心の一歩

はじめの一歩 『心の一歩 』vol.2

『心の一歩 』 vol.2 <毎月30日(2月は末日)連載>

私は脊髄小脳変性症という進行性の神経難病を患っています。母親からの遺伝です。その母親は12年前に他界しました。

当時、「1リットルの涙」というテレビドラマが話題になっていました。主人公の病気が母親と同じものだったので、たまたまインターネットで調べてみると、症状は進行性であること、遺伝性であることを知りました。

ショックでした。しかし、当時の状態から自分自身が患うことになるなどとは思えませんでした。何不自由なく、当たり前のように普通に過ごせていたからです。母親が亡くなる前までは、何もかも不自由は無いどころか、幸せでした。営業として飛び回り、家庭を持ち、未来を思う日々。

7年前に受けた遺伝子検査で確定診断を受け、描いていた未来は、全て吹き飛びました。そこからの私は、突きつけられた診断結果から逃げたくて逃げたくて現実逃避の日々が始まり、とにかく、病気のことを受け止めるまでにはかなりの時間を浪費しました。その間に、多くの人を傷つけてしまい、離れ離れになるという結果が今です。

歩くと酔っ払いのようにふらつくようになり、眼振が激しく字も読み難く、書きづらい。病状の進行を実感しだした頃、心の中に少し変化が現れました。嫌な日々だけが過ぎていく。そんな毎日にも嫌気がさし、それならば、嫌と思う考え方そのものを変えてみようと思ったのです。そして、自分には今、何ができるのだろうかと考えてみたのです。大したことでは無いように感じますが、これは私の人生の中で大きな考え方の変化でした。

当時の私は無職でしたから、余計に考える時間も長かったのだと思います。そこで、よし、誰かに相談に乗ってもらうと、先輩に連絡をとりました。毎日毎日何もしていない私の状況を聞いて、先輩は決して同情をすることなく、「未来は自分で切り開くんだよ」と、言ってくれました。私もそう思いました。一見厳しいけれど、それが、今の自分に出来ることだなと。

その先輩の影響もあって、私は宅地建物取引主任者という国家試験に挑戦することにしました。眼振も激しく、字も読み難く、書きづらくなってきている現状。これで最後かも知れないと思うと何処かでスイッチが入ったんだと思います。何かを残しておこうと、3か月間、毎日図書館に向かい猛勉強し、ついに合格することが出来ました。本当に嬉しかったのを覚えています。


もう一度、未来に目を向けることができた自分自身に自信になりました。又この事が今後の私に何をやるのでも影響している事は、間違いありません。その切っ掛けを与えてくれた先輩には、本当に感謝をしています。

未来に向かってとにかく一歩踏み出し続けていたい。失敗したっていい。人に出会って、行動したい。何もしないで後悔するよりも、「いま」出来る事を後悔しないようにやる。それが、今の自分に出来ることだと思います。

佐久間 勇人

佐久間 勇人

私は『脊髄小脳変性症』というだんだんと運動神経が失われていく進行性の神経難病です。今じゃ何をするのも命懸け。それでも大好きな水泳を続けています。溺れているんだか泳いでいるんだかわからなくなる時も増えてきました。心が折れそうにもなります。もう折れているかも知れません。
それでも水泳を通して色々な人と出会いたい。全力で笑いたい。皆で繋がり笑いたい。それが活力。HUG&PEACE

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください