セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜

「彼女の周辺に障害が加わっていく瞬間を、目撃できたのだ」(セコラム!第13回)

『セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜』 vol.13 <毎月25日連載>

お久し振りです。世古口です。
コラムを2回も休んでしまいました。今月よりコラムをリスタートいたします。

障害をテーマと掲げた「BYE MY BARRIER FES」、盛況でした。
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クラブを貸し切り、障害をメインテーマと据えた唄え!踊れ!騒げ!なイベントです。
コンセプトは「さようなら、私のバリア」。イベントを楽しむこと自体が、障害を意識し、考え、私のなかのバリアとおさらばしていくことを目指しました。
内容は、障害×地域を打ち出すNPO法人月と風と の代表と世古口とのクロストークや車椅子ユーザーのDJ&ライブペイント、手話を用いたエンタメ集団のパフォーマンスやダウン症児の写真を撮り続ける写真家の展示。
それだけでなく、福祉なんか全く関係のないDJ陣やハードコアバンドによるライブを行ったり、出張ヘアカットやフード出展。

障害/障害でないコンテンツをごちゃまぜにしていくことで、障害がメインテーマということを敢えてぼやけさせました。
また、会場は老舗のクラブイベント。ハード面でのバリアフリーは整っていません。段差があるし、通路がフラットではないし、会場が狭い。でも、そのバリアが存在することで、わたしとあなたの間に会話が生まれる。少しのお節介が生まれるし、少しのお願いごとが生まれました。
「ドリンクを取っていただけませんか」
「段差を超えるために、車椅子を持っていただけませんか」
「前に行きたいので、道を開けてくれませんか」
このようなやり取りが自然と生じ、何気ない会話が彼らの間ではじまっていました。そう、関係性が変わっていったのです。
車椅子に乗っている「知らない」人から、車椅子に乗っている「知っている」人に変化したのです。
障害を知らないから、障害のある人と関わりがないから、わたしとわたし以外の間にバリアを無意識に張ってしまっています。
個人が持つ1つひとつのバリアが集合体をなし、差別や偏見が生まれたり、生きづらさを感じたりするのだと思います。

「障害は社会の側にある」
特性以上の障害は、わたしたちがつくっているのだと捉えています。
社会に住んでいるのは、1人ひとりのわたしたち。1人ひとりの意識が変わっていくことが、障害を感じさせない社会にしていくのです。


BYE MY BARRIER FESの終盤、
車椅子のおっさんと大学生くらいの若い女性が、屈託のない笑顔でお話をしていました。
僕も会話に加わりお話を進めていくと、お互い初めてお会いし、車椅子を押すきっかけで会話が弾んだそう。
障害のある人が「わたしの周辺」に加わり、障害のある人と関わったことがある事実を彼女は経験できたのだと思っています。

この瞬間が、まさに「さようなら、わたしのバリア」。
わたしと他者とのバリアを薄めていき、関係性を紡いでいくことが「障害を感じさせない社会」への入口の1つです。
そこからはじまっていく。つくられていく。ぼくは、そんなユートピアをつくっていきたい。

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

世古口 敦嗣(せこぐち あつし)

就職活動に失敗し、何となく障害福祉の世界へ。障害者が暮らしやすいまちをつくるNPO法人サポネや医療福祉エンターテインメントのNPO法人Ubdobeなどを経て、農業を中心とした障害のある人が働く拠点「三休 – Thank You -」を今年4月にオープン。それ以外にNPO法人月と風と理事やKAIGOLEADERS OSAKAコアメン、ふくしあそび探求舎代表を務める。

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