児童虐待の傷跡~生き辛さとの戦い 前編

出典:Photo by Brett Jordan on Unsplash

みなさん、児童虐待についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。例えばニュースで報道されるような、虐待による餓死といった衝撃的なイメージがある方も多いでしょう。また、そういった環境から辛うじて生き延びてもトラウマが残り、生き辛さを抱えてしまうことも少なくありません。

児童虐待のような幼少期のトラウマにより生き辛さを感じている人達は「アダルトチルドレン」と呼ばれニュースにも取り上げられていますが、その人たちが具体的にどんな苦しみで懸命に生きてきたかにはあまり光が当たりません。そこで私の経験が少しでも何かの役に立てば幸いと思い、前編後編に分けて執筆させていただきました。

物心ついたときからの虐待

私は生まれたときの体重が少なかったせいで「いじめられるかもしれない」という母親の方針で幼稚園の頃から体操教室、スイミングスクールに通っていました。小学生になると親の教育がさらに激しくなり、優秀な子供であることを要求されました。習い事はスイミングスクールに加え、そろばん、学習塾、サッカーと増えました。母親は宿題をやっているときは後ろで腕組みして仁王立ちしておりその恐怖は今でも覚えています。体調不良になると第一声が罵声で、フラフラの状態で学校にいかせられて学校で嘔吐するとやっと家に帰れます。テスト前は出題範囲の漢字を暗記するまでご飯が食べられない、寝られない上に、点数が悪ければ叱責と暴力の悪循環。毎日毎日「どうしてお前は出来ないのかと言われ」抗うように努力するも報われませんでした。

なぜ頑張れたのか、それは2つの理由があります。1つはそもそも生まれつきこのような家庭で育っているため、精神的にも体力的にもしんどくてもおかしいと思うことができない、ある意味洗脳状態にあったことです。もう1つは母親に認めてほしかったからです。よくやってる、頑張ったねと言ってほしかったからです。ただ一言それだけです。後に父親は家は母さんががうまくやってると思ってたと言っていましたがそれは嘘です。なぜなら習い事に行きたくないと泣き叫んでいる私を母親が引きずって連れていくのを見て見ぬふりしたからです。私は父親も加害者だと思っています。両親はこれらのことを絶対覚えてないと断言できますが、私は全てトラウマとして昨日のことのように覚えています。

スポーツの試合で勝った負けたことはどうでもよく、試合前から、いかに家に帰った後親に怒られないかを考えてプレーしていました。今思うと、そんな子供はなかなかいないはずです。やりたくもないものを無理やり親が満足するまで続けましたが、勉強も体力も下の方でした。

私は楽しく夢中になれるものは上達しやすく、嫌いなものを無理やりやらせても上達しにくいと思っています。当時の自分に何か声をかけて上げることが出来るなら「よく頑張ったね、よくやってる、休んでもいいよ」と言ってあげたいです。

虐待の傷跡

中学、高校と成長していくにつれて体罰は減っていきました。しかし私自身は、人の裏ばかり見て信用できず、人に嫌われることを極端に恐れ、何度も「自分のことを嫌っていないか」相手に確認してしまう「確認行為」がひどくなってしまいました。他人に気に入られるようにいつも笑顔で、嫌なことがあっても本音を我慢していたおかげか、一時期は人気者でした。やがて、50人を超えるテニス部の部長になり、認められた気さえしました。しかし、自分は人気者だと思い込み好き勝手した結果、気が付いたら周りに人が誰もいなくなってしまったのです。人を束ねるということは、重い責任をともなうのだと思い知らされました。

▶次の記事:児童虐待の傷跡~生き辛さとの戦い 後編

ゼロックス

ゼロックス

苦難を乗り越え幸せを噛みしめている35歳の男です。
介護職をしております。
趣味は対戦ゲーム、将棋、カラオケ、テニス、外食等
特技はスプーン曲げ
座右の銘は”努力は夢中に勝てない”

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください