるのが遅く、他の人の2~3倍かかってしまっており、仕事の優先順位はいつも逆だと言われていました。また、社内の独自システムにも慣れず日々残業が続いたのです。そもそも仕事の内容にも興味が持てず勉強する気にならなかったため、同期入社の社員にすぐに追い越され、そんな仕事なので集中できず離席が多いことにも注意を受けました。たたでさえ運転に苦手意識があるのに、社用車が大きな車だったことも苦痛でした。営業でもコミュニケーションが苦手な私は、中々結果が出せず悔しい日々を送りました。
上司からの叱責と毎日の残業、なんで自分はできないのだろうという自己嫌悪感、そして業務時間外に上司からくる電話などの連絡でプライベートと仕事の区別がなくなったため、私は1年7ヶ月で退職をしました。辞めてからすぐにADHDの診断が出ました。そこで初めて自分に精神障害に加えて発達障害もあることが分かったのです。
以上のように4業種を経験した私ですが、現在は就労移行支援事業所へ通っており、初めての障害者雇用に向けて日々努力をしています。次の職種はライター職か翻訳、あるいは比較的上手くいった貿易事務を目指しています。通勤退勤で疲れるので、在宅勤務も希望しています。
どんな仕事でも特性は出ると思いますので、まずは自分の特性を理解して、そして希望する職種の具体的な仕事内容を調べて就職活動することが重要です。
注意欠陥多動性障害(ADHD)